2019年01月04日

清風 2018年12月



当流上人の御勧化の信心の一途は、つみの軽重をいわず、また妄念妄執のこころのやまずなんどいう機のあつかいをさしおきて、ただ在家止住のやからは一向にもろもろの雑行雑修のわろき執心をすて、弥陀如来の悲願に帰し、一心にうたがいなくたのむこころの一念おこるとき、すみやかに弥陀如来光明をはなちてそのひとを摂取したもうなり。
これすなわち、仏のかたよりたすけましますこころなり。またこれ、信心を如来よりあたえたもうというもこのこころなり。
されば、このうえには、たとえ名号をとなうるとも、仏たすけたまえとはおもうべからず、ただ弥陀をたのむこころの一念の信心によりて、やすく御たすけあることのかたじけなさのあまり、弥陀如来の御たすけありたる御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべきなり。
これまことの専修念仏の行者なり。これまた、当流にたつるところの一念発起平常業成ともうすも、このこころなり。あなかしこ。

本願寺8代留守職 蓮如上人作(寛正2年(1461年)蓮如上人47歳)
帖外御文 … 五帖に編集したものからもれたものが   
「帖外御文」として編集されたものと伝わる。


この「お文」で注目させられるのは、波線の部分ではないでしょうか。

親鸞聖人の言葉としては「ただ“念仏して弥陀にたすけられまいらすべしとよきひとのおおせを蒙(こうむ)りて”信ずるほかに別の子細なきなり。」(『歎異抄』第2章)と伝えられています。

上記、蓮如上人の「ただ弥陀をたのむこころの一念の信心によりて、やすく御たすけあることのかたじけなさのあまり」の文意が分かりにくいのではないでしょうか。
この文章に「やすく御たすけあることのかたじけなさ」と言われている、その「たすかる」という言葉の意味が、現代を生きる私どもには分かってしまっているのではないかと思うのです。
この場合の「たすかる」こととは、私の目の前の状況が自分の都合のいいように成ることでしょう。例えば、風邪を患っている人なら、風邪が治る…というように。

宗教といえば「たすかること」、あるいは「たすけてほしい」と願う行為と考えられているのではないでしょうか。
この御文で「このうえには、たとえ名号をとなうるとも、仏たすけたまえ(①)とはおもうべからず、ただ弥陀をたのむこころの一念の信心によりて、やすく御たすけ(②)あるかたじけなさ」とあるうち、①でいう「たすけ」と②でいわれる「たすけ」が同じなのか違うのか、同じだとすれば重複して使われている意味は何なのか、また違うなら①と②はどう違うのか、それぞれ明らかにしなければならないでしょう。

このことは、83歳男性の新聞への投書にあった「長生きはめでたいことなのか」という心配にも表れているように思わされました。
長生きは、人類が願ってきた大きな共通の願望と言えるでしょう。
しかしこの男性は83歳を過ぎて、少子高齢化対策が取り沙汰されていますが、「高齢化対策は、もっぱら、いかに支えて長生きさせるかという観点からの対策です。
これでいいのでしょうか。私も介護を受けて寝たきりになり、排泄もままならない日がくるかもしれません。
その時、そんな状態で生き長らえたくはありません。介護を拒否し、安楽になることを願います。しかし、自分で安楽になることはできません。
社会が措置してくれることを願います。これは多くの高齢者の願いではないでしょうか。皆さんは、どうお考えでしょうか。」と。
要するに、安楽死・尊厳死を社会が許容する、そういう制度の整備をして欲しいということが、この男性の願望のようです。

科学(ここでは医学と医療技術)の発達は、今や過剰な延命治療を可能にし、自然で静かな最後を拒むようになった、と言われているようです。
長生きが達成されたその時、長生きを実現した高齢者が安楽死・尊厳死を願っている…。
これが、望んできたことが実現したときにぶち当たった鉄壁でした。
思いどおりになった時、自分の身体が私の思い通りにならないという事態に直面しなければならなくなったわけです。

さて、上に挙げた①と②の「たすけ」という言葉を大切にして、仏教でいう「たすかる」について、この男性の訴えをどういう視点から考えようとしたかを、次号で明らかにできたらと思います。

  

