2019年05月20日

お庫裡から 2019年4月



花まつりチャリティ筍コンサートも回を重ねて、今年で15回を迎えることとなりました。
平成元年の「親と子の音楽とお話の夕べ」(連続10回)に始まり、「お寺のコンサート」(11回)と続き、春に「筍コンサート」を立ち上げ重複させた後、今は「花まつり チャリティ 筍コンサート」に全力投球。
いよいよ開演も間近です。
全くの素人が作る手作りのコンサートなのに、友人・仲間・足を運んでくださるお客さま・演奏してくださる音楽家、多くの多くのみなさま方のお力をいただいているおかげです。
ありがとうございます。
「プロの方の演奏が、こんな間近で聴けるなんて」とお客様に喜んでいただき、「足元にお客さんがいて、心地いい緊張感だった」と演奏者の方に言っていただくと、本当に嬉しくなります。
また、会場が本堂であるということに主眼を置いています。
2時間のコンサートの真ん中の15分~20分、必ず「仏さまのお話」を入れます。
住職のこの時間が好きと言ってくださる方もあり、ますます張り合いをいただけます。
こうして歩ませていただいてきました。
コンサート終了後のバザーも盛り沢山。
呈茶のお菓子は、岡崎市細川の両口屋の若主人が、お店の秘伝の手法で作ってくれる銘菓まつり、限定販売します。
ゴキブリ団子に着物地のチュニック、守綱寺産ゆで筍、等々。
コンサートを助けるために始めたバザーも、余剰が出るまでになり、純益は福島原発事故・子どもの甲状腺の検査施設に届けています。

  

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2019年05月19日

お庫裡から 2019年5月





雨マークが出たコンサート当日(4/14)。
「雨よ、降るな」というみんなの切なる願いに、雨雲は退散。会場の皆さんと、ちびっ子のいるファミリーコーラスが歌う「花祭行進曲」が開演の合図です。
堂内に用意した100脚の椅子と70枚の座ぶとんがほぼ埋まり、和やかな雰囲気の中、コンサートは進んでいきます。
メインにお迎えしたチェロの山田真吾さんは、トークもお上手でみんなをグイグイと引きつけ、アンコール曲は「G線上のアリア」と聞いた客席から「あー」と吐息とも溜息とも取れる声が上がりました。
終了後のバ
この日のみのりコーラスは、出演にバザーに大活躍。
お陰様で大盛況。
毎年好評の守綱寺産ゆで筍、寒さで上がりが悪い中、前日・前々日に8人の門徒さんが何度も何度も藪を歩き探して掘りあげ、ハソリでゆで、本当の初物をバザーに出すことができました。
呈茶も茶室と座敷の二席。
石川家の三姉弟、孫の在ちゃんが着物姿でお運び。
裏方さんもドンとおまかせできる方々ばかり。
お菓子もこの行事のために作って頂く銘菓祭。
ほのかに春の香がします。
桜といえば、4月の第2日曜日に開いているこのコンサート、14日は一番遅い巡りの日です。
裏の広場の60本の桜、年々に開花が早まり、コンサートと桜の見頃が当たったことがありません。
ところが今年は、14日も桜は満開のままでいてくれたのです。
天候にも花にも恵まれ、沢山の方々のお力で、本当に楽しい嬉しいコンサートの一日を持つことができました。
どうもありがとうございました。
こんな楽しいこと、なかなかやめられません。
体力を温存させて、また来年も頑張りたいと思っています。
来年の企画、お楽しみに。
  

