2018年04月26日

本堂に座って 2018年4月


本堂に座って 2018年4月

今月はタイトルが気になって読んでみた本、『一汁一菜でよいという提案』から文章を紹介します。
食べ盛りの子どもたちと同じように食べていて、体重が気になる今日この頃、と思って読んでみたのですが、「食事」についての文章が、思いがけず仏教につながっていると感じた…そんなお話です。

私たちは日頃、ご飯を食べることを「食事する」と簡単に言いますが、そもそも「食べる」ことは「食事」という営みの中にあることで、単に食べることだけが「食事」ではありません。
食べるとなれば、家族のだれかが買い物をして材料を用意する。
野菜を洗って下ごしらえをする。ご飯を炊いて、菜を煮て汁を作り、魚を焼いて盛る。
そして食卓にその皿を並べるのです。このように、ものを食べるとなると、必ず一定の行動がともないます。
その食べるための行為のすべてを「食事」と言います。
生きるためには身体を動かし、立ち上がり、手を働かせ、肉体を使って食べなければならない。
ゆえに、「生きることの原点となる食事的行動には、様々な知能や技能を養う学習機能が組み込まれている」のです。
それは、人間の根元的な生きる力となるものです。
このことを知っている身体は直感的に感じ、「毎日の食事をきちんとしたい」と(自我に)伝えているのだと思います。
食べ終われば、後片付けをして掃除する。
ほっと一息ついて、他の用事を済ませてしばらくすれば、また次のご飯の準備がはじまる。また料理して、食べる。
そして片付ける。
翌朝起きれば、また朝ご飯を作って、食べる。
この毎日の繰り返しが「人間の暮らし」であり、その意味は、やがてそれぞれ美しいかたちとなって、家族である人間のそれぞれに現れてくるものと信じます。
人生とは、食べるために人と関わり、働き、料理して、食べさせ、伝え(教育)、家族を育て、命をつなぐことです。
料理することは人間として生きるためには欠かせないものですが、今、私たちのいる現代の日本では、必ずしも料理をしなくても良くなりました。
できあがった料理を手軽に買い求めて食べることで、「料理する」を省略できるからです。
となると、人間は食べるために必然であった行動(働き)を、捨てることになります。
「行動(働き)」と「食べる」の連動性がなくなれば、生きるための学習機能を失うことになり、行動して食べることが心を育てると考えれば、大いに心の発達やバランスを崩すことになってしまいます。
同時に、現代社会では、料理したくても時間が取れないという問題や、働いても満足に食べられないという貧困の問題が起こっています。
これはもう社会システムのほうに問題があるのではと疑ってしまいます。
それを企業家は「資本主義の競争の原理による必然」と説明するのですが、そのような社会の状態を、数学者であり、日本人の心の働きや文化に関わる著作も多い岡 潔は、「生存競争」と言って憂えています。
生存競争とは生きるために殺し合いをすることです。
けれど、人間の努力は人間の幸福に向かっていなければならないのです。 (中略)
少なくとも、人間にとって人生の大切な時期に手作りの良い食事と関わることが重要です。
新しい家庭を築くはじまりに、また、子どもが大人になるまでのあいだの食事が特に大切だと思います。
そして自分自身を大切にしたいと思うなら、丁寧に生きることです。
一人暮らしでも食事をきちんとして欲しいと思います。
そうすることで、自分の暮らしに戒めを与え、良き習慣という秩序がついてくるのです。
どうぞ踏ん張って下さい。なぜならば、料理することのない人生は、岡 潔が「生存競争とは“無明”でしかない」とすることにも、重なるのかもしれません。
無明とは、仏教でいうところの人間の醜悪にして恐ろしい一面です。
(『一汁一菜でよいという提案』土井善晴著 グラフィック社刊 より引用しました。)

まず、「食事」とは、ただ「食べること」ではなく「買い物から片付けまで」であるという捉え方が新鮮でした。
そしてふと、「食事」を「仏事」と置き換えてみたら…自分自身の仏さまとの関わり方が問われている様に感じたのです。
「食べる→法事・月参り」、「料理→お内仏のお給仕(日常のお仏壇のお世話)」、と考えていくと、日々の仏さまとの関わりが、心を育て、暮らしを見つめ直し、良い習慣が身に付くことにつながる…またそれは「新しい家庭を築くはじまり」「子どもが大人になるまでのあいだ」「一人暮らし」に特に大切なこと、なのです。
食事も仏事も、今一度、生活の中で見直さなければいけないのだと思います。


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Posted by 守綱寺 at 20:00│Comments(0)本堂に座って
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