2024年03月11日
お庫裡から 2024年3月
私は毎月、境内の8ヶ所に古いカレンダーの裏を使ってことば(お寺が伝えたいこと)を書いて、掲示しています。
年があらたまると、何人かの方から「掲示板に使ってください」と大きめのカレンダーをいただきます。
「ああ、掲示板に関心を持っていてくださる」と、それが嬉しくて、入寺以来、止めずに掲示板を書き続けてきました。
一ヶ月は、掲示板に書くことばを探す一月でもあります。
その為に新聞を読み、本を読みます。小説は交流館で借りてきます。
私の人生は一度きりですが、小説はどんな時代にも、世界中のあらゆる場所へ、年令も様々な主人公と一体になって、私を連れて行ってくれます。
たくさんの人生を追体験させてくれる小説が、私は大好きなのです。本は手当たり次第、作者も名前を知らない人が多いです。
一生懸命読み終えても、なんだという本もありますが、時々、感動する本に出会うことがあります。
そんな本は、主人公に「仏法に通ずる世界」を語らせ、「念仏者のせりふ」を言わせているのです。
仏教書ではない小説でそんなことを感じるのは、仏教とは何も特別なものではない、ということでしょう。
人間であれば必ず出遇わなければならぬ真(まこと)、人生を深く見つめれば自ずと見出されてくる智慧、それが仏法だと思います。
親鸞聖人は晩年「弥陀仏は自然(じねん)のようをしらせんりょうなり」(ナムアミダブツは本来そうであるハタラキを知らせる手段です)と書いておられます。
それを私は平生忘れています。
掲示板の仕事は、私が眠り込まぬように「仏=目覚めよ」とのお与えであります。
2024年02月15日
お庫裡から 2024年2月
『正信偈』は「帰命無量寿如来 南無不可思議光」で始まります。
この二句は、お釈迦様のお覚り、ナムアミダブツ(インドの言葉)の内容を中国の曇鸞大師が「帰命尽十方無碍光如来」と、インドの天親菩薩が「南無不可思議光如来」といただかれたのです。
親鸞聖人が『正信偈』を作られる時、「尽十方無碍光如来」を、その言葉の書かれている『無量寿経』の「無量寿」を使われ、「南無不可思議光如来」からは「如来」の字を取って七言の偈にされたと聞いております。
ちなみに聖人は、このお二人から親鸞と名告られたのです。
さて、「帰命無量寿如来」を意訳すると(仏法を聞く時はいつも私が対象です)、尚子よ、命に帰ってみよ、お前が誕生するまでに、どれ程の命の伝達があったか、気が遠くなる程だ。その集大成がお前なのだ。
途中のどこかで一つ欠けてもお前はいない。
今、生まれて生きているのは、無量寿の願い(真=如)が私となっている(来)。
だから身(命)を頂いた事は尊い。しかし身は借り物なので、必ず返さねばならない。
かつて検事総長までされた方が「人間死ねばゴミになる」という本を出されました。
その頃乳癌を患っておられた北海道の鈴木章子さんは「あなたは後に残された妻や子にゴミを拝めとおっしゃるのですか」と痛烈な批判をされました。
彼女は死が近づいた時、夫や4人の子、親しい人、一人一人の名をあげ、「私は○○さんのナムアミダブツになります」「私は○○ちゃんのナムアミダブツになります」と語られ、「人間死ねば仏になる」ことを示し、47才でお浄土に還られました。
お仏壇の灯明の上に下がっているお飾りは瓔珞(ようらく)と言い、私に先立ってお浄土に還られた方が、蓮の芭になって、私に念仏を促している姿だと教えられています。
念仏申すのは私ですが、ナムアミダブツのことばは、常に「お前はどこに立っているのだ」と問い続け(不可思議光)、私の本性(思い通りにしたい、勝ちたい、誉められたい)があばかれて、頭が下がった時(ナム)、よく気づけたねと喜んでくださる世界(浄土)を感ずるのです。
生も死もなむだみだぶつ。
「死んだらどうなるのですか」と問うてくださった方へのご返事。
2024年01月09日
お庫裡から 2024年1月
あけましておめでとうございます。
77才のお正月を迎えました。
人生は一回こっきりで、生まれ落ちたその時から、いつも初体験の連続で、死ぬまでを過ぎていきます。
しかし、私達はその事にほとんどが無関心で過ぎていきます。