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2019年05月18日

お庫裡から 2019年3月





開くんは、まだ高校生になったばかりだと思っていたのに、早や、1学年が終わろうとしています。
毎朝6時45分には家を出て、12時間後に帰宅します。
交わる時間の少なくなった中で、私の思いもよらなかった喜びを、高校生の開くんからいただくことになりました。
高校は、美術・音楽・書道が選択です。
美術を選択したはずの開くんは、人数の関係だったのか、体育に次いで苦手な音楽選択のクラスに編入されました。
たまたま食卓で顔を合わせると、楽譜のプリントを手に、私の知った旋律を口ずさんでいます。
楽しんで歌っているのではなく、実は、どう歌っていいのかと、苦戦していたのです。
プリントを見せてもらうと、なんと私の知っている曲ばかり。
そこから開くんと一緒に歌うということが始まりました。
学校でもらう曲の中に「Tonight」(ウェストサイド物語より)の楽譜を見つけたときは、私の方が興奮したくらいです。
あやふやだった言葉を確認し、開くんと一緒に英語で歌うと、青春が蘇るようです。
何度も開くんが付き合ってくれます。
先日は、「翼をください」を歌っていました。
「一緒に歌おうか」と声を掛けたら、誓くんも在ちゃんも知っているというので、4人で歌い出したら、各々編曲が違っていたようで、大崩れで大笑い。
成長し、手を離れていく孫達と、私の大好きな歌うことを通して交流を持てるのは、開くんが高校で音楽選択のクラスに入ったからこそ。
思いどおりにならなくても、道は拓ける。
開くんありがとう。
開くんと一緒に歌えて、私はこんなに喜んでいますよ。

  

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2019年03月03日

お庫裡から 2019年2月



走るように1月が過ぎ、逃げる2月がやってきました。
出産の為に帰省していた三女は、三が日が過ぎると、「今しか帰るときがない」と、そそくさ大荷物で引き上げていきました。
9月からの長逗留だったので、「やれやれ」とホッとしたのも事実ですが、がらんとしてしまった部屋を見ると、「あぁ、いないのか」と、淋しく感じてしまいます。
我家は平常にもどり、7人で食卓を囲んでいるのに、妙に静かで、あのてんてこ舞いのような食卓は何だったのだろうと、今更乍らに、2歳児のパワーのすごさを感じます。
新しく生まれた赤ん坊に関心を奪われまい、自分だけに注目してもらいたい、その思いを「イヤー」「だめ―」「自分でー」という言葉で表現する事を知った2才児は、連日、3つの言葉を大声で連発、動きもパワフル。
それを大の大人が、大人の都合に合わそうと躍起になるのですから、外から見たらさぞ滑稽な事だったでしょう。

  

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2019年02月25日

お庫裡から 2019年1月



平成30年が終わりました。
今の庫裡は、昭和64年(平成元年)のお正月に完成しました。
入寺から10年目のことだったので、今年は丁度、入寺満40年ということになります。
入寺当時は、地元の人に「あんたが今度新しくお寺に入らした人かん。
あんなおそがい所(恐ろしい所)に、よう居るな」と言われたりもしました。当時の姿など、想像もつかぬ事でしょう。
寺に居る私共も驚いています。
これも、この40年、どんなに沢山の方々のお力を頂いてきたのか、その賜物だと思います。
ありがとうございます。私は、本当に張り合い良く嬉しい年月を送らせて頂いてきました。
老境に入り、気持ちはまだまだと思っていても、体力的に昔のように動けません。
幸い、若院夫婦も色々と活動を広げております。
お寺は何をする所か。自分を学び、又、生きる事を学ぶ所です。
衣が足り、食が足り、住が足りても満足できないのが、人間という生き物なのです。
精神という言葉で表現される、その部分が、他の動物にない、人間の人間と言われる所以なのです。
その精神を、生きる事を、共に学びに寺に足をお運び下さい。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

