今月も先月に引き続き平川宗信先生の講演録を紹介します。今回は、軍事力を頼りにするのか、非戦・非武装、非暴力・不服従抵抗についてのお話です。
<鬼神を頼むのか、本願を恃むのか>
私は軍事力は『教行信証』化身土巻にある「鬼神」だと思います。「鬼神」は非常に強い力を持っていて、頼りにすれば自分たちを守ってくれるように見える。しかし不正直で人をたぶらかし、一つ間違えて怒らせると大変な災いを振り掛けてきて、最後はいのちを奪われるような存在…ではないかと思うのです。親鸞聖人は、「鬼神を信じるな、鬼神を頼むな」ということを『教行信証』化身土巻で繰り返しおっしゃっています。私たちは鬼神である軍事力を頼りにしてはいけないと思うわけです。
本願は日本人だけではなく、世界中の人々に届いています。本願には世界中の人々のいのちに呼びかけて、平和を愛する人、平和を願う人に変える力があると、私は信じています。私たち念仏者はその本願の力、本願力を信じて生きていく存在だと思うのです。本願力なんて当てにならない、やはり軍事力だと言うのであれば、その人は本願を信じていないのであって念仏者ではないと思います。軍事力ではなく本願を信じて生きていくのが念仏者である。そういうことではないかと思うのです。
<非戦・非武装に立つ平和構築>
私は、軍事力を頼りにせず、ただ本願のみを恃み、「非戦・非武装」に立ち続けるのが念仏者の平和運動だと思っています。日常のあらゆる場面で、戦争と軍事力のない、全てのいのちが共に生きることができるような世界を願い求めて、日々の行いを積み重ねて生きていくこと。これが念仏者に願われていることだと思うのです。まさにそれが、阿弥陀さまから私たちがいただいているお仕事だと思うのです。
「非戦・非武装」の日本国憲法の下にある日本政府も、いたずらにアメリカに追随するのではなく、自衛隊を徐々に縮小して災害救助隊に転換するなどし、在日米軍基地も徐々に縮小していって、日本の非軍事化を進めていく。そして、東アジアに国際平和を構築するための国際的なシステムをつくり上げていく。そのような外交努力をしていくべきだと思うのです。そして私たちは主権者として、そのような政府を実現していかなければならないと思います。そもそも日本は、資源もなければ食料もないような国です。こんな国を占領しても、何の得にもなりません。日本への侵攻・領有を「失った領土の回復」として正当化できる国もありません。私は、日本が非戦・非武装で平和外交を積極的に進めていけば、日本が侵攻される危険性はまずないと思うのです。
<非暴力・不服従抵抗による市民的防衛>
しかし「非戦・非武装」と言いますと、「万一とんでもない指導者がいて、日本を攻撃してきたらいったいどうするのだ。手を上げて降参するのか。あなたたちの頭の中はお気楽なお花畑だ」と言う人もあります。私はその心配はないと思っていますけれども、その疑念、揶揄に対する回答は一応持っていた方が良いと思います。私が持っている回答は「非暴力・不服従抵抗による防衛」です。平和学では「市民的防衛」と言われます。私たちはそれを追求していくべきではないかと考えています。仏教の基本にあるのは「非暴力」です。私たちが攻撃された場合でも非暴力で対応すべきだと思います。暴力は使わない。しかし相手の言うことは一切聞かない。万一外国の軍隊が入ってきてあれこれ指示しても言うことを聞かない。自分たちの考えに従って今まで通りの自分たちの生活を続けていく。それが「不服従」です。
非暴力というと無抵抗というように捉えられることが多いですが、非暴力は決して無抵抗ではありません。「不服従抵抗」という抵抗の仕方があります。非暴力・不服従抵抗は、国内で政府が不法・不当なことをしてきた時に、それに抵抗するために行われることが多いのですが、外国からの侵攻・占領・支配に対する抵抗として行われた例は少なくありません。最近は非暴力・不服従抵抗のやり方もいろいろと研究をされてきていて、研究によれば、抵抗の仕方として198通りのやり方があるとされています。ボイコット、ストライキ、座り込み、集団移住というようなものがその中に含まれています。
(『真宗』2024年6月号 東本願寺出版発行
念仏者の「非戦・非武装」に立つ平和運動 より引用しました)