2019年05月19日

今日も快晴!? 2019年4月



その電話は、3月初めの21時過ぎに突然掛かってきました。
暗い低い声の、呪いの電話です。
「おねえちゃ~~ん。明後日、帰ってもいい?戸谷くん(ご主人)が、2月仕事が忙しくて2日しか休みが無くって、しかもその2日も半日しか休めないんだよ~。ののちゃんとさちくん連れて帰っても良いかなぁ?」と、東京で流行のワンオペ育児に勤しむ妹からでした。
「いいよ!いいよ!帰っておいでよ~!」と即答し、2日後、到着時間に合わせて駅まで迎えに行くと、
「よ、夜逃げか!?」と思うような出で立ちで妹が駅から出てきました。
背中には巨大なリュックを背負い、4ヶ月のさちくんを抱っこひもで支え、2歳のののちゃんをベビーカーに乗せて、持ちきれないほどの荷物がベビーカーの取っ手にぶら下がっています。
「えらかったね~!よく一人で帰ってきたねぇ。」と迎え、妹の話を聞いてゆくと、よくそれでやっていたね・・・というような、なかなか大変な状況でした。
「東京じゃ、ママ友達一人もいないんだよね。」
「お義父さんもお義母さんもまだ仕事しているから頼れないし・・・。」
「マンションでね、別の部屋の人から苦情が来るんだよ。子どもの遊ぶ音がうるさいって。そんなに遅い時間でも無いのに・・・。」
「エレベーターで知らない男の人から『子どもは3人は生まないといけない』と言われたけど、それなら旦那さんを家に帰して欲しいよね~。」
「戸谷くんが休みがないってことは、私にも休みがないってことなんだからさぁ」等々・・・。
ああ、本当に大変だなぁ。
田舎の実家暮らしで母や家族に囲まれ、妹のような子育ての苦労など何一つしてこなかった私なので、本当に妹は立派だなぁ、よく一人頑張っているなぁと頭が下がります。
妹の帰省中に、豊田で起こった悲しい事件が新聞に掲載されていました。1
1ヶ月の3つ子の子育てでノイローゼになった母親が、成長の遅かった真ん中の子どもを畳にたたきつけて殺害した事件の判決が出たという記事です。
「不妊治療の末、やっと授かった子どもだった」
「飲食店を経営している自分の両親も、夫も頼れなかった」
「1日24回のミルクで寝られず、子どもの泣き声に苛立った」
「市の相談窓口に行ったけれど、双子の子育てのパンフレットを渡されただけだった」
「子どもが可愛くないわけでは無かったが、3人同時に泣かれたらどうしたらよいか分からなかった」等々・・・記事を読みながら、涙がこぼれました。
「なんてひどい母親だ!」とは、到底思えませんでした。
口を突いて出たのは、「分かる!」という言葉だったのです。
子どもたちがまだ幼かった頃、子どもが寝ない!と苛立ったことや、予定通りにいかなくて腹を立てたこと、殴りつけたいと思ったことは数え切れないほどあります。
同じ状況に置かれたら、私も子どもを床にたたきつけていたかもしれません。
そんなことを考えていると、ふと「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」という歎異抄の親鸞聖人の言葉が浮かんできました。
自分はたまたま環境に恵まれていたお陰で、残虐な振る舞いをせずに済んだだけなのかもしれない。
条件さえ整えば、いつ自分も同じことをしでかすか分からない。
人間とは怖い存在で、普段は「良い人。良い姉。良い母」を演じようとしている自分の化けの皮もいつ剥がれるのか・・・。
そういえば、妹は二週間でそそくさと東京に帰って行きました。
すでに「良い姉」の化けの皮は剥がれていたのかもしれません。
・・・ぺろ~り・・・。
  

