2019年01月04日

清風 2018年10月



対話こそは、暴力・戦争に対する
真の意味での反対語なのです。
 (暉峻淑子『対話する社会へ』経済学者 岩波新書2017.1刊)

ディベートは、話す前と後で考えが変わったほうが負け。ダイアローグは、話す前と後で考えが変わっていなければ意味がない。 <平田オリザ>

ディベート(討論)とダイアローグ(対話)の違いについて訊(たず)ねたとき、劇作家(平田オリザ)から即座に返ってきた答え。
対話は、共通の足場を持たない者の間で試みられる。呼びかけと応えの愉(たの)しい交換であり、吐露と聴取の控えめな交換であり、埋まらない溝を思い知らされた後の沈黙の交換でもある。討論よりおそらくはるかに難しい。
『折々の言葉』(2018・2・20)朝日新聞より 鷲田清一 執筆

論破禁止 <高橋源一郎>

明治学院大学・高橋ゼミの方針は何かと問われ、作家(でもある高橋)はこう答えた。「誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔ってるみたいで、すごく卑しい感じがするから」と。
対話は、それを通じて各人が自分を超えることを希(ねが)ってなされる。相手へのリスペクト(敬意)と自己へのサスペクト(疑念)がなければ成り立たない。(2018・1・15のツイッターから)
『折々の言葉』(2018・2・19)上記に同じ

現在の我が国では、議論というとディベートになってしまい、対話にはならないようです。
「囲い込む」というのでしょうか、「レッテル貼り」とでもいうのでしょうか、「相手への敬意と自己への疑念がなく」、せっかく議論の場が設定されても言いっ放しになっているようです。
議論が展開してお互いが「埋まらない溝を思い知らされた後の沈黙の交換」にはなっていない後味の悪さのみが残るという非生産的な議論しかされない内容となっているのは、何故でしょうか。
対話は、「それを通じて各人が自分を超えることを希(ねが)ってなされる、相手への敬意と自己への疑念がなければ成り立たない」と言われています。
「討論よりおそらくはるかに難しい」と言われている理由かもしれません。

さて、話はちょっと飛ぶのですが、日本国の憲法を読まれたことはありますか。
それこそ多忙で、ゆっくり読んだことがないという方もおられるのではないかと思いますが、今の憲法は、1930年からの戦争の惨禍(アジア、ことに朝鮮・中国並びにアジア各地の人々に、我が国は五百万を超える犠牲者を出した、これらの犠牲)の上に、この憲法は生まれたのでした。その願いが次のように示されています。
先ず「前文」の冒頭です。「日本国民は、(略)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
そして第9条には「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

そういう事実の上に立って、日本国民はこの憲法を確定したのです。

憲法第99条に、わざわざ「憲法尊重擁護の義務」として「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と記されています。
「憲法尊重擁護の義務」に国民は入っていません。
なぜなら、国民は主権者として政府がこの憲法の制定の願いを外さないよう監視する義務をこそ、先に述べた、我が国の犠牲になったアジアの諸国民に負っているのです。
勿論、この国の犠牲者である、広島・長崎の原爆犠牲者、連合軍の空爆の犠牲になった人々の願いも込められていることも忘れてはならないことですが。
国会議員の諸氏は、先ずもって第99条の「憲法擁護の義務」には「国民」の語が無いことの確認、確かめから議論を始められるよう願われていることを忘れないでいただきたいと思います。

冒頭に掲げた言葉に「対話こそは暴力・戦争に対する真の意味での反対語なのです」とあるように、話し合いがいい加減にされ、議論が成り立たないということは、もうすでに暴力の行使・戦争状態にあるということなのです。
なぜなら、戦争・暴力は対話を無視するところ、つまり冒頭の「論破禁止」で述べられているように、「対話はそれを通じて各人が自分を超えることを希ってなされる。
相手へのリスペクト(敬意)と自己へのサスペクト(疑念)がなければなりたたない」からなのです。
対話こそが暴力・戦争に対する真の意味での反対語なのです。
平和であることのキーワードは「いのちは尊い」ということがスタート地点であり、また結論なのですから。
  

