2019年05月19日

清風 2019年3月

清風 2019年3月

「清風紙」1月号・2月号の一面で紹介した浅田正作さんの詩の題と語句を改めて紹介します。
1月号は「ここ」と題し、「ここに居て喜べず ずい分 よそを捜したが ここをはなれて 喜びは どこにもなかった」。2月号は「足もと」と題し、「なにもかも 当たり前にしているほどの不幸が またとあろうか 如来(ほとけ)はつねに 足もとの幸せに気づけよと 仰せくださる」
これは、冒頭で紹介した釈尊の言葉に呼応している人の受け取りと言えるのではないでしょうか。
この詩で紹介した内容が、実は、現実の私の暮らしで飽きずにしていることで、「人が本当に何を欲しているのかを知るのは、多くの人が考えるほどに容易なことではないこと、それは人間が誰でも解決しなければならない最も困難な問題の一つである」と(「清風」先月号2面に)指摘していることなのでした。
「よく考えれば、宗教を救済としてのみ見るのは、人間の自己肯定である。根源的意味でのエゴイズムである」(2018年11月号1面)という安田理深先生の言葉を紹介させてもらっていますが、要するに親鸞という人は、私たちの宗教観を改めて問うてくださった方ではないかと思います。
宗教観とは宗教をどのように見ているか、受け止めているのか、ということなのですが、少し角度を替えてみれば、幸せについてどのように考えているのかと、一度立ち止まって考えてみるということで
身近なことで言えば、丁度今は受験シーズンの3月ですから受験生の親さんから言えば、何と言っても志望校に合格することでしょう。天神さまへ行ってお札を求め、志望校への合格を祈る方も居られることと思います。子のため、また孫のためと。
合格すれば、当座はそれで良かったというわけですが、しかし入学してみれば、当然のことながら校内ではみんな合格した生徒・学生ばかりです。つまり入学してみれば、合格した喜びは受験生本人からすればもう過去のことで、当たり前の日常生活にもどります。校内での成績が、また当然のことながら、関心事の中心となります。また、志望校を受験し、その希望が適わなかった場合は、第2の志望校への進学ということにしなければならないでしょう。
しかし、その合格・不合格いずれにしても、そのとき、受験できた健康な身体と能力を与えられていたことは、もうこれも当たり前のことになります。

宗教観の一つの典型例として受験を例にしてみたのですが、ここで遠藤周作さん(作家、カソリック教徒)の宗教観を紹介することにします。
「神も仏もあるものかというところから、本当の宗教は始まる」
「私の都合」が作り出している神・仏、それはエゴ(基準は自分の都合に合うか、合わないか。
合えばいただこう、合わなければ排除する)が対象的に作り出しているのであって、狐や狸まで神として祀られていることもあります。
因みに遠藤さんは、自分を「狐狸庵」と称しておられました。
私はこの遠藤さんの狐狸庵という名告りに、私たちが平常忘れ去ってしまっている奥ゆかしさ、本当の意味での謙譲、懐の深い人間観を教えられる心地がします。
これは、大岡昇平さんの作品『俘虜記』の本文、冒頭に添えられてある「わがこころのよくてころさぬにはあらず」(我が心の善くて殺さぬにはあらず)(『歎異抄』第13章)の言葉とも、響きあっていることを感じます。
これらの作家の作品の心情の底を流れているものこそ、上に掲げた安田先生の文章には、続いて「それを破って人間をして深い根元に呼びかえす、自覚こそ宗教の本質でなくてはならぬ」(2018年11月号「清風」冒頭の文)と記されている、「人間を深い根元に呼びかえす」と言われている、その根元に気づいた人の生き様なのでしょう。
その「深い根元」とは、誕生の言葉それ自身、「私は生まれた」という表現に示されていたのです。
その「深い根元」からの呼びかけ、浅田正作さんの詩で言えば題の「ここ」「足もと」なのですし、それこそが冒頭の「あなたは あなたで在ればよい。あなたは あなたに成ればよい。」という言葉であったのでしょう。


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