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2019年05月15日

今日も快晴!? 2019年5月



3月の25日~28日、「福島のみんな!遊びにおいでんプロジェクト」という保養(放射能の影響を避けて、影響の無い地域で過ごす活動)がありました。
子育て中のママが中心となり、岡崎教務所が協力する形で、8年前の震災時から様々な形を経て続いており、守綱寺も日程が合うときは受け入れ寺院として参加していました。
昨年あたりから少し様子が変わってきたように見えました。
まず、福島の方から「参加したい」という声が減ったと言うこと。
受け入れ寺院の数も減ってきたと言うこと。
震災から8年が経ち、関心も薄くなってきたことを感じながら、話し合いの機会を持てないまま今年の開催を迎えることになり、守綱寺では福島県いわき市の方から2家族3名の方を受け入れることになりました。
3月26日はお寺で絵本の読み聞かせ会が開催されたので、その日の午後に「福島の方のお話を聞く集い」を企画しました。
すると、思いがけなく多くの人に参加して頂くことが出来ました。
簡単な自己紹介をして頂いたら、
「震災の時は関東の方で生活していた」
「旦那さんが福島の出身で・・・」等々、それぞれ想いがあってこの場に来られていて、原発や放射能について、きちんと話が出来る場が求められているのだと感じました。
いわき市から来られたOさん&Kさんは、「何でも聞いて下さい。全部お答えします」と、言って下さいました。
「自分たちの周りでは、放射能や原発の話はそれほど聞かなくなっている」とのことでしたが、話が進むうちに「いわきの方では、テレビの天気予報と一緒に線量の数値が出る。風向きも。こちらに来てそういうのを目にしなくなって、(ああ、ここでは100%放射能の事は考えなくても良いんだな)って思えた」「福島産のものは、(線量を)計っているから大丈夫だろうって、普通に食べている。」「もっと線量の多い地域から避難してきて(いわきに)住んでいる人がいるが、その人達には補償金が出ていて、気の毒なんだけど、同じ地域で同じ様に生活しているのに、あちらは貰えて良いなって思ってしまう」等々・・・二時間ほどの間に、ぽつりぽつりと本音がこぼれ落ちるようになりました。
こちらで生活していると聞こえてこない話ばかりで、現地の方から生の声を聞くことの大切さを感じました。
自分の「知らないこと」が「無い事」になってしまうのは危険だと思えます。
福島から来たMちゃんはもう中学生の女の子でしたが、とても面倒見が良く、寺っ子クラブの子どもたちとたくさん遊んでくれました。
26日の夜は、心ある方から差し入れして頂いた食材を使ってみんなでカレーを作って食べ、木曜日は「三河の名物を!」と、寺っ子の仲間で五平餅の味噌を作り、お握りを作ってお外でいっぱい遊んで食べました。
どんどん仲良くなる子どもたちの様子が嬉しく思えました。
おいでんが終わって何日かあと、新聞にいわき市の震災関係の記事が出ていました。
普段はそれほど新聞を読まない娘に「ほら。うちに来ていたMちゃんの住んでいるいわき市のことが書いてあるよ」と言うと、「え?そうなんだ!」と言いながら、目を通していました。
震災から8年が経ち、こうした活動が本当に必要なのだろうか?という声もあります。
でも、実際にその地域で生活している方の声に耳を傾けること、何が起きているのか知ること、自分の頭で物事を考えることが大切で、子どもたちは、「どうしてMちゃんたちは、遠くから来ていたんだろう?」と疑問に思うかもしれません。それは、福島で起きた原発事故や放射能のことを考えるきっかけになるでしょう。
「福島県、いわき市」と聞いたときに、「遠くにある知らない場所」ではなく、「一緒に遊んだMちゃんの暮らす町」と気付いたら、ずっと関心の向き方が違うと思うのです。
それが、おいでんプロジェクトを続ける意味なのではないかと感じました。
  