Posted by 守綱寺 at 15:48Comments(0)清風

2019年01月04日

お庫裡から 2018年10月



時々、「ご朱印をください」と来られる方があります。うちは、浄土真宗、大谷派、東本願寺の末寺でご朱印はしていません。
が、守綱寺にお参り下さった印として、日付・寺名を書かせていただきます。
その日、50代と思われる女性が朱印を求めて来られました。
ご朱印帳に「南無阿弥陀仏」「あなたはあなたに成ればいい。あなたはあなたで在ればいい(釈尊)」「守綱寺」と書いて、お渡しする時その方の様子が気になり「少しお話していかれませんか」と座ぶとんをすすめました。
話しては涙、ふいては涙、涙、涙の会話から聞き取れたことは、下宿して、大学浪人中の20歳の息子の「こんなに苦しいなら、死んだ方がましか」と発した言葉に、母親なのに「そうだね」と言ってしまった。
「私の言葉で、もし息子が死んでしまったらどうしよう」と、ご朱印をもらい歩かれる、その方の事情もわかってきました。
「息子さんが生まれた時、嬉しかったですか」
「はい、それはもう」
「成長する息子さんが生きる励みになっていませんか」
「はい。小さい時は本当にいい子で」
「評価ではなく、息子さんがいてくれた、そのことは」
「私の張り合いでした」
「じゃあ、息子さんにそれを伝えて下さい」
「今、息子は自分の用件のみ、一方的に言うだけで、私の言うことを聞きません」
「じゃあ、手紙は」
「読まないかもしれない」
「一度も書かないうちから決めつけないで。息子さんに、あなたが生まれてくれて嬉しかった。あなたの存在が私の張り合いだったと、20年間伝えてないのでしょ。息子さんの生きているうちに、そして、あなたの生きているうちに、そのことを伝えなくて、いつ伝えるの。何度でも、何度でも、読んでもらえるまで書き続けて下さい。それは、ご朱印より先決では」
「そうですね、やってみます」
と重い腰を上げ、少し微笑んだその方に、
「心がいっぱいいっぱいになったら、また、話しに来て下さい」
と声をかけ、見送りました。
  

Posted by 守綱寺 at 15:47Comments(0)お庫裡から

2019年01月04日

今月の掲示板 2018年10月




  私は私で大正解
  私は私で大成功
  私は私の人生を力いっぱい
  きらきら輝きながら生きていく
  (障がいを持った雪絵ちゃんのことば)

   ありがとう(雪絵ちゃんの詩)
  私 決めていることがあるの
  この目がものを映さなくなったら 目に
  そして、この足が動かなくなったら 足に
  「ありがとう」って言おうと決めているの。
  今まで 見えにくい目が一生懸命見ようとしてくれたんだもん。
  いっぱい いろんなもの 素敵なものを見せてくれた。
  夜の道も 暗いのに がんばってくれた。
  足もそう。私のために信じられないほど 歩いてくれた。
  一緒に いっぱい いろんなところへ行った。
  私を一日でも長く喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。
  なのに、見えなくなったり、歩けなくなった時、
  「なんでよー」なんて言っては、あんまりだと思う。
  今まで弱い弱い目、足が、どれだけ私を強くしてくれたか。
  だからちゃんと「ありがとう」って言うの。大好きな目、足だから。
  こんなに弱いけど大好きだから「ありがとう、もういいよ、休もうね」って
  言ってあげるの。

