2018年02月08日

本堂に座って 2018年2月


毎年お正月に集まる親戚の方から、子どもたちに1冊ずつ本をいただいているのですが、今年長男がいただいたのは『ミライの授業』という本でした。
この本は少し前にネットで見かけて僕自身気になっていたもので、長男が読み終わった後さっそく借りて開いてみました。
内容は、これからの「ミライ」をつくる14歳の子どもたちに、歴史上の人物とその偉業の背景にどういう考え方・行動があったのかを紹介するものです。
今回はその中から、日本国憲法の草案作成に関わった1人の女性について書かれた部分を(長いので2ヶ月に分けて)紹介します。

わずか22歳にして日本の歴史を大きく変えた女性。
彼女は1923年、オーストリアのウィーンで生まれました。
日本人ではありません。
国籍もなかなか複雑で、ロシア(現ウクライナ)系のユダヤ人としてオーストリアに生まれ、5歳から15歳までのあいだ日本で暮らしました。
彼女の名前はベアテ・シロタ・ゴードン。彼女は日本に「男女平等」という概念をもち込み、定着させた女性です。
男尊女卑で女性が虐げられていた日本社会を、たった一行のルールでひっくり返した女性です。
ベアテの父親レオ・シロタは、世界的なピアニストでした。
彼が中国のハルビンでコンサートを開催したとき、偶然観客席にいたのが山田耕筰でした。
レオの演奏に感激した山田耕筰は、ぜひ日本にも来てほしいとお願いします。
そして1929年、レオは妻と一人娘のベアテを伴って来日します。
最終的にレオ夫妻はそのまま17年間、日本に滞在しました。
この時ベアテは5歳。
すぐに友だちをつくり3ヶ月も経たないうちに日本語をしゃべりはじめます。
両親はドイツ語、ロシア語、フランス語、そして英語を使いこなしましたが、なかなか日本語を覚えられません。
こうしてベアテは両親の「通訳」として、日本での日々を過ごすことになります。
ここでみなさんは不思議に思うかもしれません。
いったいなぜ、それほど有名な世界的ピアニスト一家が、日本で暮らすようになったのか。
その理由として、まず第一に、レオ自身が日本のことが好きだったということが挙げられます。
さらには、彼がユダヤ人であったことも大きく関係しているでしょう。
当時のヨーロッパは、世界恐慌の影響で経済が落ち込み、政治や社会全体が不穏な空気に包まれていました。
特にドイツでは、反ユダヤ主義を掲げるナチスが台頭するなど、ユダヤ人にとって暮らしにくい場所になりつつありました。
一方、日本ではユダヤ人だからといって差別されるようなことはありません。
しかし、日本に戦争の影が忍び寄り、ベアテが高校を卒業するころには、とても日本の大学への進学は考えられなくなります。
ベアテは1939年にアメリカの大学への進学を決意します。
日本とアメリカが戦争に突入する2年前のことです。
サンフランシスコの大学に留学したベアテは、成績も優秀で奨学金をもらいながら大学に通っていました。
しかし日本とアメリカの関係が悪化して、両親からの仕送りがとだえると、みずから働いて生活費を稼ぎながら大学生活を続けていきます。
ここで役立ったのが、幼いころから家庭のなかで続けてきた「通訳」の技術でした。
もともと日本語、英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語ができたことに加えて、大学ではスペイン語まで身につけたベアテ。
語学力をいかした仕事ならたくさんあります。
こうしてベアテは、学生時代から翻訳者として働き、大学卒業後には陸軍の情報部で翻訳と日本語ラジオ放送の仕事に就きます。
さらに2年後、彼女はニューヨークに移り住み、雑誌『タイム』の外国部で働きはじめました。『タイム』といえば、アメリカを代表するニュース雑誌です。
しかし、ここで彼女は厳しい現実と突きつけられます。
当時の『タイム』では、記者になれるのは男性だけで、女性はリサーチ・アシスタントという「資料探し」の仕事にしか就けなかったのです。
6カ国語をあやつり、大学での成績も優秀で、メディアで働いた経験をもっている自分が、ただ女性というだけの理由で、記者になれない。
彼女は大きな疑問を感じながらも、リサーチの仕事に全力で取り組みました。
そして1945年8月、太平洋戦争が終結すると、ベアテは両親の住む日本に帰ることを決意します。
とはいえ、終戦間もない日本では、民間外国人の入国が厳しく制限されていました。
そこでベアテは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の職員に応募し、兵士たちと一緒に「第二の故郷」である日本に入るのです。
こうして日本に入国し、無事に両親とも再会できたベアテに、思いがけない話が舞い込みます。
彼女が所属していたGHQの民政局が、あたらしい日本国憲法の草案をつくることになったというのです。
(来月号に続きます)
(『ミライの授業』瀧本哲史著 講談社発行 より引用しました。)

  

Posted by 守綱寺 at 20:00Comments(0)本堂に座って