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2019年05月15日

今日も快晴!? 2019年3月



2月に、大変面白くて刺激的な講演会に参加することが出来ました。
生物学者の福岡伸一さんの「生命とは何か。生命科学から森への招待」というお話です。
『動的平衡』『生物と無生物の間』などの書籍で著名な福岡さんのお話は、分かりやすい言葉と比喩で、時には笑いも交えながら和やかに進んでゆきました。
蝶に夢中になり、昆虫少年だった子ども時代。
顕微鏡をのぞくことに夢中になり、「センス・オブ・ワンダー」~自然への驚嘆や畏敬の念が、生物学者を志すきっかけになったそうです。
顕微鏡の発明により、人間の身体が細胞という細かいパーツで出来ているという発見があり、機械論的なメカニズム、人間の身体を細分化し、より細かいパーツに分けて考えようとする考え方が主流になってゆきます。
しかし福岡さんは、研究上の壁にぶつかり、「生命とはミクロな部分が集まってできたプラモデルである、というような機械論的生命観は、生命の大事な部分を見失う」と感じられたそうです。
1時間半ほど講演の中で、最も刺激的だったのは、自ら発見したGP2という遺伝子の働きを突き止めるための実験で暗礁に乗り上げ、「生命は機械ではない。生命は流れだ」(ルドルフ・シェーンハイマー)という先達の研究者の言葉を知り、「動的平衡」という言葉で生命を解き明かそうとした部分でした。
生命とは、食べ続けなければならない存在であり、当時の機械論的な発想では、生物と食べ物の関係は車とガソリンに例えられていました。
しかし実際は、シェーンハイマーが行ったマウスの実験では、食べ物は身体の中で、しっぽの先から内臓まで、ありとあらゆる器官に変化していったのだそうです。 
福岡さんは「つまりガソリンがタイヤやシートやハンドルになったりするわけで、食べるという行為は、食べ物と自分自身の身体を入れ替えることであり、細胞は絶えず入れ替わり、新しいものになっている。
つまり生物学的には、約束は守らなくて良いんです。
一貫性もなくても良いんです。なぜなら昨日と今日では別の生き物だから」といったジョークも交えながら、さらに講演は進みました。
「髪や爪は分かりやすいのですが、消化管の細胞は2~3日で入れ替わり、筋肉の細胞では数週間で入れ替わります。
生命とは、こうした分解と合成の絶え間ない平衡状態を言うのであり、作ることよりも壊すことを一生懸命にやっている、大きく変わらないために変わり続けている、変わらないために変わり続けている。
動的な平衡状態を表現したもので、生命とは鴨長明の『方丈記』にあるとおり「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」という世界そのもの」。
私たちが「生きている」という事実は、なんという不思議で精密で自分の想像を超えた素晴らしい現象なんだろう。
「自分の命なのだから、自分の好きにしても良い」という発言を聞くことがありますが、これはとんでもない話で、私が「これは私だ」と思ってコントロール出来る部分なんて、いのちの全体から言えばほんのわずかな部分であり、自分の感覚だけではキャッチできないような細胞レベルの絶え間ない分解と合成の仕組みが何一つ間違うことなくきちんと毎日繰り返される奇跡が自分の命の正体なのだと、震えるような感動がありました。
豊田の森作りに関するシンポジウム内での講演でしたが、生命の内部のように森にも「動的平衡」の視点が必要であり、 「問題が起きた時は、広い視野を持ち、関係性の中で考える。長いスパンで考える」という最後の言葉は、あらゆる問題に通じると思えました。


  

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2019年02月28日

今日も快晴!? 2019年2月



長男が高校生になり、もうすぐ1年になります。
朝は6時半過ぎに家を出発し、帰りは遅いと8時近くになることもあり、平日の昼間はほとんど彼の姿を見掛けることがなくなりました。
土日も模試や補習で学校に行く日も多く、そうでなければ図書館に行くか、部屋にこもっている時間が多くなりました。
県外への進学を希望していることもあり、こうして徐々にこの子の姿を見る時間が減るのは、いざ子どもが巣立って行く時にあまり寂しくないよう、予行練習をしているんだろうなと思います。
長男はクラスや部活で頑張っている友人達から刺激を受け、目標を持って自身を律している様子も見て取れ、何より「学校が楽しい」と生き生き家を出て行く様子に、(もうこの子は半分以上大人なんだな。何も言うことはないし、彼の行く道を応援するだけだなぁ)と感じるようになりました。
そんな中、久しぶりに子ども部屋の掃除をしました。
妹の里帰りやら年末年始の色々で子ども部屋まで手が回らず、きっとひどい状態になってるだろうなぁ・・・と怖々足を踏み入れました。
床のあちこち山積みになったプリントをまとめて掃除機を掛け、棚の埃など拭き、ふとカバンがたくさん掛けてあるポールハンガーが目に付きました。
(そういえば、小学校の時に使っていたこの小さいバッグやリュックはもう使わないだろう。ちょっと整理しておこう・・・)と何気なく掛かっていたリュックを下ろしたところ、妙に重たいのです。
一体何が入れっぱなしになっているんだろう・・・?と開けてみると、なんと中からゲーム機が出てきたのです。
もう一つの小さなカバンからは、いくつかのゲームソフトも出てきました。
私は「子どもが背中を丸めて画面を見る姿が好きではない」と、子どもたちにゲーム機を買い与えませんでした。
子どもたちも、欲しそうにした時期もありましたが、レゴやガンプラ等々他のものでごまかしつつ何とかその時期を乗り越え、大きな波風もなく上の二人は中高生になりました。
よく素直にこちらの方針に従ってくれたなぁと思う反面、(男の子がゲームを欲しくないわけがない。ここで我慢した反動が、将来どこかでひずみとなって出てくるんじゃないだろうか?)という不安をどこかで感じることもありました。
それなので、長男の部屋からこっそり隠されたゲーム機を見つけたときは、私は正直なところ、ものすごくホッとしました。
(ああ、この子はまともだったんだ!)と思えたのです。
一応「見つけたよ」と分かる様にカバンを床の上に置いたままにしておきました。
学校から帰宅した長男は、見つかったことにちょっと安堵したように見えました。
部屋に秘密を隠し持ったまま居ることに、どこか後ろめたさを感じていたようです
「ああ、去年反抗期の時にリサイクルのお店で買ったけど、高校に入ってから一回も電源入れてない」
「うん。そうだろうと思った」
「売ろうとしても、もうあんまりこのソフト価値がないんだよね。」
「・・・お母さん、安心したわ。あんたまともだったんだね~」
「まぁね」。
にやっと笑った長男の顔を見て、また私は一つ子離れのステップを上がったんだな~という気がしました。
どうしても欲しかったのか、私への反抗心か、内緒でこっそり手に入れたN社のゲーム機。
結果、「自分には必要無い」と判断し、電源も入らない状態でほかりっぱなしになっていました。
「自分の頭でものごとを考えることの出来る人間になって欲しい」という子育ての目標は、もう達成しつつあるのかもしれません。
いよいよ母親の出番は、朝の弁当づくりと晩ご飯のみになりそうです。