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2019年01月04日

お庫裡から 2018年12月



首を長くして待っていた三女の第二子が、10月28日、元気な産声を上げました。
3500gの男の子で、沙智(さち)と名前がつきました。
「真宗宗歌」の一節、「身の幸」のさちの音を頂き、「さ」は親鸞聖人が「僧にあらず俗にあらず」のお手本とされた賀古の教信沙弥(きょうしんしゃみ)の沙の字を、「ち」は仏さまの智慧の智の字で沙智くんです。
自分で何も出来ない新生児が、ただそこにいるだけで光々しく、周りに優しい気持ちを抱かせ、本当に仏さまだと思わせられます。
問題は2歳半の第一子ののの葉です。
「イヤ」「ダメ」「自分で」の連発に、家中が振り回されています。
赤ん坊に主役を奪われまいとする行為とわかっていても、ついつい2歳児と同じ土俵に乗ってしまい、なんと大人気ないと恥じ入るばかりです。
2歳児は口も達者で、我が家の女王様、5年生の在ちゃんと、丁々発止とやり合い、打ち勝って、新女王の地位をスルリと手に入れてしまいました。
こんな2人を見ていると、記憶に無くても確実に私にこんな時があったのだと気づかされます。
どれだけ心を砕き、お手間をお掛けしてきたことか、どれだけお許し頂いてきたことか。
とても自分一人で大きくなったと言えない、頭の上がらない世界を小さな孫から連日見せてもらっています。

 「真宗宗歌」
1.深きみ法に遇いまつる
  身の幸何にたとうべき
  ひたすら道を聞き開き
  まことのみ宗いただかん

2.永遠(とわ)の闇より救われし
  身の幸何に比ぶべき
  六字のみ名を称えつつ
  世のなりわいにいそしまん

3.海の内外(うちと)のへだてなく
  み親の徳の尊さを
  わがはらからに伝えつつ
  浄土(みくに)の旅を共にせん

  

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2019年01月04日

今月の掲示板 2018年12月




  念仏は
  われ(我)起こしの
  金の鍬(くわ)なり

  自分を知らぬ人というものは
  何が与えられていても
  満足ということがない
  不足ばかりです

  お念仏は自分がわかること
  我々は、念仏によって我身を知らされ、
  自分を知らされることを通して
  いよいよ念仏がわかってくる

  南無阿弥陀仏を頂くことによって
  何がわかるかというと
  自分がわかるのです
 
  自分をわかった人だけが
  ありがたいと言える

  人間の世界の問題がすべて
  人間の力で解決できるように考えている
  それは妄想です、夢です。

  信仰を持つということは
  日常生活の上に
  精神生活を開くことです

  人は、裸で生まれたから
  死の時も裸であって
  何も持ってゆけない
  それは、全部娑婆での預かりものだから

  私たちが念仏するところに
  仏の摂取にあずかる
  摂取にあずかるということは
  具体的に言うと
  わが心の中心に仏の光りが宿る
  光がひとたび宿れば
  どんなに間違っておっても
  「あっ、違っておった」と
  知らせてもらえる
  それが、守って下さるということ
  

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2019年01月04日

本堂に座って 2018年12月



先々月、先月と中川先生のお話から「私を知る」ことを教えていただきました。
今月は、その前に紹介した本多雅人先生のお話から、「私」についてもう少し聞いていきたいと思います。

普通の動物園では、パンダとか、コアラとか、人気のある動物を集めて、来園者数を伸ばそうとするそうですが、この(旭山動物園の)坂東園長の考えは違うのです。
園長の言葉が次のようにあります。

動物は、そのまま死を受け入れていく。死を認めるところで生がある。人間はあらがって環境さえも変え、不都合なものに蓋をする。
さらに価値観を変化させていくんですね。
(中略)だから動物は常にお前の価値観は何だと問いかけているように思いますし、その問いかけを感じていただくのが、動物園の大切な役割だと思います。

動物は病気になったら病気のままでじっとしているらしいのです。
人間みたいに嫌なことがあったら、誰かのせいにするということはないのです。
ありのままを生きているのです。
しかし私たちは、ありのままに生きられない。
『同朋新聞』には出ていませんが、坂東園長は次のように話されました。