まわりを見たり、聞いたり、また教えられて、次に自分に何が来るのか、おおよそ予測がつき、対策を立てたり、心の準備をしてやり過ごしているうち、慢心というか慣れというか、自分の人生だいたいこんなもんやとわかったつもりになってしまうのです。
77才という年齢となり、後どれくらいかと私に残されたいのちの長さを思います。
初体験の老後の時間を、私はどう生きたいのだろう、その事が問題となってきました。
趣味は色々あります。
俳句にコーラス、読書に洋裁、詰め将棋にピアノ、お花にお茶、私を遊ばせてくれるものはいっぱいです。
「趣味は何でも、いくつ有ってもいい。でもそれだけでいいのか」胸の奥からこんな問いが湧いてきます。
V.E.フランクル著「夜と霧」の中に「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ」と言う人に「人生が何をわれわれから期待しているかが問題」とあります。
老いさらばえて、死が訪れるまで、私の初体験の人生は続きます。
生きている事実は、私を生かしているハタラキから、そこをあなたはどう生きてくれますか、と問われているのでしょう。
私はそこを生きたい。
「自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾にこの現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり」清沢満之
本年もどうぞよろしくお願い致します。
2023年12月26日
お庫裡から 2023年12月
ある朝、電話がかかってきました。
「ほら、私○○です。もう30年以上になりますか。娘達がお寺で結婚式を挙げさせてもらって」
そうそう、この方は偶然お寺の前を通られ、こんな雰囲気の所で娘達の結婚式を挙げさせたいと思い立たれたのです。
私共も快諾し、当時小学生だった三女の有子と友だちの佑樹くんを雄蝶・雌蝶に、みのりコーラスも祝婚歌を歌って、思い出深い結婚式でした。
その後、私のやっている読書会に何年か来ておられましたが、お家の都合でここ何年かはお会いしていませんでした。
近況報告の後、「私ね、親鸞聖人の教えに遇わせて頂いて、本当に良かったです。
私の人生、ここまで色々ありましたが、教えに遇ったお陰で、この身に起こったことが何一つ無駄でなかったのです。
私の中にね、懺悔の気持ちが起きると世界が180度ひっくり返りますもんね。
だからといって、私は相変わらず腹も立つし、怒りもするんですけどね」何回も何回も教えに出会った喜びを語られ、再会を約束して電話を切りました。
私は月にいくつかの読書会(おしゃべり会)を持っています。
長く続けていると私だけでなく、来ている方も老齢となり、諸事情で人数が減ってきます。
そんな中で「そんな会、私も行きたい」と新しく若い方が加わってくださる会もあります。
おいしい物を食べると、他人(ひと)に「これおいしいよ」と教えたくなるように、仏法に触れた人が、新しい方に声をかけ誘ってくださる、これが仏法の伝わり方なんだと思います。
私に係わってくださる方総力をあげて「尚子さん、あなたは仏法をどう頂いているのですか」と問い続けてくださっています。
何か聞こえてくるのか。
だから人生、いくつになっても面白い。
2023年12月26日
お庫裡から 2023年11月
久しぶりにお会いした方から、「大きな手術をされて、その後は如何ですか」と尋ねられ、あの手術から丁度1年が経ったと振り返ります。
私が歩けなくなるような痛みに襲われたのは70代に入る直前でした。
その痛みが年々に頻繁となり、手術にふみ切ったのです。
脊柱管狭窄症の類です。
手術に践みきるまでの6年で動きが鈍くなっている分、足腰の筋力も衰え、手術してすぐ劇的に痛みが無くなったという訳ではなかったのですが、生活をしているうちに、あれ、あれ、という具合に痛みが少なくなり、今では痛みなく歩けるようになっています。
ご心配くださった皆さん、ありがとうございます。
しかし、私が思い描くように元気に走り回って仕事が出来るという訳ではありません。
何より私はすっかり老人になっていました。
人間という者は、目が外を向いているので我が身が見えず、思わぬ失敗や笑い話のような事を仕出かします。