  

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2019年02月22日

今日も快晴!? 2019年1月



個人的な今年一番の出来事は、10年来の夢だった自宅リフォームが叶ったことです。
真新しい新築の友人宅に遊びに行くたびに羨ましく思い、
(いいな、いいな。でも、うちはまだ住めるし、リフォームが現実的だけど、長男にお嫁さんが来る時だろうなぁ・・・。早くて15年後かな・・・)と諦めていました。
いつが夢が叶ったときのためにと、友人宅訪問を趣味にして、2~30軒くらいのおうちにお邪魔しては(自分なら、ああしたい。こうしたい。)と妄想を膨らませていました。築30年を迎えた我が家は、冬はとにかく寒く、昨年12月に娘が発熱したのを皮切りに、受験生だった長男が1月にインフルエンザにかかり、その後父もインフルエンザを発症し、家族が相次いで体調を崩してゆきました。タイル貼りのお風呂場もとても寒くて、何度追い炊きをしてもすぐに冷めてしまいます。一通り皆が体調を崩した後、「これは、家が寒すぎるのではないだろうか?」というところで家族の意見が一致し、とんとん拍子にリフォームの話が進んだのです。
夢が叶った私は有頂天になり、憧れだったスッキリ片付いたモデルハウスのような家を目指して張り切りました。
何度も事務所まで打ち合わせに通い、名古屋のショールームまでキッチンやカーテンや色々な物を見に行き、インテリアの本を借りこんでは研究に研究を重ねました。
「今まで、お寺の事務スペースと居住空間がごちゃごちゃになっていたから、まずきちんとお寺の事務部屋を作ろう。
事務作業系は全部そちらに集めて、新聞やリサイクルのゴミ、郵便物等、きちんと置き場所を決めて散らかさないように。
玄関に靴を脱ぎ散らからないよう収納を考えて、子どもの物が出しっ放しにならないよう、きちんと子ども部屋を作って置き場所を作ろう。
とにかく、物が少なくて、すっきり片付いていて、明るく暖かい家に!」等々、不満だった所を全て列挙し、それらを解消するように綿密に収納やインテリアの計画を練りました。
お寺の行事が入らない夏場の二ヶ月を使って、いよいよリフォームが終わりました。
全て思い描いていたとおりの理想の空間が完成しました。
ところが、私にとって居心地の良い空間(=すっきり片付いて物が出ていない状態)と、家族にとって居心地の良い空間(=手に届くところに必要な物が全部出ている状態)がかみ合っていなかったのです。
「目立つところに生活感の出る物、インテリアの邪魔をする物は置きたくない」と思うのに、「なぜ今まで出ていた物を同じように出しておいてはいけないのか」と、なかなか理解してもらえません。
「家族みんなが明るく暖かく過ごせる家」を目指していたはずが、「理想の家を保つためには、理解のない家族は邪魔!」くらいに思えて来たのです。
本末転倒も良いところだなぁと思いつつ、こちらも10年来の夢だったので、そこはどうしても譲れません。
そして、完成から三ヶ月後、完成記念の撮影会が行われることになりました。
家は汚れ散らかる一方で、憧れのモデルハウスのようにはなりません。
どうしてうちは片付かないんだ・・・と焦る気持ちで迎えた撮影当日。
東京から来たというカメラマンは、キッチンに入るなり開口一番「あの~、炊飯器とポットのコンセントを抜いてどけて良いですか?」。
ええええ!?・・・そうです。カタログのすっきり片付いたおうちは、家族を邪魔にせずとも、撮影前に物を全てどかして撮影されていたのでした。

