2023年06月10日

お庫裡から 2023年5月


新学期が始まりました。
高校生になった在ちゃん、大学生の誓くん、2人共に毎日が新しい体験の連続です。
夕食の時間は2人の体験報告会です。
在ちゃんは「高校は中学とは全然違うー」と、毎日興奮気味。「先生があれこれ」「クラスメートがあれこれ」「今日は○○があって、あれこれ」「お弁当の時間にあれこれ」話し出したら止まることがありません。
誓くんは、時々手を挙げて「僕にも話させてくれん」と、在ちゃんの話の中に割り込みます。
「八事駅の乗り換えで、名城線が満員で乗り込めず、一台遅らせたら、一限目に走って走ってギリギリ間に合った」とか、「歩いていたら南山大学に出たので、知ってる人がいるかなーって学内を歩いていたら、本当に知ってる人がいた」とか「学食に行ったら棚はほとんど空っぽで、やっと最後の一つにありついた」とか、こちらもおもしろい話ばかりで、今日は2人からどんな話を聞かせてもらえるのか、毎日の夕食時が楽しみです。
しかし、こんな時間もそのうちに、こちらが「今日は何かあった」と聞いても「別にー」と生返事が返ってくるだけになるかもしれませんし、夕食に間に合わず、顔を合わさない日も増えてくることでしょう。
諸行無常です。そのことをしっかり踏まえておかねばなりません。
縁は前から。
生きておればどんなご縁に遇わせていただくのやら。
今の時を楽しまんかな。

  

Posted by 守綱寺 at 10:52Comments(0)お庫裡から

2023年06月10日

今日も快晴!? 2023年5月


3月に、音楽家・アーティストの坂本龍一さんが亡くなられました。
ミュージシャンとしての活躍はもちろん、環境問題や憲法をはじめとした諸問題に関する運動に積極的に参加・発信された方でした。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から12年となったことに合わせ、坂本さんが東京新聞に寄稿された文章があります。
直腸ガンとの闘病の最中に、最後の力を振り絞って届けて下さったメッセージを是非紹介したいと思います。
「2011年の原発事故から12年、人々の記憶は薄れているかもしれないけれど、いつまでたっても原発は危険だ。いやむしろ時間が経てば経つほど危険性は増す。コンクリートの劣化、人為的ミスの可能性の増大、他国からのテロやミサイル攻撃の可能性など。なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう。ロシアによるエネルギー危機を契機にヨーロッパの国々では一時的に化石燃料に依存しながらも、持続可能エネルギーへの投資が飛躍的に伸びているというのに。わが国では、なぜ未完成で最も危険な発電方法を推進しようとするのか分からない。発電によってうまれる放射性廃棄物の処理の仕方が未解決で増えるばかり。埋める場所もない。事故の汚染水・処理水も増えるばかり。事故のリスクはこれからも続く。それなのに何かいいことがあるのだろうか。世界一の地震国で国民を危険にさらし、自分たちの首もしめるというのに、そこまで執着するのはなぜだろう。」
また、2020年5月の「朝日新聞デジタル」に掲載された「『芸術なんて役に立たない』そうですけど、それが何か?」という見出しのエッセイも、私たちの社会がどんな方向に向かうのか、考えさせられるものでした。
「でもね、根本的には人間にとって必要だからとか、役に立つから保護するという発想ではダメです。芸術なんてものは、おなかを満たしてくれるわけではない。お金を生み出すかどうかも分からない。誰かに勇気を与えるためにあるわけでもない。例えば音楽の感動なんてものは、ある意味では個々人の誤解の産物です。理解は誤解。何に感動するかなんて人によって違うし、同じ曲を別の機会に聴いたらまったく気持ちが動かないことだってある」、「僕自身、音楽を聴いて癒やされることはありますよ。でも、それは音楽自体が力を持っているということではない。僕の音楽に力なんてないですよ。何かの役に立つこともない。役に立ってたまるか、とすら思います」
かつてナチス・ドイツはワーグナーの音楽を国民総動員に利用するとともに、ゲルマン精神の涵養に役立つ芸術とそうではない芸術を峻別した。芸術に体制賛美を担わせ目的に沿う作品のみを支援したのは、戦時中の日本や旧社会主義圏の国々も同様だ。
「そういう悪い見本が近い過去にあるんです。文化芸術なんてものは、必要があって存在するわけではないと思った方がいい。だから、行政の側が支援対象を内容で選別することはもちろん、作り手側が、何かに役立とうとか、誰かに力を与えようなんて思うことも本当に不遜で、あってはならないことだと思います」、「芸術なんていうものは、何の目的もないんですよ。ただ好きだから、やりたいからやってるんです。ホモサピエンスは、そうやって何万年も芸術を愛(め)でてきたんです。それでいいじゃないですか」