歩みゆく 道賜りて 初御空  尚子
  

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2019年01月04日

お庫裡から 2018年12月



首を長くして待っていた三女の第二子が、10月28日、元気な産声を上げました。
3500gの男の子で、沙智(さち)と名前がつきました。
「真宗宗歌」の一節、「身の幸」のさちの音を頂き、「さ」は親鸞聖人が「僧にあらず俗にあらず」のお手本とされた賀古の教信沙弥(きょうしんしゃみ)の沙の字を、「ち」は仏さまの智慧の智の字で沙智くんです。
自分で何も出来ない新生児が、ただそこにいるだけで光々しく、周りに優しい気持ちを抱かせ、本当に仏さまだと思わせられます。
問題は2歳半の第一子ののの葉です。
「イヤ」「ダメ」「自分で」の連発に、家中が振り回されています。
赤ん坊に主役を奪われまいとする行為とわかっていても、ついつい2歳児と同じ土俵に乗ってしまい、なんと大人気ないと恥じ入るばかりです。
2歳児は口も達者で、我が家の女王様、5年生の在ちゃんと、丁々発止とやり合い、打ち勝って、新女王の地位をスルリと手に入れてしまいました。
こんな2人を見ていると、記憶に無くても確実に私にこんな時があったのだと気づかされます。
どれだけ心を砕き、お手間をお掛けしてきたことか、どれだけお許し頂いてきたことか。
とても自分一人で大きくなったと言えない、頭の上がらない世界を小さな孫から連日見せてもらっています。

 「真宗宗歌」
1.深きみ法に遇いまつる
  身の幸何にたとうべき
  ひたすら道を聞き開き
  まことのみ宗いただかん

2.永遠(とわ)の闇より救われし
  身の幸何に比ぶべき
  六字のみ名を称えつつ
  世のなりわいにいそしまん

3.海の内外(うちと)のへだてなく
  み親の徳の尊さを
  わがはらからに伝えつつ
  浄土(みくに)の旅を共にせん

  

Posted by 守綱寺 at 16:13Comments(0)お庫裡から

2019年01月04日

お庫裡から 2018年11月



毎年、11月の声を聞く頃、来年の手帳を買い求めます。
いつの頃からか、新しい手帳の裏表紙にその一年、自分が心に止めておきたいと思う言葉を書いています。

「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来(このかた)、常に没し、常に流転して、出離の縁あることなし」          
『教行信証』二種深心 聖典P215

この言葉は、何度も何度も書きました。
ちなみに去年(2017年)は

「其れ、三宝に帰りまつらずは 何をもつてか 枉(まが)れるを 直さん」
(枉る=邪見、驕慢)                     『17条憲法』

今年は
「臨終まつことなし 来迎たのむことなし
信心のさだまる時 往生またさだまるなり」             『末燈鈔』

でした。
手帳を実質使い出すのは、年が明けてからです。
それまでに、この新しい手帳にどんな言葉を書こうか見つけ出すのが楽しみです。
何だかんだと言っても、究極、私の最大の関心事は、私自身なのです。
いくつになっても外ばかりに目がいく私に、呼びかけ、自分を目覚ましてくれる言葉。
そんな言葉に出遇い続けて、生きていきたいと思っています。
「仏教は、人間奪還の運動である」
  

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2019年01月04日

お庫裡から 2018年10月



時々、「ご朱印をください」と来られる方があります。うちは、浄土真宗、大谷派、東本願寺の末寺でご朱印はしていません。
が、守綱寺にお参り下さった印として、日付・寺名を書かせていただきます。
その日、50代と思われる女性が朱印を求めて来られました。
ご朱印帳に「南無阿弥陀仏」「あなたはあなたに成ればいい。あなたはあなたで在ればいい(釈尊)」「守綱寺」と書いて、お渡しする時その方の様子が気になり「少しお話していかれませんか」と座ぶとんをすすめました。
話しては涙、ふいては涙、涙、涙の会話から聞き取れたことは、下宿して、大学浪人中の20歳の息子の「こんなに苦しいなら、死んだ方がましか」と発した言葉に、母親なのに「そうだね」と言ってしまった。
「私の言葉で、もし息子が死んでしまったらどうしよう」と、ご朱印をもらい歩かれる、その方の事情もわかってきました。
「息子さんが生まれた時、嬉しかったですか」
「はい、それはもう」
「成長する息子さんが生きる励みになっていませんか」
「はい。小さい時は本当にいい子で」
「評価ではなく、息子さんがいてくれた、そのことは」
「私の張り合いでした」
「じゃあ、息子さんにそれを伝えて下さい」
「今、息子は自分の用件のみ、一方的に言うだけで、私の言うことを聞きません」
「じゃあ、手紙は」
「読まないかもしれない」
「一度も書かないうちから決めつけないで。息子さんに、あなたが生まれてくれて嬉しかった。あなたの存在が私の張り合いだったと、20年間伝えてないのでしょ。息子さんの生きているうちに、そして、あなたの生きているうちに、そのことを伝えなくて、いつ伝えるの。何度でも、何度でも、読んでもらえるまで書き続けて下さい。それは、ご朱印より先決では」
「そうですね、やってみます」
と重い腰を上げ、少し微笑んだその方に、
「心がいっぱいいっぱいになったら、また、話しに来て下さい」
と声をかけ、見送りました。
  