  

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2019年01月04日

今日も快晴!? 2018年12月



今週の朝日新聞の日曜版「フロントランナー」に、以前にも1度紹介させて頂いた広島の「ばっちゃん」こと中本忠子(ちかこ)さん(84歳)が紹介されていました。
ばっちゃんの家では、毎日午前11時から午後6時、やってくる子どもに無料で食事を出しています。
きっかけは、46歳で保護司になり、シンナーを吸っていた中学二年の男の子を担当したことだそうです。
「何日も食っていない。シンナーを吸うと、空腹を忘れられる」という少年の言葉を聞き、「それなら」と焼きめしを作って食べさせたそうです。
「悪さをするのはたいがい空腹の時。なら、うちが空腹を埋めちゃろ」と、家に来る度に食事をさせると、少年はシンナーを止めることが出来、それから次々と仲間を連れて来ましたが、親が酒や覚醒剤に依存するなど、ネグレクト家庭の子どもたちだったそうです。
そうして始まった活動は、最初は周囲からの反発がたくさんあったそうです。
「怖くないの?」と言われたこともあったそうですが、「何が怖いの?そんな目で見るのがおかしい。」「子どもたちを信じることから始めている」「(食事を与えても、何度も少年院に入る子どもがいて、裏切られたという気持ちにならないかという質問に対して)「こんなにしたのに」という思いは全くない。
うちの力が足りんかったと思うだけじゃよ。今度はどういう方法でやればいいか考える」「見返りを求めるボランティアならしない方がいい。相手に失礼。そんなでは心が通じんでしょ」「刑務所や少年院から帰ってきても、白眼視しないでほしい。
白眼視されると孤独になり、また犯罪に走ってしま
みんなで受け入れてやる気持ちがないといけんと思うよ」というばっちゃんの言葉は、ずっしり心に響きました。
現在はNPO法人になり、ボランティアスタッフが毎日来てくれますが、二年前までは中本さんの市営住宅の自宅が子どもたちの居場所だったそうです。
多いときには10人もの子どもに食事を与え、家に帰りたくないという6人を七ヶ月家に住ませて、食費は月に18万。
水道、光熱費は6万円にもなったそうです。
本当になんて人だろうと、頭が下がる思いしかありません。
たまたま同じ時期に自閉症の作家、東田直樹さんの書かれた「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」という本を読みました。
東田さんは会話の出来ない重度の自閉症でありながら、パソコンによるコミュニケーションが可能になり、質問に答える形で自らの内面を伝えてくれています。
「急に泣き出したりパニックになるのはなぜか」、という質問に、「ずっと昔に起こって、もう終わってしまったことなのに、どうすることも出来なかった気持ちが、あふれてあふれて抑えられなくなるのです。その時には泣かせて下さい。泣いて泣いて心を軽くすれば、僕らはまた、立ち直ることが出来ます。うるさくて迷惑かもしれませんが、僕らの気持ちに共感して側に居て欲しいのです」と答えています。
子どもたちに寄り添い、食事を与え続けた中本さんの行動は、東田さんの求める「気持ちに共感し、側に居る」姿そのものです。
非行に走った子どもや障がいを持つ子どもでなくても、側に居て共感してくれる人もおらず、信じてもらえず「泣いて泣いて」いる子どもたちは、すぐ近くにも居るように思います。
「僕らはまた立ち直ることが出来る」という子どもたちを信じる大人になれたら良いのですが・・・。

  

