清風 2023年11月

守綱寺

2023年12月26日 10:19



人間の本質はGDP(国内総生産額)によってのみ計りうる
ものではない。われわれは「学びの社会」の時代に入ったと
いうことをしばしば耳にする。
これは確かに、真実であることを希望しよう。

『人間復興の経済』(『スモール イズ ビューティフル』P15)
シュマッハー(1911~1977)著 佑学社 1976年刊


昨年の「清風」9月号の巻頭に紹介させていただいた文です。
今月号では、この中に書かれている「人間の本質はGDPによってのみ計りうるものではない」の句の内容の、特に「人間の本質」ということについて、鈴木大拙師の著『日本の霊性化』(1947(昭和22)年3月出版)から、あらためて学びたいと思います。
まず、この本の最終章で「日本国憲法」について、次のように書かれています。「人間の本質」を考える一助として、紹介させていただきます。

ところが、不思議な因縁で、われらは今日何といっても、この霊性的なるものをしっかりと掴まなくてはならぬようになってきたわけなんであります。
それは日本の敗北です。日本軍の無条件降伏です。
いまや日本は武器というものをすべて捨てなくてはならぬことになった。
独立の国家というところから見ると防御の羽翼も爪牙もみな剥ぎとられて誠にみじめな存在である、あるいは存在でないともいわれましょう。
しかし、こうならないと、すなわち真裸にならないと、中核の霊性は露出してこないのです。
人間の真実は真裸になって初めて見え出すのです。武器がないのはかえっておおいに喜ぶべきことだと思います。
だいぶ前、今から15,6年か20年ほど前でありましたか、世界の強国が軍備縮小をやろうといいました。
そのとき自分の考えでは、軍備縮小をしないで、軍備全部を止めてしまったらいいじゃないかというのであった。
それを当時2,3の友達に話したら、みないわく「そういうとりとめのない漠然とした夢物語は何の効果をも挙げえない。
何といっても、戦争は人間の仕業だ、軍備などは止められない。」と、こう友達は申しておりました。
私としては、しかし、今日に至ってもこの考えは捨てていないのであります。まず最初に誰かが真裸になればいいんだ。
何かで裸にならぬから、いろいろなことが出てくるのです。
本当の無抵抗主義・アヒンサー主義で押し通すという覚悟・大覚悟ができさえすれば、やれぬことはないと信ずる。
ところが幸か不幸か知らないが、今日の日本は敗戦の故に全ての軍備を放棄することになった。
これが普通の動物であったら大変なことになるのだが、さいわいに我ら人間である。真裸では狼一匹にも敵しえない人間も、智慧があるので、何とか防御の手段も考えられる。
ことに相手もまた人間であるので向こうにも智慧はあるが、そのほかにまた道義性もあり、霊性もある、ただの力だけでない、それで霊犀一点通ずる(犀の角は中心に穴があって両方が通ずるから、人の意思の疎通、投合するたとえ)ものがあるに極っている。
ここに人間のありがたさがあるのです。至誠天を貫くとも至誠神のごとしともいいます。
これは大悲願力です。大悲願力には、武器はない。武器の必要がない、いつも赤裸々でいるのです。力はいらないのです。
元来、力は二つのものが対抗するときに出てくるものです。
何か対抗するものがないと、力がまた発揮せられぬのであるが、この力のなかからは、どうしても宗教は出てこない。
信仰というもの、大悲というものは出てこないのです。
本願も大悲であるが、無縁の大悲といって、大悲は無縁で無上であるから対抗的・対象的・相関的なものではないのです。
故に大悲 ―これは宗教の本質であるが― は力以上のものです。
すなわち、力からは決して大悲は出てこないのです。これはまちがいのないところと信じております。
今日我ら日本人全体に課せられた問題はどうしてこの大悲を体得し、これを現実化していくかというところにあるのです。
特にこれは仏教徒に課せられたものといってよい、まず、仏教徒が中心になって大悲願運動を展開して、これをもって日本全国の人びとを動かすのです。
日本全国を動かすというだけでない、さらに進んでこれでもって全世界を動かしていかなければならぬのです。
そこに日本として世界文化に貢献すべきものがあると、私は信ずるのです。
これがあるいは日本国が生まれて日本国民全体として果たすべき世界的使命であったのではなかったかしらん、我ら日本人は始めからこのように運命づけられていたのではないかと、こういうような感じがするのであります。
『日本の霊性化』第一講
岩波版全集第8巻(P245L16~P247L9)

鈴木大拙(1870~1966)
1921年、大谷大学教授として、西田幾多郎の勧めもあり着任。世界に向け、英文季刊誌『イースタン・ブディスト』を刊行。
東本願寺は1961年に勤修する宗祖親鸞聖人の御誕生800年・立教開宗750年の記念事業として、宗祖親鸞聖人の著『教行信証』の英訳を依頼し、1973年に刊行された。
『日本の霊性化』は、日本国憲法の発布と施行の間という時期に書かれています。1946(昭和21)年6月に大谷大学で5回にわたって行われた講演の筆記をもとにしてできたものです。
新憲法の発布について大拙師は、その意義をこの本の「序」で次のように述べておられます。
「新憲法の発布は日本霊性化の第一歩と云ってよい。これは政治革命を意味するだけのものではない。
戦争放棄は「世界政府」又は「世界国家」建設の伏線である。」 註)霊性について(大拙師の解説)
知性からは霊性は出ないが、霊性からは知性が出るのです。すなわち霊性には般若の
智慧が含まれていると同時に大悲または悲願という面がまたあるのです。霊性は大智で兼ねて大悲なのです。

関連記事