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2019年01月04日

お庫裡から 2018年9月



夏休みが終わると、今年の終わりが駆け足でやってきます。時を追っかけるのに一生懸命で、身も時と共に変化していることになかなか気づけません。
我が家の夏休み、大きな変化がありました。
私は夏休み前に、脚立の失敗で踵を強打しました。それが案外と長引き、かばう姿勢が膝や腰の痛みを引っ張り出し、孫に「おばあちゃん、プールに行こう」とねだられたら、どう断ろうと思っていました。
おかしいのです。
夏休みに入り、高一・中二、小五の三人の孫が家の中に居るのに、静かなのです。
子供のキャンキャラ、キャンキャラという声が家の中から聞こえてこないのです。
部屋をのぞくとちゃんと居るし、兄妹で遊んでいる姿も見かけるのです。でも静かなのです。
プールの心配をした孫は、友達と誘い合ってプールに行くし、お風呂も一緒に入らなくなりました。
ああ、大きくなったんだ、三人とも。
「あ痛たたた」「あ痛たたた」と腰を曲げて歩いていたら、夫が、「お母さんそっくりに成ってきたなぁ」と言いました。
私は、正真正銘のおばあちゃんになっていたのです。
捨てきれずに持っていた昔の真っ赤なスカート、若くなった気分でルンルン。
時々「あ痛たたた」。
人間の心って複雑。私の心も難儀。だから法が聞ける。
  

Posted by 守綱寺 at 15:33Comments(0)お庫裡から

2019年01月04日

お庫裡から 2018年8月



酷暑、猛暑、激暑、暑い日が続いています。連日、老人が熱中症や事故で搬送されるニュースが新聞に載ります。
「年寄りは、自分が老人だと解っとらないかん」と批判的な目で新聞を手にして、ギョ!「71歳の老人」、エー、私と同じ齢。私は自分のことをよっぽど若いと思いこんでいるようです。
それを打ちのめすようなことが、時々起こります。
のんびりした一日、冬の間着た着物が乱雑になっていたので、着物箪笥の整理をしました。
箪笥の上にも物は置いてあるのですが、その上に記憶の無い箱がわずかに紐をのぞかせて置いてあります。
箪笥の整理を終えると、その箱が何か確かめようと、三脚を持ってきました。
つい最近友人から、脚立に留め金をせず乗って、脚立と一緒に落ちてひどい目に遭った、と聞いたばかり。
「あの人は、ちょっと横着したんだよね。脚立は留め金が命なのよ」そんな批判者のようなセリフを頭に浮かべながら、留め金をかけました。かかっているつもりでした。しかし、確認を怠りました。
(ここが私の最大の欠点であるのです)
とんとんと三脚に足をかけ、天板の上に立った途端、脚立が開脚、何事と思う間もなく、天板ごと下に落ちました。
その痛いこと痛いこと。
自分の不始末は、全部我が身にふりかかってくるのですね。
幸い、骨に異常は無く、打ち身のみ。確かめたかった箱はただの空き箱。
「あーあ、耄碌した」、これから何度このセリフを口にするのでしょうか。
  

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