ありのままの中に素晴らしさやすごさがあります。
ありのままの中に尊厳を感じてほしいということを、動物園は理念にしています。人間の価値観や生き方を基準にして動物を見せるのではなく、動物のありのままの生態を通して、それがいかに尊く素晴らしいものであるかを伝える場だと考えています。
パンダやコアラでなくても、どの動物も素晴らしいのです。

これは全く仏教と同じだと思います。
色々な縁によって、私たちのいのちは与えられているのです。
それで、生まれてきたときに、男であっても、女であっても、あるいは健常者であっても、障がいを持った人であっても、縁のなかで生まれてきたいのちだから、どのいのちもかけがえのないものなのです。
園長は続けて、こう言われました。

どのいのちも皆尊いのです。ヒトは自分たちにとって都合のいい愛し方や関わり方をす
る一方で不利益になる生き物は排除してきたのです。

ここで「排除」という言葉が使われています。
排除とは、動物に対して、他者に対して尊く思わないどころか、自分のことを尊いと思わないことをも意味していると思います。
『同朋新聞』の2018年1月号では、アザラシの写真を掲載しました。
なぜ、アザラシかといえば、大人が「なんだ、アザラシか」と言うそうです。
そうすると、アザラシというのは大した動物ではないというふうに子どもは認識するそうです。
坂東園長は、「行動展示」という方法で、ありのままのアザラシを見て、人間の勝手な判断基準、エゴに気づいてもらいたいという願いをもっておられます。
私は、アザラシたちのようにありのままに生きることができないことを痛感させられました。
都合よく生きられたら幸せになれるという妄念にがんじがらめになって生きているのではないでしょうか。
私たちは、生まれたときから競争社会のレールの上を歩かされ、学力だけがすべてのような教育しか受けていないのではないでしょうか。
「なぜ、こんな勉強をするのだろう」と思いながら、教科書を一方的に与えられて、学力があるかないかによって、そこで既に人間が序列化され、劣等感と優越感を植え付けられるのです。
そして憎しみややっかみを感じたり、あるいは相手を上から目線で見る心が起こったりするのです。
結局、この社会のなかで生きるためには、自分が他人から、どう思われているのかということばかり考えて生きていくしかないのです。
関係性が希薄化され、自分が分からなくなってくるだけでなく、共に生きるといった感覚が極端に乏しくなってしまっているのではないでしょうか。
一生懸命生きてきたつもりだけど、なんで生きているかが分からないというのが現代に生きる私たちの共通した課題ではないかと思うのです。
ありのままに泳いでいるアザラシなどの動物を見て、人間の本来性を回復していくということが、とても大事なことだと思うのです。

(『ともしび』2018年6月号 真宗大谷派教学研究所 編集
本多雅人先生の講演抄録「縁を生きぬく意欲」より引用しました。)

私の本当の価値・尊さとは、できること・競争に勝つことの中にあるのではなく、「私は私でよかった」と言えるところに見いだされるものだと思います。

  

