2020年10月05日
清風 2020年10月
われ思う、故にわれあり
「私」の存在根拠をたずねて、それは「思う」ということに置いた。
「思う」とは考えるということ。
デカルト(1596~1650)フランス哲学者
さて、「我は不死をえたり」。
これは釈尊がお覚りを開かれた時の言葉と伝えられています。
この言葉では「無死」とは言われていないことが注意されてきました。
釈尊が見出された「法・ダルマ(人にとって生きる上での真理という意味)」によって仏教に生きる人が生まれ、仏法が伝承されてきた … その事実が「法」が永遠に伝えられていくことを物語っています。
親鸞その人が、釈尊から師・法然上人までインド・中国・日本に七人の人を挙げて、間違いのない仏法(ダルマ)を伝えてくださった人が誕生してきたその事実(伝統)を示しておられるように、釈尊はおよそ2500年前の人ですが、その教え(法・ダルマ)は今に伝承されて、南無阿弥陀仏を自己の立脚地として歩む人が生まれてくださっています。
その釈尊誕生時の、これもよく知られている宣言「天上天下唯我独尊(天にも地にも、唯、我一人であって尊い)」とあるように、釈尊は「法・ダルマ(真理・真実)」を発見したと言われています。
その法というのは、たった一人であって、その人のままで、要するに持ち物いかんによって左右されない確かなはたらき、ということを指すのです。
こういう背景(伝統)ということがあって、あの「三帰依文」の冒頭の句「人身受け難し」、また「横川法語」の中の「人間に生まるることをよろこぶべし」という言葉も生まれてきたと言えるのでしょう。
この冒頭に掲げた「われ思う。故にわれあり」は、現代人の不安・迷いの根底にあるのは「いのち」が見えなくなっている事実であると、示されていると言えます。
人という生きものは知恵を持つが故に私が私のものとなり、いのちがあって私が存在しているにも関わらず生と死を分裂させてしまい、私のいのち・私の死と、いのちも死も私有化してしまい、その重みに私がよろめいてしまっているのです。
この事態を考えるために、15歳の少女の手紙を紹介します。
今日は。
私は15歳です。
岡真史君の『僕は12歳』を読みました。
真史君は生きていれば14歳になったでしょう。
私も、そう、まだ小学校の1年生のころから、詩や物語を書いてきました。
私はそれらにひたるしか淋しさから悲しさからのがれることができなかったからです。
私は真史君の詩を読んでいて、涙が止まりません。
何故なら、私も何度、真史君と同じようなことを思ったか、しれないからです。
何度死のうと思ったことか。
でも私は弱いから、死ねなかったんです。
「今の子供は、今の子供は」と大人達は言います。
でも私達のような本当に何も知らない者が、どうしてそうなってしまったのでしょうか。
確かに私達の意思の弱さもあるかもしれません。
でも、その裏側を誰も気づいてはくれないのです。
死ぬことはひきょうかもしれません。
逃避なのですから。
でも何かがほしいんです。何かわかりません。
でもお金でもない。品物でもないんです。
名声でも地位でもありません。何かです。
それは純粋な気持ちであって、打算や妥協なんかでは、決してないのです。
何かを求めて、求めても、この世界にないことがわかったから、私達は旅立とうとするのです。
まず、先月号の「清風」冒頭に掲げた「よしあしの文字をも知らぬ人はみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり」の親鸞聖人の言葉をよく読んでおいてください。
「我が思い」というものを一番確かな依り処(立脚地)として疑ったことが無い、そのことこそが親鸞聖人の指摘されている「おおそらごと(大虚事)なのでしょう。
何故かといえば、私(エゴ)を中心にして生きているということに疑いすら持たない、持てないのでしょうから。
「お金でも、品物でも、名声でも、地位でもありません。何かです」という少女の悲痛な叫びから、私ども大人の生き方が問われているのだと思われた方もおおいのではないでしょうか。
デカルトの言葉を参考にしつつ、現代人の誰もが陥っている「いのちの私有化」について、さらに考えていきたいと思います。 (続く)
Posted by 守綱寺 at 14:52│Comments(0)
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