2023年06月10日
今月の掲示板 2023年5月
実は、僕らはすでに多くのものを受け取っている。
言葉や食事、自然の恵みや先人の営為を
すでにありがたく受け取り、先祖や死者に対する
弔いの念を持っている。
まずは「受け取ることで 生きている」ことに
気付くこと。
受け取る主体になること。
人が本当に欲しているものは 何か
物には代わりがあるが、私の代わりはない。
他力の教えは 如来回向です
私たちの努力というもの一切が
間に合わない というところで
如来のハタラキに出遇うものなのです
自分が 自分になるということが
一番大事なことだけれども
案外 なれないのでは
自分が生まれてきたことが
あらゆる人に
2023年04月03日
今月の掲示板 2023年3月
じぶん このやっかいなもの 相田みつを
今の自分は 本当の自分ではなく
本当の自分は別にいる
と思っておられる方もあると思いますが
今の自分こそが 本当の自分です 竹中智秀
凡夫というは
無明煩悩われらがみにみちみちて
欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ
ねたむこころおおく ひまなくして
臨終の一念にいたるまで とどまらず
きえず たえず (親鸞「一念多念文意」より)
心おきなく死んでいけるところが
見つかるのであれば
それが本当の生の意義 金子大榮
衆生の有限のいのちの根底に
「無量寿」という如来の
無限のいのちが流れている
私達の心の根底に流れるいのちこそ
如来なのです
正しいものに遇って
正しくない自分を知らされている
御縁に遇わんばね
御縁に遇わんばね
化けの皮は
はがれんとばい
2023年02月20日
今月の掲示板 2023年2月
修正会 浅田正作
何ひとつ
決めて守れぬ身と知れど
年新たなり 修正会
弥陀の誓いに
生きんと願う
一日一日を
初事 初事と
活きて
生きぬいて
生きよう 高光大船
人と生まれたことの意味を
たずねていこう
仏教では
自力のことを
分別といい
他力のことを
因縁という
人間というものは
自分の心を信用し過ぎる
それで心に
振りまわされる
はからっていたら きりがない
仏さんは厳しいのです
私を叱って下さるのが仏さま
仏は、私をたすけようと思ったら
私を厳しく叱らなければならん
それが仏の慈悲です
自分のした事に気がとがめる
それが宗教心
一つの事実に
色々はからいを固めて
我々は
荷物を
非常に重いものにする
われわれは
色々分別する
しかし、分別の通りに
なるのではない
因縁の通りになる
迷うには
迷うようになっている
法則が
ちゃんとある
因縁というのは
ものが在るようにあり
ことが起こってくる
一つの法則です
2023年02月20日
今月の掲示板 2023年1月
悲喜の涙 浅田正作
アタフタと
また一年が夢か幻
この夢幻のうちに流される
悲喜の涙の尊さよ
人間とは
その涙の容れものでした
生まれたほどの者なら
死ぬことは 当然
食って生きている以上
病気するのも当然
人はありのままの
当然なことを
知られたくない程
歪んでいる
何かと力みたい人に
人間の貧弱さを
つくづく思う
他力は自力を許さず
自力は他力を拒みます
他力は自分と別体に
他にいるものではなく
自力が消え失せる時
現れますから
他力なのです
人間の苦悩や不安も
正体を見つめることによって
影を消す
<自分>という殻が
自分を苦しめる
正体
他人という鏡がなければ
自分の殻は破れない奴だと
つくづく思われる
人間とは
自分で自分の始末の
仕切れない者の別名
人間がこの世に
人間の予想するような
幸福があると思うことから
間違っている
2022年12月20日
今月の掲示板 2022年12月
お念仏の道というものは
私が
私に出遇う道
私の根性と私自身が
こんがらがっている
私の根性は
損が嫌いで得が好き
私自身は
やりがいのあることなら苦労してもよい
私が当てにしているような何ものも
私を支えるものには
絶対なりません。
人間の根性という者は
満足がない
どこまでいっても
きりがない
どんな人間でも 苦労のない人間はいないし
問題のない人間はおりません
ところが人間というものは
自分の苦労はわかるけれど
他人の苦労は見えないのです
私は私で十分なのです
外へ求める必要も何もない
私が私で
これでよかったというところに
人間は立ち上がっている
不平や不満があったら
人間は 本当に
立ち上がるということが