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2019年01月04日

今日も快晴!? 2018年11月



2人目出産のため里帰り中の妹は、絶賛「出る出る詐欺」の真っ最中です。
9月に「今出てしまったらまずい」と10日間ほど切迫早産で入院しましたが、退院後、赤ちゃんは大人しくお腹の中に留まってくれていて、10月に入り週末毎に東京から旦那さんが通ってくれているのに、一向に出てくる気配がありません。
もうすぐお姉ちゃんになる2歳半ののの葉ちゃんは、だんだん我が家での生活にも慣れて「2歳児あるある」絶好調です。
外に出ようとして、玄関で靴を履かせようとすると「じぶんで!」と拒否し、「ののちゃんじぶんではく!」と朝から一騒動です。
「ぎゅうにゅう、のむ~」と大人用のコップを差し出すので、コップに半分ほど入れて渡すと、「もっとたくさんいれて~」とおねだり。
朝ご飯の最中に急に騒ぎ出したと思ったら、「おさかなきらないで!」と大泣きです。
お皿に取った焼き鮭が大きすぎると妹が半分に切ったのが気に入らなかったようで、「半分に切らずに、大きいまま食べたかった」ということのようです。
その行動の一つ一つは子どもなりに理由もあり、ただただ面白いだけなのですが、これが自分の子どもだったら、(この朝の忙しいときに!)と腹が立って仕方が無かっただろうなぁと思います。
面白いのは十歳になる在です。はじめの頃はかいがいしく世話を焼いていましたが、ある夜、急に甘えてきたかと思ったら、ぼそっと「ののちゃんばっかずるい」と不満を訴えてきました。
「私の時はあんなことしたら怒られて許してもらえなかったのに、ののちゃんなら『良いよ』って許してもらえる。
ののちゃんばっかり言うこと聞いてもらえてずるい!」と言うのです。
こちらからすれば、「あなたは末っ子で、お兄ちゃん達に比べたらかなり甘く育てられているよ?」と思うのですが、お兄ちゃん達の方はもう完全に次元が違うので、ののちゃんが何を言っても「はいはい」と言うことを聞いてあげられます。
「余裕がある」というのはこういうことなんだと思います。
もうしっかりお姉ちゃんだと思っていた娘は、まだ案外赤ちゃんに近いようなので、もう少し甘えさせてあげないといけないようです。
それにしても、二歳の子ってこんなに可愛かったのかな。
ののちゃんの「自分で!」を聞いても、「抱っこ!抱っこ!」と泣くときも、(あ~、こんな風だったなぁ)と懐かしく思うだけで、腹が立つより面白くなってしまいます。
すでにばぁばに近い感覚なのかもしれません。
自分の子どもを育ててる時も、(なんて可愛いんだろう)と思っていたと思うのですが、あっと言う間に身長も体重も追い越された息子達や娘の一番可愛かったこの頃のことは、残念ながらすっかり記憶から抜け落ちています。
あのとき、今くらい気持ちの余裕があれば「早くしなさい!」と怒ったり苛々したりしなかったのかな。
自分でやりたければ気の済むまでやらせたら良いし、ただのわがままに見えることも子どもなりに理由はあるのだし、どんなに「いや!」と言っていてもちょっと待てばすぐ気が変わるのだし、抱っこして欲しいと言えば抱っこしてやれば良かったのに、大人の都合に子どもを合わせるのに必死になって、待てない自分がいたなぁとほろ苦く思い出します。
今からもう時計を戻すことは出来ませんが、妹が赤ちゃんと過ごす時間は、余裕を持って穏やかに過ごせるようにしてやりたいなぁと思います。
  