Posted by 守綱寺 at 16:11Comments(0)本堂に座って

2019年01月04日

今日も快晴!? 2018年12月



今週の朝日新聞の日曜版「フロントランナー」に、以前にも1度紹介させて頂いた広島の「ばっちゃん」こと中本忠子(ちかこ)さん(84歳)が紹介されていました。
ばっちゃんの家では、毎日午前11時から午後6時、やってくる子どもに無料で食事を出しています。
きっかけは、46歳で保護司になり、シンナーを吸っていた中学二年の男の子を担当したことだそうです。
「何日も食っていない。シンナーを吸うと、空腹を忘れられる」という少年の言葉を聞き、「それなら」と焼きめしを作って食べさせたそうです。
「悪さをするのはたいがい空腹の時。なら、うちが空腹を埋めちゃろ」と、家に来る度に食事をさせると、少年はシンナーを止めることが出来、それから次々と仲間を連れて来ましたが、親が酒や覚醒剤に依存するなど、ネグレクト家庭の子どもたちだったそうです。
そうして始まった活動は、最初は周囲からの反発がたくさんあったそうです。
「怖くないの?」と言われたこともあったそうですが、「何が怖いの?そんな目で見るのがおかしい。」「子どもたちを信じることから始めている」「(食事を与えても、何度も少年院に入る子どもがいて、裏切られたという気持ちにならないかという質問に対して)「こんなにしたのに」という思いは全くない。
うちの力が足りんかったと思うだけじゃよ。今度はどういう方法でやればいいか考える」「見返りを求めるボランティアならしない方がいい。相手に失礼。そんなでは心が通じんでしょ」「刑務所や少年院から帰ってきても、白眼視しないでほしい。
白眼視されると孤独になり、また犯罪に走ってしま
みんなで受け入れてやる気持ちがないといけんと思うよ」というばっちゃんの言葉は、ずっしり心に響きました。
現在はNPO法人になり、ボランティアスタッフが毎日来てくれますが、二年前までは中本さんの市営住宅の自宅が子どもたちの居場所だったそうです。
多いときには10人もの子どもに食事を与え、家に帰りたくないという6人を七ヶ月家に住ませて、食費は月に18万。
水道、光熱費は6万円にもなったそうです。
本当になんて人だろうと、頭が下がる思いしかありません。
たまたま同じ時期に自閉症の作家、東田直樹さんの書かれた「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」という本を読みました。
東田さんは会話の出来ない重度の自閉症でありながら、パソコンによるコミュニケーションが可能になり、質問に答える形で自らの内面を伝えてくれています。
「急に泣き出したりパニックになるのはなぜか」、という質問に、「ずっと昔に起こって、もう終わってしまったことなのに、どうすることも出来なかった気持ちが、あふれてあふれて抑えられなくなるのです。その時には泣かせて下さい。泣いて泣いて心を軽くすれば、僕らはまた、立ち直ることが出来ます。うるさくて迷惑かもしれませんが、僕らの気持ちに共感して側に居て欲しいのです」と答えています。
子どもたちに寄り添い、食事を与え続けた中本さんの行動は、東田さんの求める「気持ちに共感し、側に居る」姿そのものです。
非行に走った子どもや障がいを持つ子どもでなくても、側に居て共感してくれる人もおらず、信じてもらえず「泣いて泣いて」いる子どもたちは、すぐ近くにも居るように思います。
「僕らはまた立ち直ることが出来る」という子どもたちを信じる大人になれたら良いのですが・・・。

  

Posted by 守綱寺 at 16:10Comments(0)今日も快晴!?

2019年01月04日

清風 2018年11月



念仏の仏教を、単なる救済でなく、自覚自証の途としてみなおしてくるところに革命的な意義がある。
よく考えれば、宗教を救済としてのみ見るのは、人間の自己肯定である。根元的意味でのエゴイズムである。
それを破って、人間をして深い根元に呼びかえす、自覚こそ宗教の本質でなくてはならぬ。
しかもその自覚は理知的というよりも、根元の深みへ呼びかえし目覚ますという意味での自覚である。
安田理深(1900~1982『選集』別巻1・P33~34)


毎年「報恩講」として勤まります親鸞聖人のご法事が、今年も守綱寺では11月10日(土)・11日(日)と執行されます。
両日とも午前・午後と勤まりますので、一座でも参詣・聴聞いただきますよう、ご案内いたします。

さて、話は少し飛びますが、この10月3日・4日・5日と南九州(旧薩摩の国)へ行ってきました。
すでにご存知の方もおられると思いますが、薩摩の国では親鸞聖人の「お念仏」の流れに身をおく者は、江戸時代ほぼ300年間(明治9年まで)禁制とされました。
勿論、禁を犯した者は処罰され、本願寺の流れの念仏申す人は「かくれ念仏」者として、おおっぴらに念仏申すことは禁止されていました。
今も、なぜそのような扱いを受けたのか、その理由については定かにはなっていないようです。