私が歩けるようになった事を見透かしたように、中学の時の友人が名古屋へ来ると連絡をくれました。
久しぶりに会った私たちは、お互いを見つめ合い「ちっとも変わってないね」「ちょっと、私達って、二人とも年齢より若く見えるよね」なんて言い合い、地下鉄に乗ると、若いお姉さんがさっと席を立ち、私達に「どうぞ」と譲ってくれたのです。
たった2駅なのに、私達は喜んでどっこいしょと座らせてもらいました。
こんな事も生きておればこそ、元気でおればこそ。
今を嬉しく生かせてもらいます。
2023年12月26日
お庫裡から 2023年10月
部活に熱を上げ、元気一杯楽しそうに家を飛び出して行く高校生の在ちゃんを見ていると、ついつい自分の高校生時代を思い出す。
入学して初めて出来た友だちは、入学試験の直前、突然の病で38歳の父を亡くしていました。
そして「双児の片割れは40歳まで生きられないんだってね」と言ったのです。
その言葉を聞いた双児の片割れの私は、「そうか、私は40歳までしか生きられないのか」と思いました。
卒業式の近い日、母が40歳になりました。
「エー!40歳ってこんなに若いの。イヤだイヤだ、40で死ぬなんて。」
同じく高一の夏に聞いた内観のことば「そういう自分はどうや」を私は本当の自分でない付けている衣の猛烈な比較を始めました。
そこで見えたのは、無い無い尽くしの私、こんな私は何故生まれてきたのか、新たな苦悩が始まりました。
青春時代に始まった二つの苦は、その後の60年を実に意義深く実り多い歩みを私に与えてくれました。
一番大きいのは、私の転換、私と思っていたものは仮であったということです。
本体(真)の私(無限)私を成り立たせている総てのハタラキ
全宇宙の全協力
身 の私(有限)全宇宙の全協力の上に生まれる縁が熟し
この世に誕生、本体のある事の証明者。
本性(仮) 身をこの世に頂き生きていて、はじめて
私という私がある。上の2つがなければ
私そのものがない。
本性の私とは、日頃私と思っているそれです。
その私は心の底に思い通りにしたい、勝ちたい、誉められたいという拳を握っています。
だからどうなっても苦しむのです。
40歳で死ぬのはイヤだと苦しんだ私は、来月喜寿を迎えます。
相変わらす本性は本性ですから、無くなることなくあちらこちらに頭をぶつけます。
その時、そういうお前はどうやとお念仏が届いてくださり、一瞬、本体(正気)に戻れるのです。
(無量寿を思ふ心に死を超えて生も思わずただ朗らかに ―暁烏 敏―)
2023年09月13日
お庫裡から 2023年9月
8月に入ると、私はそわそわ。東京組はいつ帰ってくるんだろう。ふとんは何枚用意すればいいんだろう。
そんな準備を邪魔するように、動きの遅い台風7号、ふとんが干せない。
私のあせりに頓着なく11日がきて、東京組がやってきました。
まず、開くん。
次女(量子)に手を引かれてのの葉(7才)と沙智(5才)。
大量の荷物を抱えた三女(有子)。
三女宅にホームステイしているタイの留学高校生ジャーパン(17才)。以上6人。
我家の日常は6人家族なのに、倍にふくれあがったのです。
それからの一週間。
小学1年と年中さんの孫はすっかり大きくなり、私の手をわずらわすことはありません。
それに相手をしてくれるお兄ちゃん、お姉ちゃんがいるのですから、家の中でじっとなんかしておりません。
十分遊んで17日、帰京する車のドアが閉まると同時に、私の口から「ヤレヤレ」と言葉が出たのです。
孫が生まれて帰省した中で、今年が一番孫と関わらなかった年です。
それなのに「ヤレヤレ」という私。
大人ばかり6人の生活に慣れた私には、視界の中に絶えず動きまわる子どもの姿があるということ、子どものかん高い声がいつもどこかで響いているということが「ヤレヤレ」という言葉の出てきた大本。
また私の老人力がレベルアップしたということで納得。
時は一刻も止まってはいない。
2023年09月13日
お庫裡から 2023年8月
7月23日のミニコンサート、まだ先、まだ先と思っていたのに、どんどん日が過ぎ、いよいよ当日の朝を迎えました。
平素私はたいへん遅起きなのに、なぜか今日はなんと午前2時に目が覚めてしまいました。
起きるには早過ぎる時間、横になって目をつぶっていると、今日歌う歌が頭の中を流れ出します。