  何故 苦しむのか
  都合のいい事が好きで
  都合の悪い事が嫌い
  いい、悪いと分別する心が
  あるからです

  人間は 自分の都合で
  自分すら捨ててしまう

  条件を変えるということで
  幸せになれるという錯覚があります
  条件を変えても
  幸せにはなりません

  苦悩をどう超えていくか
  それが仏教の課題です

  私は不思議な存在として
  今、縁をいきている。
  この縁を生きる自分自身を
  受け止めるということが
  私たちにできれば
  生きていける

  病気になることも
  障がいがあることも
  お金持ちになることも
  生きることも
  亡くなることも
  大きなはたらきの中の出来事。
  表れているすべての事が
  実は、大切なこと。

  どうにかならないと
  幸せになれない人は、
  どうかなっても
  その幸せは
  長く続かないだろう 釈尊

  条件を越えて生きていける
  そういうものとの出遇いが
  人生ですごく大切です

  お念仏からの呼びかけは
  どんな人も捨てない
  摂取不捨の世界
  

Posted by 守綱寺 at 15:46Comments(0)今月の掲示板

2019年01月04日

本堂に座って 2018年10月



このところ身の周りのことが慌ただしくて、なかなか本を読めずにいました。
そんな中、あらためて中川皓三郎先生の本を読み返してみたところ、“豊かさ”についてお話してくださっている一節が目に留まりました。
本当の豊かさとは何なのか、わかりやすく教えてくださっています。

現代は、信頼関係が利害関係にやぶられている時代だと思います。
現代という時代を生きる者にとっては、経済的に一応豊かな人も、また、経済的には貧しく苦労しておられる人もふくめて、お金が象徴しているものは、非常に大きいと思います。
これはある先生に聞いたことなのですが、現代の新興宗教が説く人間の苦しみのすがたというのは、「貧・病・争」で表せるのだそうです。貧しさと病と争いです。
経済的に豊かでないこと、そして、健康が思わしくないこと、そして、家庭の中がうまくいかない、人間関係がうまくいかないという、こういう三つの言葉で、現代を生きる人の課題がおさえられています。
つまり私たちは、お金がないことが苦しみの原因なのだと考えているのです。
生きることそのことを喜べないのは、お金がないからだと。(中略)
また、イギリスの経済学者であるシュマッハーという人は、『人間復興の経済』という本の中で、私たちは、ただがむしゃらに豊かになろうとして生きてきたのだが、では、その“豊かさ”とは何だと、どう定義できるのかと問うておられます。
普通私たちは、豊かさとは、持ち物の量、どれだけたくさんの物を持っているかということで見ていると思います。
だから、持ち物が増えるということは、自分の満足度が増えるということであり、持ち物が少ないということで、自分の生きることそのことが喜べないということもあるのです。しかし、シュマッハーは、こういう言葉で問いかけておられます。

まず吟味すべき問題は明らかに、「行き渡るべき十分な富はあるか」ということである。
ここで直ちに逢着する深刻な難問は「十分な富」とはいったいなにか、いったい誰がわれわれにそれを教えてくれるのか、という点である。
「経済成長」をすべての価値の至高のものとして追求し、したがって「十分」という概念を持たないエコノミストが、これを教えてくれないことは確かである。
あまりにも少ない富しか持たない貧しい社会は存在するが、「止まれ、もう十分だ」という富める社会はどこにあるのだろうか。
どこにもありはしない。

(中略)豊かさとは、量の問題ではないのだということです。
つまり、自分が自分であることに、これでよしと言えるかどうかという問題だということです。
シュマッハーの言葉では、「止まれ、もう十分だ」と、こう言えるところに、実は、本当の豊かさがあるのだというわけです。(中略)
先ほどのシュマッハーという人の言葉に、「止まれ、もう十分だ」というものがありましたが、どんな自分であっても、「これでよし」と言えた人は、別の自分になる必要がないのだから、お金がなくてもいいのです。
なくてもいいということの意味は、少しもいらないという意味ではなく、これでいいと言える人は、別な自分に変わる必要がまったくないのだから、お金といっても大きな力を持たないということです。
こんな自分を嫌だと言っている人だけが、別な自分にならなければならないわけだし、そして、別な自分になるためには、お金というものが非常に大きな力を持ってくるのです。(中略)
そういうことから言えば、私たちを苦しめる本当の原因は、お金がないということではなく、「これでよし」と言うことのできない、自分と自分の間に、そして、自分と他人の間に裂けめをつくる、私たちの心であるということなのです。
(『ただ念仏せよ 絶望を超える道』 中川皓三郎 著 東本願寺出版発行より引用しました。)