  

Posted by 守綱寺 at 10:50Comments(0)お庫裡から

2023年06月10日

お庫裡から 2023年4月



例年より早く咲き始めた桜、我家にも見事、2輪咲きました。
末っ子のありちゃんが豊田西高に進むことは、先回お知らせしました。
大学受験の誓くんは、名古屋大学の文学部に合格です。
彼は小さい頃から空想好きで、自分の世界へ入ってしまうので、やる気のない子と思われる節があり、小学生の頃から「誓くんのやる気スイッチは、いつ入るんだろう」と言われ続けてきました。
本人は自分の世界を持っているので、目立つことは嫌い、面倒なことも嫌い(手抜きが好き)なのです。
中学の時は、2歳上の兄(開くん)を見て「成績が上位にならないよう努力した」と言いました。
高校に入って、あるテストの結果が出た時、夢見顔をして「ぼく生まれて初めて1番とったー」と報告してくれました(国語が学年で1番だったのです)。
思えばその時に、誓くんのやる気スイッチが入っていたのかもしれません。
「誓くんの部屋からは、ギター弾いて歌っている声しか聞こえない」と在ちゃんに言われ、「いつ見てもふとんかぶって寝てる」と親にいわれても、塾にも行かず、マイペースを貫きました。
一校しか受けなかったので、3月9日午後3時の合格発表まで心落ち着かぬ日々でした。
心配気な私に誓くんは「おばあちゃん、合否は大学が決めることだから、発表前に僕等があれこれ心配するのは無駄なことだよ」と言ったのです。
本人も自分にそう言い聞かせていたのかもしれません。
家(自宅)から通う大学生になった誓くんから、どんなユニークな言葉が生まれるのか、これからも楽しみなことです。

  

Posted by 守綱寺 at 10:07Comments(0)お庫裡から

2023年04月03日

お庫裡から 2023年3月


あれよ、あれよと言っているうち、早や3月に入りました。
今年の3月は、内孫の次男・誓くんが豊田西高校を卒業。
只今、大学の結果待ち。
(エ!浪人もありなの?)順調ならば、大学生に。
誓くんと言えば、忘れられない思い出が。
確かまだ保育園に入る前のこと。
「ナルニア国物語」にすっかりはまり、ふろしきのマントを首に、ラップの中の心棒を剣に、ティッシュの空箱を盾に、「ぼくのことをエドマンドと呼んで」と石の上で、中世の騎士になり切ってポーズを取っていた、あの空想好きの誓くんが、もう18才(3月2日生まれ)。感慨深いものがあります。
3番目の在ちゃんは、高橋中学校を卒業、早々と推薦で誓くんと同じ豊田西高校に入学を決めました。
そして外孫の東京にいるのの葉ちゃんも、卒園して小学校に入学します。
5人の孫のうち3人が(うまくいけば)1年生になります。
長男の孫・開くん(早稲田の理工学部)は今年成人式だったので、おばあちゃんのとぼしい財布は口が開きっぱなし。
これもうれしい悲鳴。
順調に過ぎていくと、ついつい、こんなこと当たり前だと思いがちですが、当たり前であることが、当たり前にあることが、どんなに希有なことか。
ウクライナを始めとする世界のニュースから、身近に起こる出来事の中からも、教えられます。


  