全曲暗譜したと思っていたのに、アレ、ここはどうだっけ、アレ、ここは、アレ、アレと、不安材料が次々出てきます。
この期に及んで困った事態です。
朝起き出して一番は楽譜の確認、リハーサルで再確認。
そしていよいよ、本番の舞台が始まりました。
平田聖子先生の力の入った指揮、テノールの大久保亮さんの艶のある伸びやかな声、緩急豊かに表現される松本成美さんのピアノ、そして毎月みのりコーラスを指導してくださる加藤友佳さん、伴奏の山田遙香さんがコーラスに加わってくださり、今までにない華やかな舞台になりました。
歌い終えて舞台をおりると、メンバーのみんなが、歌いきった満足と、この舞台に立てた感動で涙を流しています。周りから「いい舞台だったね」「みのりさん上手だったよ」と声をかけられ、ますます涙が止まりません。
客席にいた在ちゃんが周りの声を拾ってくれました。
「みんなよく声が出ていて上手だったね」「うちもナンマンダブツなんだよ」「初めてだけどこんな曲もいいね」「みんな楽しそうに歌っていたね」等。
30分の舞台で何度「なんまんだぶつ」が出たか、数えきれません。
「キリエ」や「アーメン」の曲と同じように、普通のコンサートで「なむあみだぶつ」の曲が歌われるようになるといいなと思います。
今回のことを通して、私はなんと素晴らしい仲間、人々に恵まれていることか、舞台の余韻と共に、深い感動を味わっているのです。
2023年09月13日
お庫裡から 2023年7月
お寺のみのりコーラスは、市の合唱連盟に加入しています。
連盟では毎年7月に、駅前・参合館コンサートホールで交歓会を行っています。
発表はどのグループも15分なのですが、その中の1組が順番で、30分のミニコンサートという時間をいただきます。
今年は、みのりコーラスがその30分枠をいただくことになりました。
14・5人の弱小のみのりコーラスがコンサートホールで30分の演奏をさせていただくということは、千載一遇のチャンス。
演目は、日頃馴染んでいる和讃曲等、仏教の宗教音楽でと、平田聖子先生とご相談して決めました。
平田先生は、お念仏の教えを喜んでおられる岡崎在住の作曲家で、親鸞聖人の和讃や、蓮如聖人のお手紙(お文)を作曲されています。
ソリストにテノールの大久保亮さん、伴奏にピアニストの松本成美さんをお招きし、指揮は作曲者の平田聖子さんという豪華なものとなります。
和讃曲は6曲歌いますが、その中の2曲「経道滅尽ときいたり」「清風宝樹をふくときは」は、守綱寺が平田先生に依頼し作っていただいた曲です。
そして「白骨のお文」(白骨章)の曲は、前住職も一部朗読で舞台に上がります。
このようにすごく力の入った舞台です。
どうぞ皆様、是非是非、この晴れ舞台を聴きにいらしてください。
2023年06月16日
お庫裡から 2023年6月
今年も早や折り返しの月を迎えました。
自分ではしっかりしているつもりでも、つもりはやはり、思い込みに過ぎないと知らされる出来事がありました。
冬に枇杷の花が咲いているのを見つけ、よーし今年こそ鵯に食べられぬよう袋がけしようと思いました。
5月初め、松平JAへ花苗を買いに行った時、そこで枇杷を包む袋が売られているのを見つけました。「よーし、やった。これで今年は美味しい枇杷が食べられるぞ」ワクワクして、1包み(30枚入り)でいいものを、失敗するかもしれないと2包みも買いました。準備万端。
いよいよ実が大きくなりだし、そろそろ袋がけしようと思ったら、あの買った枇杷袋がないのです。オレンジ色をしていたので、そう見落とすはずはないと思うし、目立つようにと何かに立てかけたという記憶はあるのです。それがない。もう一週間以上探しています。立てかけたというのは思い込みで、机の上の新聞や広告と一緒に出してしまったのかもしれません。たぶんそうなんでしょう、あーあ。
最近、一日に2つ以上の用事をこなそうとしているのに、1つを忘れる事が頻発。これは私の気の散漫によるものなのか、老人性の呆けというものなのか。
日常の用事は忘れてもそれだけのことだけど、私はこの世に何をしに来たのか、という大きな課題(後生の一大事)が、我が身から我が思いを破って、現実にうなずき、そこに立たしめてくれる。