先生はお話の中で、「(お金によって)人をだますことはできるけれども、自分自身を嫌だと言っている、その自分自身をだますことはできない」とも語られています。
「止まれ、もう十分だ」と言える“本当の豊かさ”は、自分を見つめ直し「これでよし」と真っ直ぐに言える自分を見い出したところに見えてくるのでしょう。

  

Posted by 守綱寺 at 15:45Comments(0)本堂に座って

2019年01月04日

今日も快晴!? 2018年10月



9月の半ばから、東京に住む三番目の妹が、二人目の赤ちゃん出産のため里帰りしてきました。
予定日は11月ですが、体調を考慮して、少し早めに産休をもらって帰ってきてくれました。
2歳半になった姪っ子ののの葉ちゃんのかわいいこと。
よく笑い、よく動き、お喋りもとても上手です。
特に食べ物に関するお喋りがとても上手で、「ののもたべる~」「ののもちょーだい」「もも、たべる~」「おいも、たべる~」「おまんじゅうたべる~」と、大人顔負けの食欲を見せてくれて、いつもお腹はぽんぽこりんです。
3人の子育ても一段落して、少し余裕を持ってののちゃんをみてあげられるつもりでしたが、ののちゃんが真っ先に向かったのは、我が家の末っ子の在でした。
在もはじめての妹分が嬉しいようです。
「お姉ちゃんがやってあげる」「お姉ちゃんが抱っこしてあげる」「お姉ちゃんが一緒に行ってあげようか?」と、「おねえちゃん」という単語を連発し、ご満悦です。
次にののちゃんが向かうのは、いつもご飯を食べさせてくれるおじいちゃん&おばぁちゃんです。
ママの「あ、だめだめ。ご飯全部食べてからね」という言葉も聞こえないふりで、おばぁちゃんがむいてくれる食後のデザートの梨やりんごにまっしぐらです。
(この人達の近くにいれば、いつも美味しいものがもらえる)という子どもの嗅覚は的確です。
そんなこんなで、里帰りして以来、2日経っても3日経っても、一向にののちゃんは私のところに来てくれません。
一週間ほど経って、妹が産婦人科の検診に行く日がありました。
平日だったのでうちの子どもたちもおらず、母も少し用事があったので、いよいよおばちゃんの出番です。
子どもたちと昔よく遊んだレゴ、ままごと、お絵かき、こま、ビー玉etc・・・様々なアイテムを駆使して、ピュアな二歳児をたちまち虜にしてみせます。
家に無いおもちゃの数々に、はじめは物珍しそうに遊んでいたののちゃんでしたが、ふと気付いた瞬間から、「おとーしゃんは?」「おかーしゃんは?」と繰り返し聞くようになりました。
「おとーしゃんは?」「おしごとだよ~」「おかーしゃんは?」「びょういんだよ~」。そんな会話を3分に一回ほど交わして30分ほど経った頃でしょうか。
ののちゃんが、声を殺してしくしくと泣き出したのです。
わーんわーんと大声で泣いてくれたら、こちらも抱っこやおやつや色んな方法で気を紛らせたのでしょうが、ののちゃんの泣き方は、我慢に我慢を重ねて、ついに我慢が出来なくなったけれど、泣いても仕方が無い。
今はおかあさんはこの場にはいないし、呼んでも来てくれない。
ということを全て分かった上で、耐えきれなくなってこぼれた涙でした。
ほろりほろりと頬を伝いこぼれる涙と、ののちゃんのくしゃくしゃの顔に、(なんて愛おしいんだろう。この子は、こんな小さい身体で、自分の置かれた状況を全部理解して、慣れない家に一人置いてきぼりにされた寂しさに耐えていたんだ)と、健気なのの葉ちゃんにすっかり心を鷲掴みにされてしまいました。
もうおばちゃんに出来ることは、毎日美味しいご飯を作って、ののちゃんのお腹をますますぽんぽこりんにすることだけです。
妹よ。里帰りの間に、メタボののちゃんになったらごめんなさ~い。
  