Posted by 守綱寺 at 10:01Comments(0)お庫裡から

2023年02月20日

お庫裡から 2023年2月


NHKの大河ドラマ「どうする家康」が始まりました。
なんとわが守綱寺は、三河一向一揆で家康に刃向かった一向宗の大将、渡辺高綱の子、一揆平定後に家康の家来となり、又、その家康を支えた家来16神将に数えられる渡辺半蔵守綱、その名がお寺の名前となっているのです。
家康と同年齢の守綱は槍の名手で、槍の半蔵と呼ばれ、家康の信頼も厚かったと聞いております。
家来の中にいた門徒さんたちは、皆、家康と同じ浄土宗に改宗されたようですが、渡辺さんは信仰を捨てなかったのです。
尾張徳川家を立てた時、犬山の成瀬、海津の竹腰と共に、渡辺家は軍事担当家老として高橋の庄(中心が寺部)を拝領、そこに墓所を作りました。
そうそう、寺部は家康の初陣勝利の場所です。そこを拝領したのです。
1639年、それまで横山御堂と呼ばれていた寺を守綱寺と改め、1644年、守綱さんの23回忌法要に合わせ、二代重綱、三代治綱さんが京都伏見城の軍議評定所を本堂に移築、山門、鐘楼、太鼓堂と伽藍が整備されました。
その後、一度も建て代わっていないので、本堂等4点は379年の歴史を見てきたことになります。
明治以降の荒廃で寺には何も残っておりませんが、本堂内陣のうぐいす張り、桃山様式と思われる欄間、狩野派の手になる大襖に、当時が偲ばれます。
この広い本堂に座ると、どうぞ南無阿弥陀仏のおいわれを聞いてくれよ、という渡辺家三代の願いが今も脈々と流れているのを感じます。
ドラマで守綱さんがどのように描かれるかも、興味のあるところです。

  

Posted by 守綱寺 at 16:50Comments(0)お庫裡から

2023年02月20日

お庫裡から 2023年1月


あけまして、おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

暮れのある日のこと。
「どお、元気?」と、久しぶりに短大の友人からの電話。
四方山話を交わしながら、年齢の話に。
「ちょっと、私たち、来年には喜寿になるんだよ」
「ヒェー、77才」
「77才、喜寿だって。すごいねー。よーくここまで生きてこられたよね、私たち」
「若い時は、77才って、すごいおばあさんだと思ってた」
「まだ76才になったところだから(2人とも11月生まれ)か、自分たちは、自分をまだそんな年寄りだと思ってないよね」
「いや違う。私、糖尿の気があって、大好きだった甘い物を控えたら、5Kgも痩せて、シワも増えておばあさんになっちゃった」
「そうかー、身の事実は、思いを越えているんだね」
「私たち、もう残り時間、少ないね」
「お迎えがあるってことは必然だけど、死ぬ縁は無量、何時、何処で、どんな形のお迎えか、おまかせより仕様がないね」
「これから先、生きた分だけ嬉しいことに遇えるかもしれないし、生きた分、悲しいことに遇うかもしれない。『頂いたいのち、生きて在ることを喜ぼう』と生きようよ」
南無阿弥陀仏と手を合わせ、新しい年をスタートです。

  

Posted by 守綱寺 at 16:48Comments(0)お庫裡から

2022年12月20日

お庫裡から 2022年12月


退院から40日、嬉しさと不安、心配がこの間を行ったり来たりの日々でした。
深い海の淵からやってくるような足の痛み、その痛みが襲わないかという不安、それらは、手術できれいになくなりました。
歩いても痛みで立ち止まるということはありません。
嬉しくて、気分はいつもハイテンション。
その分、制御のきかぬ自分に不安、動くとその後にくる痛みに心配。先生のことばがブレーキです。
「あなたの手術は2ヶ所です。背骨の間のはみ出た軟骨を洗い落とし、そこへ骨盤の骨を少し入れました。もう一つは、背骨の3、4、5番の歪みをアンカで固定させています。重い物を持ったり、腰に無理をすると、アンカのボルトがゆるんだりはずれることもあります。その時は、もう一度手術することになります。」
「もう一度、手術する」ということばに怯えているのです。
幸い、痛みで病院へ駆け込むということはないので、順調に回復しているのだと思います。
自分で動いていると思っても、他から見れば、私はまだヨタヨタ歩きをしているに過ぎないし、固いコルセット付きなので、十分なことはやれていないのです。
そんな中で報恩講も勤まりました。
動けぬなら動けぬままに、多くの皆様に助けられ、支えられて生きている。
そのことにうなずけて嬉しい。そう喜んでいる下から、私我(わたしが)というものが顔を出してくる。
このやっかいな尚子という者から私は目が離せない。
老いて尚、課題は深く大きい。「自己とは何ぞや」


  

