2019年01月04日

清風 2018年10月

清風 2018年10月

対話こそは、暴力・戦争に対する
真の意味での反対語なのです。
 (暉峻淑子『対話する社会へ』経済学者 岩波新書2017.1刊)

ディベートは、話す前と後で考えが変わったほうが負け。ダイアローグは、話す前と後で考えが変わっていなければ意味がない。 <平田オリザ>

ディベート(討論)とダイアローグ(対話)の違いについて訊(たず)ねたとき、劇作家(平田オリザ)から即座に返ってきた答え。
対話は、共通の足場を持たない者の間で試みられる。呼びかけと応えの愉(たの)しい交換であり、吐露と聴取の控えめな交換であり、埋まらない溝を思い知らされた後の沈黙の交換でもある。討論よりおそらくはるかに難しい。
『折々の言葉』(2018・2・20)朝日新聞より 鷲田清一 執筆

論破禁止 <高橋源一郎>

明治学院大学・高橋ゼミの方針は何かと問われ、作家(でもある高橋)はこう答えた。「誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔ってるみたいで、すごく卑しい感じがするから」と。
対話は、それを通じて各人が自分を超えることを希(ねが)ってなされる。相手へのリスペクト(敬意)と自己へのサスペクト(疑念)がなければ成り立たない。(2018・1・15のツイッターから)
『折々の言葉』(2018・2・19)上記に同じ

現在の我が国では、議論というとディベートになってしまい、対話にはならないようです。
「囲い込む」というのでしょうか、「レッテル貼り」とでもいうのでしょうか、「相手への敬意と自己への疑念がなく」、せっかく議論の場が設定されても言いっ放しになっているようです。
議論が展開してお互いが「埋まらない溝を思い知らされた後の沈黙の交換」にはなっていない後味の悪さのみが残るという非生産的な議論しかされない内容となっているのは、何故でしょうか。
対話は、「それを通じて各人が自分を超えることを希(ねが)ってなされる、相手への敬意と自己への疑念がなければ成り立たない」と言われています。
「討論よりおそらくはるかに難しい」と言われている理由かもしれません。

さて、話はちょっと飛ぶのですが、日本国の憲法を読まれたことはありますか。
それこそ多忙で、ゆっくり読んだことがないという方もおられるのではないかと思いますが、今の憲法は、1930年からの戦争の惨禍(アジア、ことに朝鮮・中国並びにアジア各地の人々に、我が国は五百万を超える犠牲者を出した、これらの犠牲)の上に、この憲法は生まれたのでした。その願いが次のように示されています。
先ず「前文」の冒頭です。「日本国民は、(略)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
そして第9条には「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

そういう事実の上に立って、日本国民はこの憲法を確定したのです。

憲法第99条に、わざわざ「憲法尊重擁護の義務」として「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と記されています。
「憲法尊重擁護の義務」に国民は入っていません。
なぜなら、国民は主権者として政府がこの憲法の制定の願いを外さないよう監視する義務をこそ、先に述べた、我が国の犠牲になったアジアの諸国民に負っているのです。
勿論、この国の犠牲者である、広島・長崎の原爆犠牲者、連合軍の空爆の犠牲になった人々の願いも込められていることも忘れてはならないことですが。
国会議員の諸氏は、先ずもって第99条の「憲法擁護の義務」には「国民」の語が無いことの確認、確かめから議論を始められるよう願われていることを忘れないでいただきたいと思います。

冒頭に掲げた言葉に「対話こそは暴力・戦争に対する真の意味での反対語なのです」とあるように、話し合いがいい加減にされ、議論が成り立たないということは、もうすでに暴力の行使・戦争状態にあるということなのです。
なぜなら、戦争・暴力は対話を無視するところ、つまり冒頭の「論破禁止」で述べられているように、「対話はそれを通じて各人が自分を超えることを希ってなされる。
相手へのリスペクト(敬意)と自己へのサスペクト(疑念)がなければなりたたない」からなのです。
対話こそが暴力・戦争に対する真の意味での反対語なのです。
平和であることのキーワードは「いのちは尊い」ということがスタート地点であり、また結論なのですから。

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Posted by 守綱寺 at 15:48│Comments(0)清風
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