Posted by 守綱寺 at 15:44Comments(0)今日も快晴!?

2019年01月04日

清風 2018年9月



君は   
何をしに この世に
生まれてきたのだね。
西村見暁


今夏の盆会のお勤めをしながら考えさせられたことを記します。
今年の夏は、天気予報でも「今までに経験したことのない異常気象」が続いていると毎日伝えていましたが、正直参りました。
残暑お見舞い申し上げます、と言いたいのですが、この暑さ、どうなるやら…。
引き続き、お体に気をつけてお過ごしください。

さて、お盆にちなんでと前置きしたのですが、お盆は正式には盂蘭盆会と書いて「うらぼんえ」と呼び習わしてきました。
お盆はその略称です。これはインドの言葉(サンスクリット語のULLAMBANA)ウッランバナの音を漢字で写した文字です。
「ウッランバナ」の意味は「顚倒している」で、「苦悩、悩んでいる」という意味です。
顚倒とは「頭を下に、足を上にしていること」で、これは苦しい状態です。
つまり人間が苦しみ悩むのには、それなりの理由があるというのです。顚倒、それが理由であると。

そこで、仏教という言葉に返って、仏教の考え方(原理・原則)を確認しておきたいと思います。
仏教とはブッダの教えです。
ブッダとは、これもインドの言葉で、目覚めた人・迷いを克服した人の意味です。
ですから、「成仏」も意味のある言葉なのです。
成仏とは「目覚めたものに成る」という意味なのです。
現在、日本で圧倒的多数の方の理解は、成仏とは死ぬことになっています。
「あいつもとうとう成仏した」というように。そしてまた、亡くなった人が迷っているという意味で、「まだ成仏しとらん」と使われているようです。
成仏とは「亡くなったこと」や「成仏しとらん」と他の人のことについて言う言葉ではなくて、私が人と生まれたことには「成仏」という課題のあることに気づかねばならないということを示す、仏教からのメッセージなわけです。
成仏は、釈尊においては「出世本懐」といわれているように、私が世に出た(出生した)意味を問う言葉なのです。
それを簡潔に表現したのが、冒頭のことばです。

ところで宗教というと、「救い」「救われる」というように日常的には使われ、「救い」の内容は自分の思い通りに成ること、自分の都合のいいように成ること、のようです。
都合よくならなければ「神も仏もあるもんか」となり、もし思った通りに成れば「オレにも相当運が向いてきているぞ」と。
仏教も宗教の部類に入れられているようですが、多くの人は、仏教についてもだいたい上に述べたように理解されているのではないでしょうか。

ふつう仏教は、古来「仏・法・僧」と言われているように、仏(人)・法(真理)・僧(サンガ=ブッダの法を聞く仲間・グループ)と、三つの宝から構成されていると言われます。
法が真理と言われてきたように、釈尊もその法(真理)に目覚めた人であり、ブッダとも言われます。
目覚めた人は何に目覚めたのかといえば、法(真理)に目覚めたのでしょう。
だから釈尊も、自らこの法を真理として尊んでこられ、後世、ブッダ(仏)は「法から生まれた人」と呼ばれてきました。
仏教で法というのは、ダルマ(真理)を指す言葉です。
我が国で法といえば法律を意味していますので、同じ語(法)を使いますが、相当意味は違っています。