Posted by 守綱寺 at 14:00Comments(0)お庫裡から

2022年11月07日

お庫裡から 2022年11月


9月27日、朝8時15分、手術室へ入りました。
「今から麻酔の注射しますよ」と聞いた瞬間、意識がなくなりました。
身体中にフラッシュが焚かれたような感じがしたとき、遠くの方から「渡辺さん、手術は終わりましたよ」「わかりますか」と声がしました。
10時間の手術だったそうです。
術後の2日間は、熱と痛さに喘ぐ苦しい時間でした。
喘ぎながら、ふと戦争中、戦場で、内地で、負傷した人々のことを思いました。
設備も医療品も医療従事者も少ない中、負傷者の苦痛は耐え難く、絶望的ではなかったのか、と。
それに比べ私は、今の最先端の医療を受けている。
でも、苦しいものは苦しい。
「苦しければ大きな声で呻いていいよ」「生死のことは、おまかせ」そんな声が聞こえたような気がしました。
その2晩を境に、一日一日、薄皮をむくように、身体が回復していくのが自分でも良くわかりました。
車椅子から歩行器へ、そして今は杖を使って歩いています。
リハビリの甲斐もあり、予定より早く、10月21日に無事退院することができました。
皆様、ご心配いただきありがとうございました。
家に帰っても、生活そのものがリハビリなので無理はできません。
プラスチックで作ったコルセットが取れて、初めて完治なのです。
一年先なのか、半年で済むのか、早ければ三ヶ月?歩くのに支障をきたすようになって手術となり、手術の甲斐あって歩行に痛みは無くなったのに、文句たれのこの私、今後この口が何を言い出すのやら、「それも見もの」ともう一人の私が手薬煉引いて待っています。

  

Posted by 守綱寺 at 14:20Comments(0)お庫裡から

2022年10月11日

お庫裡から 2022年10月


自分のことなのに、どこか他人事のように聞いていた。
脊柱管狭窄症の入院・手術が目前となった(入院9/26・手術9/27)。
9月半ばから検査だ、面談だ、説明だと、何度も病院に通うことになった。
先生方に何を話されても、「はぁ、そうですか」「はぁ、そうなんですね」「おまかせします」それしか言えない。
「入院は一ヶ月みておいてください」ここでも他人事みたいに「はい」と生返事。
実際に何が行われるのか、体験したことがないので、想像ができない。
一ヶ月家を空けることになると、入院のことよりも留守にする家のことの方が気に掛かる。
入院の持ち物リストを読んでいるのに、心は上の空。
入院する10月は、気候もよく外仕事も内仕事もいちばんはかどるいい季節なのに。
十分身体がまわらないので入院・手術という段取りになったのに、この期に及んで、まだ頭は家中を走りまわる自分を掴んだままでいる。
今月の掲示板のことば「脳(自分)と身体は別もの」に深くうなずかされる。
「狭窄による痛みは、手術で全部取れます」と言われる先生に全てをおまかせして手術に臨みます。
「成ったあなたを生きればいい」と仏さまの声が聞こえる。
さて、来月はどんな私でいることやら。


  

Posted by 守綱寺 at 14:41Comments(0)お庫裡から

2022年10月11日

お庫裡から 2022年9月


「こう暑くちゃ、何もやれん」「何もやれん」と言い暮らして8月は過ぎた。
夏の暑さが、昔とは変わってきている。35度はざらで、38度、39度になる日も度々。
体温より高いのだ。暑さが異常なのだ。身体がついていかないのは当然だ。
テレビでは、水分をこまめに取り、エアコンも入れてと、熱中症への注意を呼びかけている。
ふっと思う。「やれん」「やれん」と言ってるのは、本当に暑さのせいなのか。
確かに暑い。暑いから身体を動かすのは否だ。身を動かさなくなっているのに、涼しくなったら、今、自分が思っているように、あのことも、このことも、やれるのだろうか。
「無理です」と、どこかから聞こえてくる。
私はりっぱに後期高齢者となっているのだ。
若い時と同じように動きまわれないし、何も、若い時と同じように動きまわる必要はないのだ。
自分の身に従い、やれることをやれるようにやればいい。無理をして変に若ぶらなくていい。私はもうりっぱな年寄りなのだから。
そう自分に言い聞かせながらも「そんなに早くから自分を年寄り扱いしなくてもいいんじゃないか。」という思いがどこかからムクムク湧いてくる。
これを年寄りの冷や水と言うのか。
いくつになっても煩悩の火の絶えぬことよと、自分が笑える。



  

Posted by 守綱寺 at 14:29Comments(0)お庫裡から