2017年11月28日

本堂に座って 2017年11月

本堂に座って 2017年11月


このところ、危険な運転や嫌がらせ運転の話題がよく取り上げられています。
元常習者の方の「土下座までさせれば、こちらも気がすむ」なんてコメントが紹介されていましたが、何がそこまでさせてしまうのでしょうか…?
報恩講に際して書かれた高柳先生のお話から、その心の内が見えてきます。
後ろの自動車からクラクションを鳴らされて、怒りに駆られて人を殺してしまったという事件が起きたと聞いても、「またか」と思って、私たちはこの頃、驚かなくなっているのではないでしょうか。
何故なら、自分も何かのきっかけで暴発するかもと、感じているからなのかもしれません。
今の私たちは、一寸でも相手に非があると、徹底的に責め立て、怒鳴りつけ、土下座をさせたくなる衝動に駆られてしまいます。
どうして、これほどまでに私たちの心は苛立ち、すぐに臨界点に達してしまうようになったのでしょうか。
ニーチェが「神は死んだ、俺たちが神を殺したのだ」と叫んでから既に百年が過ぎ、「安楽浄土」とか「如来の大悲」という言葉が心に響かない「近代文明社会」を生きている私たち。
振り返ってみると、小さい頃から、どこに居ても採点・評価され、点数が低いと、「何をやっているんだ」と責め立てられ続けてきました。
しかも、責め立てたのは、他人だけではなく、一番身近な親や祖父母であったりもしました。
それ故に、学校や職場だけでなく、自分の家でさえも安らげる場所ではなくなってしまって、いつも見捨てられるんじゃないかという怯えと怨みが、心の底にずっとあるのではないでしょうか。
こうして私たちは、いつも周りからの評価の眼に晒され、怯えているので、ハリネズミのように誰に対しても警戒心をいだき、自分を防御せずにはおれません。
ハリネズミのような私たちの心は、世界の中に独りぼっちだという深い孤独感で覆われていて、たまに自分のことをわかってくれる人が現れても、「きっと、この人も私から離れていくだろう」という深い疑いが消え去ることがないのです。
ところが驚くべきことに、そうした私たちの、怯え怨む心を、如来は自分のこととして深く悲しみ、全存在を賭けて、大いなる安らぎを衆生に実現せずにはおかない(「一切の恐懼に、ために大安を作さん。」〈『仏説無量寿経』「嘆仏偈」〉)と、深く決意しておられるのです。
実の親でさえも、子どもを裁き、捨てることがあります。
しかし、如来は裁きません。無条件に「そのまま」と呼びかけ、受け入れてくださる。
そうなのです。
悲しいことですが、「実の親」は「真実の親」ではなく、如来こそが決して見捨てることがない「真実の親」なのです。しかし「そのまま」との声は単なる受容ではなく、自分を握り、守る、その自分を投げ出せ、という「絶対否定」の声です。
その声が真に身に響き、聞こえる時、殻を作り防御している、その自分全体が投げ出され、無条件の世界が開かれるのです。
しかも、その如来は、どこか遠くにいる神がかった神秘的な存在ではありません。
私に「そのまま」と呼びかけてくださるのは、私に先立って如来の心にふれた師であり、師の中に如来は生きてはたらいているのです。
その師は、「私はあなたの師だ」とは決して言わず、逆に、「あなたは私の深い親友です」と言われ、世の中の人すべてが、そして実の親さえもが私を見捨てたとしても、私を無条件に信じ、いつも隣に居て、あるいは先に歩んで、呼びかけてくださっている。
そのことに気づかされ、自分が投げ出される時、凍り付いた心は溶け、孤独から解放されるのです。すなわち、「真実の親」である如来に遇える時、同時に、「真実の友」「師」をいただくことができるのです。その時ハリネズミの針は消え、深い警戒心と怨みは溶け、冷たい風こそが自身を立ち上がらせてくれる暖かい風と感じられるようになる。そして、不思議にも、どんな人をも敬い信じ、一切衆生の苦しみを自分のことと感じ背負う「報恩の今」を、いつも新しく生きる事ができるのです。
(『報恩講』東本願寺出版発行「「真実の親」に遇う」高柳正裕 著より引用しました。)

高柳先生には守綱寺の報恩講(11月11日・12日)でお話いただきます。
どなたでもお越しいただけますので、ぜひ先生のお話を聞きに来てください。


同じカテゴリー(本堂に座って)の記事画像
本堂に座って 2024年3月
本堂に座って 2024年2月
本堂に座って 2024年1月
本堂に座って 2023年12月
本堂に座って 2023年11月
本堂に座って 2023年10月
同じカテゴリー(本堂に座って)の記事
 本堂に座って 2024年3月 (2024-03-11 14:50)
 本堂に座って 2024年2月 (2024-02-15 13:40)
 本堂に座って 2024年1月 (2024-01-09 17:23)
 本堂に座って 2023年12月 (2023-12-26 17:27)
 本堂に座って 2023年11月 (2023-12-26 10:17)
 本堂に座って 2023年10月 (2023-12-26 09:57)
Posted by 守綱寺 at 20:00│Comments(0)本堂に座って
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
本堂に座って 2017年11月
    コメント(0)