親鸞、その人もお師匠・法然上人を「阿弥陀如来の化身」と敬っておられます。
阿弥陀如来化してこそ  本師源空としめしけれ
化縁すでにつきぬれば  浄土にかえりたまいにき (源空=法然上人)

仏教で「愚痴」ということをいいます。愚痴とは「道理がわからない意。言ってもどうしようもないことをくどくど言うこと」とあります(『新明解国語辞典』三省堂書店刊)。
ここで面白いのは「道理がわからない意」とあることです。
「ものの道理」という言い方もあるように、ものごと、そのことがそうなっているのにはそうなる道理があるのに、その道理が分からないから愚痴を言っているわけで、言ってもどうしようもないこと(つまり、愚痴)を言っているというわけです。
その道理とは一言で言えば、「私が悩めるのは、すでに与えられているからであるのに、そのことは“当たり前”としてしか受けとめることができず、足らざるものがあるから悩むのだと思っている」ということを示しているのです。
                                (つづく)
  

Posted by 守綱寺 at 15:34Comments(0)清風

2019年01月04日

お庫裡から 2018年9月



夏休みが終わると、今年の終わりが駆け足でやってきます。時を追っかけるのに一生懸命で、身も時と共に変化していることになかなか気づけません。
我が家の夏休み、大きな変化がありました。
私は夏休み前に、脚立の失敗で踵を強打しました。それが案外と長引き、かばう姿勢が膝や腰の痛みを引っ張り出し、孫に「おばあちゃん、プールに行こう」とねだられたら、どう断ろうと思っていました。
おかしいのです。
夏休みに入り、高一・中二、小五の三人の孫が家の中に居るのに、静かなのです。
子供のキャンキャラ、キャンキャラという声が家の中から聞こえてこないのです。
部屋をのぞくとちゃんと居るし、兄妹で遊んでいる姿も見かけるのです。でも静かなのです。
プールの心配をした孫は、友達と誘い合ってプールに行くし、お風呂も一緒に入らなくなりました。
ああ、大きくなったんだ、三人とも。
「あ痛たたた」「あ痛たたた」と腰を曲げて歩いていたら、夫が、「お母さんそっくりに成ってきたなぁ」と言いました。
私は、正真正銘のおばあちゃんになっていたのです。
捨てきれずに持っていた昔の真っ赤なスカート、若くなった気分でルンルン。
時々「あ痛たたた」。
人間の心って複雑。私の心も難儀。だから法が聞ける。
  

Posted by 守綱寺 at 15:33Comments(0)お庫裡から

2019年01月04日

今月の掲示板 2018年9月



  根を持つこと
  それはおそらく
  人間の魂のもっとも重要な要求であると同時に
  もっとも無視されている欲求である。 シモーネ・ヴェイユ

  我々の世界は催促がなければ
  何もできぬ。
  畠の野菜、田んぼの苗
  皆、我々に先立って催促する。  曽我量深

  人が生きているのは
  呼びかけられることによってである

  浄土は、
  心が「物」による支配から逃れ
  自由になった世界。
  娑婆は、
  「物」に支配され
  自由を失って身動きができなくなった世界。

  南無阿弥陀仏は人生の呼びかけである。
  この南無阿弥陀仏の呼びかけに遇うてはじめて
  我々に現在が成り立つ

  人間を燃費で計算する
  人間を道具としか見ない
  そのどこで
  命が尊いと言えるのか

  お前は、何のために
  この世に生まれてきたのかね。

  我々には
  人間成就
  本願成就の
  使命がある

  神は、好きな男の耳元で絶えず
  「好きよ」「すきよ」「すきよ」「すきよ」と
  つぶやいているしつこい女に似ている。(シモーヌ・ヴェイユ)
  そのしつこい女とは
  法蔵菩薩のことである。

  しつこいと言えば
  リアルであって聞こえが悪いので
  もっと穏やかに言うならば
  「摂取不捨」ということになる。

  