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2019年01月04日

今日も快晴!? 2018年10月



9月の半ばから、東京に住む三番目の妹が、二人目の赤ちゃん出産のため里帰りしてきました。
予定日は11月ですが、体調を考慮して、少し早めに産休をもらって帰ってきてくれました。
2歳半になった姪っ子ののの葉ちゃんのかわいいこと。
よく笑い、よく動き、お喋りもとても上手です。
特に食べ物に関するお喋りがとても上手で、「ののもたべる~」「ののもちょーだい」「もも、たべる~」「おいも、たべる~」「おまんじゅうたべる~」と、大人顔負けの食欲を見せてくれて、いつもお腹はぽんぽこりんです。
3人の子育ても一段落して、少し余裕を持ってののちゃんをみてあげられるつもりでしたが、ののちゃんが真っ先に向かったのは、我が家の末っ子の在でした。
在もはじめての妹分が嬉しいようです。
「お姉ちゃんがやってあげる」「お姉ちゃんが抱っこしてあげる」「お姉ちゃんが一緒に行ってあげようか?」と、「おねえちゃん」という単語を連発し、ご満悦です。
次にののちゃんが向かうのは、いつもご飯を食べさせてくれるおじいちゃん&おばぁちゃんです。
ママの「あ、だめだめ。ご飯全部食べてからね」という言葉も聞こえないふりで、おばぁちゃんがむいてくれる食後のデザートの梨やりんごにまっしぐらです。
(この人達の近くにいれば、いつも美味しいものがもらえる)という子どもの嗅覚は的確です。
そんなこんなで、里帰りして以来、2日経っても3日経っても、一向にののちゃんは私のところに来てくれません。
一週間ほど経って、妹が産婦人科の検診に行く日がありました。
平日だったのでうちの子どもたちもおらず、母も少し用事があったので、いよいよおばちゃんの出番です。
子どもたちと昔よく遊んだレゴ、ままごと、お絵かき、こま、ビー玉etc・・・様々なアイテムを駆使して、ピュアな二歳児をたちまち虜にしてみせます。
家に無いおもちゃの数々に、はじめは物珍しそうに遊んでいたののちゃんでしたが、ふと気付いた瞬間から、「おとーしゃんは?」「おかーしゃんは?」と繰り返し聞くようになりました。
「おとーしゃんは?」「おしごとだよ~」「おかーしゃんは?」「びょういんだよ~」。そんな会話を3分に一回ほど交わして30分ほど経った頃でしょうか。
ののちゃんが、声を殺してしくしくと泣き出したのです。
わーんわーんと大声で泣いてくれたら、こちらも抱っこやおやつや色んな方法で気を紛らせたのでしょうが、ののちゃんの泣き方は、我慢に我慢を重ねて、ついに我慢が出来なくなったけれど、泣いても仕方が無い。
今はおかあさんはこの場にはいないし、呼んでも来てくれない。
ということを全て分かった上で、耐えきれなくなってこぼれた涙でした。
ほろりほろりと頬を伝いこぼれる涙と、ののちゃんのくしゃくしゃの顔に、(なんて愛おしいんだろう。この子は、こんな小さい身体で、自分の置かれた状況を全部理解して、慣れない家に一人置いてきぼりにされた寂しさに耐えていたんだ)と、健気なのの葉ちゃんにすっかり心を鷲掴みにされてしまいました。
もうおばちゃんに出来ることは、毎日美味しいご飯を作って、ののちゃんのお腹をますますぽんぽこりんにすることだけです。
妹よ。里帰りの間に、メタボののちゃんになったらごめんなさ~い。
  

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2019年01月04日

今日も快晴!? 2018年9月



8月に京都に出掛ける用事がありました。学生時代を奈良県で過ごした私にとって、京都は何度も足を運んだ思い出の地でもあります。
一泊二日の旅の一日目は、懐かしい学生時代の友人と再会しました。
結婚して大阪に住む友人とは、学生時代にたまたま寮で同じ部屋になり、その後下宿先で3年間共同生活を送りました。
家族でない人と何年も一緒に生活した経験は、これが初めてです。
彼女と寮で同じ部屋になったことは、たまたまの偶然だったと思います。
当時、その大学の学生寮は4人部屋で、それぞれの部屋ごとに出身地と学部と学年がばらばらにされ、必ず一部屋に一人は新入生が入るように組まれていました。
何百人かの寮生の中で、たまたま同室になった同級生と気が合って、得がたい友人として長く交流が続くことは、本当に幸運としか言いようがありません。
一緒に入った他大学のテニスサークルのこと、学生時代のアルバイト先のこと、大学時代の友人の話、お互いの家族や子どもの話、仕事の話etc・・・話題は尽きず、ランチに入ったお店では、最後の一組になるまで喋り倒してしまいました。
「やっぱり学生時代の友達は楽で良いね。」という友人の言葉に、実家を離れた嫁ぎ先や、職場で頑張っている友人の姿を思いました。
 翌日は、一人で京都の思い出の場所を巡りました。
京都御所のテニスコート、鴨川、寺町通り、高瀬川、先斗町を通り抜けて、四条通りをぶらぶら歩きながら色々なことを思い出しました。
テニスラケットを肩に掛けて奈良から電車に乗り、前出の友人とお喋りしながら砂利道を歩いて通った御所のテニスコートですが、今歩くと本当に広くて、しかもこんな有名な観光名所の中を、テニスだけを目的に歩いていたとはなんて贅沢な・・・!と、新鮮な感動があったり、当時の自分の無知を恥じたりしました。
鴨川沿いをぶらぶら散歩していたら、ふいに涙がこみ上げてきました。この場所で何かをしたという特別な記憶は無いのですが、自分の青春時代の象徴のように感じられたのです。
自分はなんて素敵な場所で学生時代を過ごすことが出来たのだろう。
学生時代は、自分が受験勉強を頑張って、行きたいところを選んで、自分で道を切り開いたようなつもりで意気揚々と出てきましたが、何のことはない。
両親が家から出して下宿をさせてくれて、好きなようにさせてくれていたんだなぁとしみじみ感謝の気持ちがこみ上げてきました。
守られ、保障された上での自由を謳歌させて貰っていたのでした。
今の生活に不満を感じて「あの頃は良かった。戻りたい」ではなく、純粋に「青春時代」と呼べるような時間を持てたことが、本当に幸せだったのだと感じます。
こんなことを感じるのも、自分が年を取ったからでしょうか。
高校時代、「このまま家にいては自分が自分でなくなる」と、自分を守るために必死で家を飛び出し、学生時代はいっちょ前に「自分探し」に明け暮れていた気がしていましたが、今考えるとそんな青春の小悩みなんてお粗末なもので、タマネギの皮を剥いていったら最後には何も残らないように、「本当の自分」なんて、探してもどこにもないと、気づいたのは働き出してからでした。
でも、「お寺」や「〇〇さんとこの子」という所属を外れての生活は、本当に開放的で快適でした。
離れて見えるもの、時間が経って分かることも多いのだとしみじみ感じます。
  

