2024年05月16日 16:27
戦争・暴力の反対語は
平和ではなく、対話です。
『対話する社会へ』暉峻淑子著「前書き」 岩波新書
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻み続けることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服するのではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。
しかし、過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
「荒れ野の40年」ヴァイツゼッカー大統領演説
『世界』(1985年11月号掲載岩波書店刊)
その後、1986年2月に「荒れ野の40年」という題で
「岩波ブックレットNo.55」として出版されている。
ここに紹介した演説は、1985年5月8日ドイツの敗戦40周年に
あたっての、ドイツ連邦議会での演説の一部である。
次に、最近の憲法(特に第9条)をめぐっての内閣の姿勢について、坂田正裕氏(元内閣法制局長官)の感想を紹介します。これは雑誌『通販生活』2023年盛夏号(2023年7月15日発行)に掲載されたものです。
内閣法制局とは、簡単に言えば内閣の法律顧問です。閣議に付される法律や条令の案について、憲法に抵触していないかなどの事前審査を担うとともに、内閣が法的な問題― 例えば自衛隊の海外派遣についてなど、大半は憲法に関する問題です。
かつてその職にあった私が今感じているのは、条文こそ変わっていないけれど、憲法9条はすでに「死んでいる」のではないかということです。
9条2項に「戦力の不保持」が定められていながら「自衛隊は戦力ではないから合憲」と説明してきました。その根拠となってきたのが「海外で武力行使をしない」「専守防衛」という、日本の安全保障政策の二本の柱だったのです。
敵基地攻撃能力の保有の是非を、政府は憲法問題として扱いませんでした。しかし、2014年7月の閣議で当時の安倍首相は、翌年に安全保障法制が成立し、集団的自衛権の行使が認められたとして、「存立危機事態」においては、我が国の周辺の公海・公空までという自衛隊の活動範囲の地理的な制約が消え、米軍と一緒に地球の裏側までも武力行使ができるようになっています。
そして2022年末、岸田政権が安全保障の基本方針「国家安全保障戦略」を改定し「敵基地攻撃能力の保有」を決定したことで、「自衛隊は戦力ではないから合憲」としてきた根拠が崩れました。また「専守防衛」に変更はないと主張していますが、これは全く詭弁です。
こうした政府、自民党の憲法を無視した姿勢について、内閣法制局としては、憲法上これは認められないとしたため、坂田氏は安倍首相に法制局長官職を罷免されたのです。長官を首相のイエスマンに取っ替え、敵基地攻撃能力の保有を決めた「国家安全保障戦略」は法律でも法令でもないため、内閣法制局の事前審査の対象になりませんでした。意見を求められれば「9条に抵触する」という指摘が出たかもしれませんが、政府は一貫して「これは憲法問題ではない」という立場を通していたので、そうした場面はなかったのだと思います。
今、私ども国民は、今の「憲法の前文の劈頭」に次のように書かねばならなかった先人の深い願いに思いを偲ばせねばならないと思うことしきりです。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と書き出されている文言に、我が国が近代(明治以降、1868年~1945年まで)戦争に明け暮れてきたことを思えば、政府は言うに及ばず、私ども国民も、今の憲法の「二度と過ちは繰り返さない」という前提に立ち、「やはり平和主義を守ろう」と敗戦を契機として廃戦を決意し、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という先人の願いに立って、第9条が置かれているのですから。