Posted by 守綱寺 at 15:32Comments(0)今月の掲示板

2019年01月04日

本堂に座って 2018年9月



毎年8月下旬に豊田市の街なかで「夏季講習会」開催されます。
今年は本多雅人先生を講師にお迎えし、お話を聞かせていただきました。
本多先生のお話は、穏やかな語り口のなかにスパッと切れ込む鋭さ(!?)があって、楽しくわかりやすく聞くことができて、でもしっかり自分が問われていく…という、とても聞きごたえのあるものです。
そんな本多先生が京都・東本願寺で話された講演録から、葬儀についてのお話を紹介します。

それまでの私は、努力すれば自分の力で何でも解決できると思いこんでいました。
縁を無視して、何でもできるということが、自力ということなのです。
それに対して、他力というのは、そういう私が如来に照らされて、傲慢な自分のあり方に気づいていくということでしょう。
私は、そういう人間のあり様をひっくり返していく一番大切な御縁が真宗の葬儀だと思うのです。
「これぞ人間が明らかになっていく真宗の葬儀だ」という例を、一つお話したいと思います。
お盆に、いつもお参りに行くご門徒宅がありました。
その家の奥さんは、結婚するまで、九州のお寺の日曜学校にも行って真宗の教えを聞いてきた人で、結婚後も連光寺でよく聞法をされていました。
その奥さんが乳癌になられたのです。
お盆でお邪魔した時は、癌と共に生きていける道があるのかということを尋ねるかのように、私と一緒に同朋唱和をされておりました。
乳癌が完治した8年後のことです。
ある日、奥さんが「体中に癌が転移して、年内はもたないかもしれません。
自分が亡くなったら、ぜひ蓮光寺さんでお葬式をしたい」と電話がありました。
奥さんは、自分の人生全体を南無阿弥陀仏に受け止められて一生を終えたいというお気持ちがあったようです。
家族は病院ではなく、奥さんが自宅で過ごしてもらいたいと自宅医療を決め、奥さんは日々弱りながらも明るく過ごし、それから半年ほど経て浄土に還っていかれました。
65年の尊い人生でした。
私は枕勤めのためご自宅に行き、奥さんと対面しました。
奥さんのお顔には布が被せてありました。
私は「自然のままがいいから取りますよ」と旦那さんに言いました。
旦那さんは「いや、うちの女房は痩せこけた顔を見られたくないってよく泣いていたから、被せておいてほしい」と言われました。
私は「奥さんは教えを聞いてきた人ですから、愚痴を言うのも南無阿弥陀仏の世界のなかにおられますから大丈夫です」と言って布を取りました。
生前の面影はなく骨と皮だけになっていました。
奥さまの願い通り、お寺で通夜、葬儀、還骨が勤まりました。
葬儀後の出棺前のご主人の挨拶が忘れられません。
「私たちは長らく夫婦生活を送ることができましたが、妻が亡くなるまでの半年間が一番深い夫婦生活を送ることができました。本当の夫婦になりました」と。
この言葉は私の胸に深く突き刺さりました。
骨と皮だけになっていく奥さまとの夫婦生活が、今までで一番深い夫婦生活であったということはどういうことでしょうか。
「日常では、条件に振りまわされながら、自分の思いを見たそうと生きています。ところが、妻の姿は無条件に尊かったのです」と旦那さんが言われました。
生きてあることの存在の重みを感じたのです。どうにもならない状況のなかで、日常見失っていた、存在の尊さを奥さんが病気の身のままにお伝えしてくださったのではないでしょうか。
それは「どうか念仏申す生活をしてください」という奥さんの願いの姿だったのでしょう。
人間は死を受け止めることで、本当に今を生きられるようになるのです。
(『ともしび』2018年6月号 真宗大谷派教学研究所 編集
本多雅人先生の講演抄録「縁を生きぬく意欲」より引用しました。)