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2019年01月04日

今日も快晴!? 2018年8月



自分の子どもに、面と向かって大まじめに「あなたのことが好き」と言える方はいらっしゃいますか?
子どもの年齢にもよるかもしれませんが、私は、小学5年の娘からこのように聞かれたら
(お兄ちゃん二人はそもそも想定外ですが)、気恥ずかしくて、
「え?どうかな~。う~ん・・・。お母さんの言うことを良く聞くおりこうさんのときは好きかな~♬」等、
半分冗談ではぐらかしてしまいます。

「かあさん わたしのこと すき?」
「ええ すきよ。だいすきよ」
「どれくらい すき?」
「わたりがらすが たからものをすきなのよりも、もっといっぱい

いぬがじぶんのしっぽをすきなのよりも もっといっぱい ・・・ あなたがすきよ」
このやりとりは、『かあさん、わたしのことすき?』(B・ジョシー作 B・ラヴァレー絵 偕成社)という絵本のものです。
主人公のエスキモーの女の子が、お母さんの愛情を試すために、「どのくらい好き?」「私がもしこんな悪いことをしても好き?」「もっとこんな悪いことをしても?」と尋ねてゆくのです。
しばらくこの絵本のことは忘れていましたが、最近、自宅のリフォームに向けて子ども部屋を整理したときに、娘はふとこの絵本を手に取ったのでしょうか。
突然のタイミングで、「お母さん、私のこと好き?」と聞いてきたのです。
(ああ!これはあの絵本のセリフだな?)とピンと来たので、
「ええ好きよ。大好きよ」と答えると、「えー?お母さん、どうして分かったの?じゃぁ『どんなことがあっても?』」「『ええそうよ。星が空で魚になってしまっても・・・どんなことがあってもあなたがすきよ』」と言いながら、
娘としばし懐かしい絵本の世界に浸りました。
今更そんな言わなくても分かるでしょ?と言いたくなるような言葉も、絵本のセリフだと思えばすらすら言えてしまうのです。
これは良い方法でした。
絵本があって良かったなと思う瞬間はいくつもありますが、親子で共通のネタが出来るというのでしょうか。
出掛ける前など「〇〇は用意しとろうな。ぐははは・・・」と挟み込めば「あ~、『ちからたろう』ね」。
また、「〇〇だな?・・・うんにゃ ちがう。〇〇だな?うんにゃ ちがう ちがう」と言えば、「それ、『だいくとおにろく』だよね」と、子どもから鋭い突っ込みが入ったりします。
子どもたちが幼いときには、道路で消防車を見掛けたら「あ!しょうぼうじどうしゃジプタだ!」等々、周囲の物を認識する手助けが絵本だった時期がありました。
今、子どもたちは大きくなり、話すことと言えば学校での出来事が中心です。
クラスのお友達のこと、部活の出来事、行事の話題etc・・・ほぼ私が知らないことばかりです。
でも、互いの根っこにある共通の世界が絵本であるということが、何だかとてつもなく大きな自信に繋がるというのか、(あの豊かな世界を知っているから大丈夫だろう)と思えるのです。
前出の絵本の最後の言葉は、「でもくまの皮をかぶっていても、あなたはあなたなのだから、かあさんは あなたが すきよ。いつまでもずっと どんなことがあっても ずっと、かあさんはあなたがすきよ だってあなたは わたしの だいじなむすめですもの。」というものです。
恐らく、全ての子どもたちがお母さんのこうした言葉を聞きたがっていると思います。
恥ずかしくて言えないお母さんは、是非絵本にかこつけて「あなたが好きよ。大好きよ」と、言ってみてはどうでしょう?
  

Posted by 守綱寺 at 15:15Comments(0)今日も快晴!?