そのことについて小生は、私どもが明治150年、近代化の歩みの中で、そうした当時の民衆の魂のありようというものが分からなくなってしまったのではないのか、と思わされました。
一体どういうことかというと、まず、2017年8月号『清風』の巻頭で紹介した「私には敵はいない」という劉暁波さん(中国のノーベル賞作家)の言葉と、同じく『清風』2018年6月号の巻頭で紹介した「「生きる」とは奇跡の自覚に他ならない」という若くして亡くなった池田晶子さん(1960~2007)の言葉が思い起こされてきました。
(これらの言葉については、その月の『清風』をお読みくださればと思います。)
この薩摩で起こった念仏者への藩指導者からの偏見・差別の視点から、私どもは念仏者としてあらためて念仏の教えに対する大切な一点を教えられているのです。
これらの言葉はいずれも、先に挙げた安田先生の言葉「根元の深みへ呼びかえし、目覚ますという」ハタラキを持った言葉と言えるのでしょう。
これも先に指摘しておいたのですが、明治150年、近代化の歩みの中で、江戸時代の民衆が持っていた魂の有り様、つまり「生きる」とは「改めて学ばなくても分かるものなのか」という問いを持つことすら、現代に生きる私どもはなくなってしまっているのではないかと思うのです。
例えば「報恩講」の「恩」とはどういうことなのでしょうか。「報恩」と言う限り「恩に報いる」ことであり、また「恩を報せる(知らせる)」ということでもあります。
それが少なくとも750年余り「報恩講」という名のもとに勤められてきました。
その報恩講は今の時代にはどういう意味を持つのか、今回薩摩へ行ってから、私の意識に上がってきたのでした。
「恩」は、「因」と「心」から作られています。「因」の字は「口」と「大」から出来ていますが、これは布団あるいは蓆(むしろ)に大の字になって寝ている形を示し、その敷物は常に使用し親しむものであるから、「因」に「心」を添えた「恩」は恩沢・恵みを意味する(『常用字解』)と記されています。
恵みという言葉も、今ではあまり使われなくなりましたが…例えて言えば「敵」も与えられたものでしょう。
敵の反対は味方ですが、それも与えられたものなのです。行動(発言)すれば反応があります。
その時に「私には敵はいない」と言えるのは、そこから対話が始まるということを示すのでしょう。
先月号の1面で「対話は、それを通じて各人が自分を超えることを希(ねが)ってなされる。相手へのリスペクト(尊敬)と自己へのサスペクト(疑念)が無ければ成り立たない」、そういう意味からすれば、対話は「相手を敵としてやっつける、勝ち負けのためのディベートよりははるかに難しい」とありました。

相手も生きておられるのは奇跡であり、私もまた奇跡のような生をいただいているという池田晶子さんの指摘にあるように、「いのちをいただいて生きているのは尊い」という「恵み」をいただいた今、そのいのちでエゴを満足させるだけでは勿体ないと言える人生がこの私に開かれた、その驚き・感動こそが、薩摩の「かくれ念仏」という形で念仏相続していかれた証なのでしょう。
身分に上下はあっても一人の凡夫として一人一人は尊いということを、念仏の教えに出遇って頷いていかれたのです。
この気づきこそ、人間としての本当の意味での生まれ甲斐なのだという境地を、薩摩のかくれ念仏の同行(門徒)はいただいていかれたからこそ、迫害の中も念仏の教えを相続していけたのではないかと、改めて自坊の報恩講を勤める意味を受け止めさせてもらいました。

  

Posted by 守綱寺 at 16:02Comments(0)清風

2019年01月04日

お庫裡から 2018年11月



毎年、11月の声を聞く頃、来年の手帳を買い求めます。
いつの頃からか、新しい手帳の裏表紙にその一年、自分が心に止めておきたいと思う言葉を書いています。

「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来(このかた)、常に没し、常に流転して、出離の縁あることなし」          
『教行信証』二種深心 聖典P215

この言葉は、何度も何度も書きました。
ちなみに去年(2017年)は

「其れ、三宝に帰りまつらずは 何をもつてか 枉(まが)れるを 直さん」
(枉る=邪見、驕慢)                     『17条憲法』

今年は
「臨終まつことなし 来迎たのむことなし
信心のさだまる時 往生またさだまるなり」             『末燈鈔』

でした。
手帳を実質使い出すのは、年が明けてからです。
それまでに、この新しい手帳にどんな言葉を書こうか見つけ出すのが楽しみです。
何だかんだと言っても、究極、私の最大の関心事は、私自身なのです。
いくつになっても外ばかりに目がいく私に、呼びかけ、自分を目覚ましてくれる言葉。
そんな言葉に出遇い続けて、生きていきたいと思っています。
「仏教は、人間奪還の運動である」
  

