清風 2024年9月

守綱寺

2024年10月23日 11:30


和をもって 尊しとなす

十七条憲法 第一条より(聖徳太子制定)     
憲法第九条は日本の戦争責任告白です。

 歴史小説家の司馬遼太郎は、昭和20(1945)年当時、関東平野を守るべく栃木県佐野の戦車第1連隊に所属していました。そこで大本営から来た少佐参謀の言葉に驚愕します。
 連隊のある将校が、この人に質問した。
 「われわれの連隊は、敵が上陸すると同時に南下して敵を水際で撃滅する任務を持っているが、しかし、敵上陸とともに、東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるであろうから、当然、街道の交通混雑が予想される。こういう場合、我が80両の中戦車は、戦場到着までに立ち往生してしまう。どうすればよいか。」
 高級な戦術論ではなく、ごく常識的な質問である。だから大本営少佐参謀もごく当たり前な表情で答えた。
 「轢き殺してゆく。」
        『歴史の中の日本』中公文庫 1994年刊 P311~312
 こうした体験から、司馬遼太郎は別の随筆で次のように論評しています。
 戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が全面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが、論理的に正しくなるのである。(中略)沖縄戦において県民が軍隊に虐殺されたというのも、よく言われているように、あれが沖縄における特殊状況だったと、どうにも思えないのである。
        『歴史と視点 ― 私の雑記帖』新潮文庫 1980年刊 P90
 自衛官出身の軍事専門家、潮 匡人さんは
 軍隊は何を守るのかと言い換えるなら、その答えは国民の生命・財産ではありません。それを守るのは警察や消防の仕事であって、軍隊の「本来任務」ではないのです。
     『常識としての軍事学』中公新書ラクレ 2005年 P188

 こうした軍事専門家の発言は現実を踏まえた道理であり、虚偽を並べ立てる政治家よりもよほど信頼できるものと考えられます。

 かつてドイツのメルケル首相は、日本訪問の折、当時首相であった安倍首相と対談し、「日本はアジアに友人がいますか」と問われたそうです。その発言には次のような背景があります。
 ドイツは敗戦後、隣国フランス・ポーランドと友好関係を深める努力をしてきたことを説明されました。ナチスによるユダヤ人虐殺などをめぐって、ヴァイツゼッカー大統領は第2次世界大戦敗戦40周年にあたりドイツ連邦議会で演説を行い(1984年5月8日)、
 問題は過去を克服することではありません。左様なことができるわけではありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
『荒れ野の40年』岩波ブックレット№55 1986年2月20日 岩波書店刊
と述べています。ドイツは敗戦の日・5月8日にフランスとポーランドへ、大統領並びに首相が慰霊に訪れているのです。
 日本は第2次大戦で、アジアの国々に攻め入ってたくさんの軍人・市民を殺戮しているにもかかわらず、次の世代まで謝らせるわけにはいかないとし、「おこらなかったこと」にしてしまっていると言われています。
 戦後80年、そろそろ今の日本政府も、まず沖縄の米軍基地の管理権を日本に返却させる交渉を始めるべきではないでしょうか。ドイツ・イタリア・フィリピンの戦後の歩みに学び、独立国としての体制を整えるべきだと思うのですが。

 日本がアジアの一員として存在し続けるためには、大陸や朝鮮半島の国々と協力関係を築き、アジアにおける集団安全保障の枠組みをいかに作っていくかという議論をする時期にきているのではないでしょうか。憲法第9条は、こうした信頼関係を結ぶ上で、軍事力強化によってではなく、安心の供与という点から、重要なものだと思われます。
 百年以上にわたり悲惨な戦争を繰り返してきたドイツとフランスが、今後軍事的に衝突を繰り返すと考える人はほとんどいないでしょう。1963年に締結されたエリゼ条約締結50周年(2013年1月)にあたり、駐日独仏大使が連名で発表した寄稿文(朝日新聞2013年1月13日付)で、「対立がもたらす代償がいかに大きく、和解から得られる利点がいかに大きいかを、歴史の教訓から知った」として、今後の平和的独仏関係を確認しています。

註)今月号の「清風」紙の「今月の掲示板」に紹介されている「運命の花びら」
 (森村誠一)、また先月号・今月号の「守綱寺カレンダー」“本堂に座って”に
  掲載されている平川宗信氏の文章も、ぜひお読みください。


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