近頃、葬儀の形や葬儀に対する考え方も様々になっていますが、亡き人と出会い直し、また自分自身と向き合い、自分について学び知らされていく…という、葬儀の意義についてあらためて受け止め直すきっかけをいただけるお話

  

Posted by 守綱寺 at 15:31Comments(0)本堂に座って

2019年01月04日

今日も快晴!? 2018年9月



8月に京都に出掛ける用事がありました。学生時代を奈良県で過ごした私にとって、京都は何度も足を運んだ思い出の地でもあります。
一泊二日の旅の一日目は、懐かしい学生時代の友人と再会しました。
結婚して大阪に住む友人とは、学生時代にたまたま寮で同じ部屋になり、その後下宿先で3年間共同生活を送りました。
家族でない人と何年も一緒に生活した経験は、これが初めてです。
彼女と寮で同じ部屋になったことは、たまたまの偶然だったと思います。
当時、その大学の学生寮は4人部屋で、それぞれの部屋ごとに出身地と学部と学年がばらばらにされ、必ず一部屋に一人は新入生が入るように組まれていました。
何百人かの寮生の中で、たまたま同室になった同級生と気が合って、得がたい友人として長く交流が続くことは、本当に幸運としか言いようがありません。
一緒に入った他大学のテニスサークルのこと、学生時代のアルバイト先のこと、大学時代の友人の話、お互いの家族や子どもの話、仕事の話etc・・・話題は尽きず、ランチに入ったお店では、最後の一組になるまで喋り倒してしまいました。
「やっぱり学生時代の友達は楽で良いね。」という友人の言葉に、実家を離れた嫁ぎ先や、職場で頑張っている友人の姿を思いました。
 翌日は、一人で京都の思い出の場所を巡りました。
京都御所のテニスコート、鴨川、寺町通り、高瀬川、先斗町を通り抜けて、四条通りをぶらぶら歩きながら色々なことを思い出しました。
テニスラケットを肩に掛けて奈良から電車に乗り、前出の友人とお喋りしながら砂利道を歩いて通った御所のテニスコートですが、今歩くと本当に広くて、しかもこんな有名な観光名所の中を、テニスだけを目的に歩いていたとはなんて贅沢な・・・!と、新鮮な感動があったり、当時の自分の無知を恥じたりしました。
鴨川沿いをぶらぶら散歩していたら、ふいに涙がこみ上げてきました。この場所で何かをしたという特別な記憶は無いのですが、自分の青春時代の象徴のように感じられたのです。
自分はなんて素敵な場所で学生時代を過ごすことが出来たのだろう。
学生時代は、自分が受験勉強を頑張って、行きたいところを選んで、自分で道を切り開いたようなつもりで意気揚々と出てきましたが、何のことはない。
両親が家から出して下宿をさせてくれて、好きなようにさせてくれていたんだなぁとしみじみ感謝の気持ちがこみ上げてきました。
守られ、保障された上での自由を謳歌させて貰っていたのでした。
今の生活に不満を感じて「あの頃は良かった。戻りたい」ではなく、純粋に「青春時代」と呼べるような時間を持てたことが、本当に幸せだったのだと感じます。
こんなことを感じるのも、自分が年を取ったからでしょうか。
高校時代、「このまま家にいては自分が自分でなくなる」と、自分を守るために必死で家を飛び出し、学生時代はいっちょ前に「自分探し」に明け暮れていた気がしていましたが、今考えるとそんな青春の小悩みなんてお粗末なもので、タマネギの皮を剥いていったら最後には何も残らないように、「本当の自分」なんて、探してもどこにもないと、気づいたのは働き出してからでした。
でも、「お寺」や「〇〇さんとこの子」という所属を外れての生活は、本当に開放的で快適でした。
離れて見えるもの、時間が経って分かることも多いのだとしみじみ感じます。
  

Posted by 守綱寺 at 15:30Comments(0)今日も快晴!?