Posted by 守綱寺 at 16:01Comments(0)お庫裡から

2019年01月04日

今月の掲示板 2018年11月



  道具は代わりがあるが
  いのち(あなた)には
  代わりがない

  我々が「幸福」ということを考える時に
  「不幸」が幸福の意味を決めている

  私が私を捨てても
  その私をお捨てにならないのが
  ナムアミダブツというお方

  苦しみのない人生はない
  苦しみのある人生を
  あなたはどう生きたいのか

  いくら豊かであっても
  「真実感」をもって
  生きることができなければ
  人間は幸福にはなれない

  我身を知ることが
  何故大事なのか
  己の愚かさ
  ちっぽけさが
  見えてくるのに

  己を知ってみれば
  他に助けられなければ
  生きられない
  かけがえのない関係を頂いていた
  それを知らない程の
  愚かさだった

  何でも知っているということは
  何も知らんということだ

  失ってみないと
  今の暮らしのありがたさは
  わからないと思います。
  

Posted by 守綱寺 at 15:59Comments(0)今月の掲示板

2019年01月04日

本堂に座って 2018年11月



今月は、先月に引き続き中川先生の本からお話を紹介します。
「苦」の原因、「苦」と「私」の関わりについて、「一(いち)」をキーワードに教えてくださっています。

仏教の「慈悲」を説明する言葉に「抜苦与楽」、苦を抜きて楽を与えるというものがあります。
私たちが自らの苦から解放されたいと思うとき、その苦の原因を正しく見ることが、本当に大切なのです。
普通、私たちはお金がないことが、苦の原因であると考えます。つまり、お金のあるなしが、自分の生きることの苦楽を決定すると思っています。
それは、能力についてもそうですし、環境についてもそうですけれども、結局いつでも自分の外にある何かが、自分を苦しめるものだと考えているのです。
そして、その苦の因を逆転させることによって、自分の生きることを楽なものにしたいと思っているのです。
貪欲の心をわが心として生きるかぎりは、どれだけ恵まれた結構な状態にあっても、これでよしとすることができないのです。
その意味するものは、私たちには、この世の何ものによっても満たされることのない欲求があるということです。
では、生きていることを貫いてある私たちの欲求は何か、ということですが、それは「一(いち)」を獲得したいということです。
自分と自分との間に、そして自分と他人との間に「一」を獲得したいということです。自分と自分が一つにならない、自分と他人が一つにならないことが苦なのです。
自分が自分と一つにならないことで言えば、自分が自分自身を受け取ることができない、自分の中に隠さなければならない自分を持っているのです。これが自分だと知っているけれども、その自分を公開できない、つまり、見られないのです。
実は、私たち人間の問題は、コンプレックスなのだと教えられます。劣等感からどう解放されるかという問題です。
どのようなすがたで苦があっても、苦と感じるところには、必ず、二つにものが分かれています。
劣等感は自分と自分とが、孤独は自分と他人とが二つに分かれて、切れたままになっているのです。
そのことを我々がいちばん感じるのは、自分の思いと現実とのギャップです。自分はああしたい、こうしたいと思うのだけれども、思ったとおりにならないというかたちで、私たちは苦を感じるのです。
自分の思いと、思いどおりにならない現実というかたちで二つに分かれるのです。
つまり、「二」に分かれていることが苦の構造なのです。
なぜ「二」に分かれるのか、なぜ一つになれないのかというと、普通は、あいつが俺の言うことを聞かないからだとか、性格が違うからだとか、自分に能力がないからだとか、生活環境が悪いからだとか、いろいろありますが、私たちは自分の外に一つになれない原因を見て、それを変えることによって、一つになろうとするわけです。
よく、自分の時間がないと言う人がいます。二十四時間という時間があるけれども、それが、プツ、プツと切れている、と。
働いておられる人は特にそう感じておられるようです。
プツ、プツと切れて、自分の時間がない、と。
ところが、そう我々が言うとき、そのように言う自分というものが全然問われていない、そういう自分を前提にして、その自分の思いにかなった、自由に使える時間がないと、こう言っているわけです。
実は、この前提にしている自分こそが、あらゆる時間を、プツ、プツと切っているのです。
本当は、自分の時間といえば、全部自分の時間なのです。それを自分の思いの中に取り込んで、いろいろと言っているのです。
普通、我々が「私」と言うとき、その私は、私以外の他の人と離れて別にあると考えているわけです。ところがそんな私は幻想だと、そんな私はもともと存在しないのです。
そういう私に立って、自分の思いどおりに使える時間がないと言って、悩んでいるのです。それがもともと幻想なのだということがわからないのです。
私たちが、真に苦から解放されるためには、私たちが、何ら疑うことなく前提にして生きている、この「私」を立場としない新しい「私」が生まれなければならないと思うのです。
(『ただ念仏せよ 絶望を超える道』 中川皓三郎 著 東本願寺出版発行より引用しました。)