できません
2022年11月07日
今月の掲示板 2022年11月
顔
良いことも
悪いこともする私
良いことばかりしている
顔をしている私
仏法さま
泣いても
わめいても
引っくり返らぬ現実こそ
仏法さま
不実さ
どこまでも
この身の痛まぬところで
他人に同情している
この不実さを
恥ずかしいとも思わず
相変わらず
苦のない人生など
無意味と合点しながら
私は相変わらず
楽がしたくて
ウロウロしている
仲間
「他人の不幸は蜜の味」と
私の仲間が言っている
私の名は 人間
地獄
他人の花が 赤く見える
あさましや
これが
ないものねだりの私が
おちる地獄
救い
難しいことなんか
なんにもなかった
たったひと言の
なんでもない言葉が
この胸におちれば
それでよかったのだ
たった一つ
消してはならぬもの
守らねばならないもの
それは
たった一つ
この胸に点った
念仏の灯
2022年10月11日
今月の掲示板 2022年10月
生物として
自然の摂理に合わせて
精一杯生きて死んでゆくことが
人間として最も幸せなことと満足する
人間には、巨大なコンピューターである大脳、
自我が宿る大脳がある。
大脳皮質(自分=自我)で
いくら考え何をしようが
体の調節はできない。
脳(自分)と体は別もの
あたなと身体は別物
あなたは身体を借りているだけなのです
いくら
健康が大事だからといって
人は
健康のために生きているわけではない
健康で長生き
それを人生の目標のように言うているが
健康で何をするか
長生きして何がしたいのか
それがはっきりしていない人が多い
私に要るだけは
ちゃんと持っているので
ないのは
今の自分に要らんからでしょう
殺されるために生まれてこない
殺すためにも生まれてこない
戦争は大事なことを忘れている
2022年10月11日
今月の掲示板 2022年9月
「仏教の救い」は
私の主人公は
私の都合だったと
知らされていくこと
私の主人は私の都合
だから私の幸せとは
私の都合のいいことになること
たったそれだけのことを知るために
生きているのか?
「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」
と親鸞聖人も仰っている
仏が罰をあてるのではない
私が勝手に当たっているのだ
8月15日は、たんに<敗戦記念日>ではない。
それなら勝ち負けというモノサシにすぎない。
これまでの戦争で亡くなった軍人・市民が
敗戦記念日ではなく<終戦記念日・廃戦記念日>にしてほしい
憲法第9条を護り保ってほしいと訴えている
布を織る 浅田正作
私はひとりの老職人
かの土をたて糸に
娑婆をよこ糸に
ふしぎな布を織っている
煩悩大道
ふと暗くなり
また日がさす
この道を
ただ
いそがず やすまず りきまず
無眼無耳人
どんな人間にも
仏の五劫思惟の願いが
こめられている
ただ 私たちは
それに 気づかない
終わりから
始まりがあれば
終わりあり
この終わりから
また
第一歩がはじまる
2022年08月16日
今月の掲示板 2022年8月
それで死んでも悔いなかろう 暁烏 敏
心というものは
単に考えるとか
思うとかいうだけのものではない
通ずるものだ
通ずるものが心だ 暁烏 敏
身が弱い故に
心が弱い故に
強く生きられる
身も心も
あてにせずに 赤祢貞子
病床にもつとめがある
そしてうれしい 赤祢貞子
あなたも死ぬ
私も死ぬということを
日々共有していられれば
相手のマイナス面も含め
受け入れられる 河合隼雄
個というものは
実は無限な広がりを持っているのに
人間は自分の知っている範囲内で
個に執着する
大きな流れの中の一部として
自分を捉えるような見方が
現代人に足りない 小川洋子
武器で平和を買うことはできない
自らは侵略者とは言わぬもの
誰もが自衛といって始める
2022年08月16日
今月の掲示板 2022年7月
自己とは何ぞや
これ人世の根本問題なり 清沢満之
人間という存在は
常に死から 未来から
問われ続けている
こうすべきであるという「べき論」から
出発してはいけません
自分をよしと思う心が
すべてのつまづきのもとである。
戦争に勝った者はいません
どちらの側の人々も
長い年月にわたって
代償を支払うのです
暴力とは言葉の放棄である
どんな私であっても
簡(えら)ばず 嫌わず 見捨てず
そんな方がアミダ様です
仏さまのことば
そのままのあなたでいいよ
あなたはあなたのように生きなさい