自分と自分、自分と他人を「二」に分けてしまう、「一」になれないのは、相手でなく「私」に原因がある…その「私」を知るために、仏さまの教えがあるのです。

  

Posted by 守綱寺 at 15:59Comments(0)本堂に座って

2019年01月04日

今日も快晴!? 2018年11月



2人目出産のため里帰り中の妹は、絶賛「出る出る詐欺」の真っ最中です。
9月に「今出てしまったらまずい」と10日間ほど切迫早産で入院しましたが、退院後、赤ちゃんは大人しくお腹の中に留まってくれていて、10月に入り週末毎に東京から旦那さんが通ってくれているのに、一向に出てくる気配がありません。
もうすぐお姉ちゃんになる2歳半ののの葉ちゃんは、だんだん我が家での生活にも慣れて「2歳児あるある」絶好調です。
外に出ようとして、玄関で靴を履かせようとすると「じぶんで!」と拒否し、「ののちゃんじぶんではく!」と朝から一騒動です。
「ぎゅうにゅう、のむ~」と大人用のコップを差し出すので、コップに半分ほど入れて渡すと、「もっとたくさんいれて~」とおねだり。
朝ご飯の最中に急に騒ぎ出したと思ったら、「おさかなきらないで!」と大泣きです。
お皿に取った焼き鮭が大きすぎると妹が半分に切ったのが気に入らなかったようで、「半分に切らずに、大きいまま食べたかった」ということのようです。
その行動の一つ一つは子どもなりに理由もあり、ただただ面白いだけなのですが、これが自分の子どもだったら、(この朝の忙しいときに!)と腹が立って仕方が無かっただろうなぁと思います。
面白いのは十歳になる在です。はじめの頃はかいがいしく世話を焼いていましたが、ある夜、急に甘えてきたかと思ったら、ぼそっと「ののちゃんばっかずるい」と不満を訴えてきました。
「私の時はあんなことしたら怒られて許してもらえなかったのに、ののちゃんなら『良いよ』って許してもらえる。
ののちゃんばっかり言うこと聞いてもらえてずるい!」と言うのです。
こちらからすれば、「あなたは末っ子で、お兄ちゃん達に比べたらかなり甘く育てられているよ?」と思うのですが、お兄ちゃん達の方はもう完全に次元が違うので、ののちゃんが何を言っても「はいはい」と言うことを聞いてあげられます。
「余裕がある」というのはこういうことなんだと思います。
もうしっかりお姉ちゃんだと思っていた娘は、まだ案外赤ちゃんに近いようなので、もう少し甘えさせてあげないといけないようです。
それにしても、二歳の子ってこんなに可愛かったのかな。
ののちゃんの「自分で!」を聞いても、「抱っこ!抱っこ!」と泣くときも、(あ~、こんな風だったなぁ)と懐かしく思うだけで、腹が立つより面白くなってしまいます。
すでにばぁばに近い感覚なのかもしれません。
自分の子どもを育ててる時も、(なんて可愛いんだろう)と思っていたと思うのですが、あっと言う間に身長も体重も追い越された息子達や娘の一番可愛かったこの頃のことは、残念ながらすっかり記憶から抜け落ちています。
あのとき、今くらい気持ちの余裕があれば「早くしなさい!」と怒ったり苛々したりしなかったのかな。
自分でやりたければ気の済むまでやらせたら良いし、ただのわがままに見えることも子どもなりに理由はあるのだし、どんなに「いや!」と言っていてもちょっと待てばすぐ気が変わるのだし、抱っこして欲しいと言えば抱っこしてやれば良かったのに、大人の都合に子どもを合わせるのに必死になって、待てない自分がいたなぁとほろ苦く思い出します。
今からもう時計を戻すことは出来ませんが、妹が赤ちゃんと過ごす時間は、余裕を持って穏やかに過ごせるようにしてやりたいなぁと思います。
  

Posted by 守綱寺 at 15:58Comments(0)今日も快晴!?