本堂に座って 2024年9月

守綱寺

2024年10月23日 11:27


 今月も先月に引き続き平川宗信先生の講演録を紹介します。今回は、日本の現状から軍拡、有事の際の対応についてのお話です。

<今の日本は「新しい戦前」>
 このような本願の願い、憲法の理念・条規から見ていきますと、今の日本の現状は、非常に危うい、危機的な状況にあるように思えます。私は、現状に極めて強い危機感を持っています。最近、「新しい戦前」という言葉があちこちで聞かれるようになってきています。今の日本は、戦争準備が進んで、足早に戦争に向かっている。私は、そんな思いがしてなりません。
 本願も憲法九条も非戦・非武装を願っていますが、それとは真逆の動きが、現在、急速に進められていると言っていいと思います。その意味で、日本はアメリカと一体になって軍事大国、戦争をする国へと向かっていると思えてならないのです。
 しかし世論調査を見ますと、かなりの国民がこれを容認しているように見えます。それはなぜかと考えますと、おそらく一つには「台湾有事は日本有事」と言われて、そこに危機感を感じているということがあると思います。そして、もう一つには、ウクライナ戦争を見て、強力な軍事力を持たないと外国に侵攻される、軍備は強化しなければならないという意識が、国民の間にかなり広まってきていることがあるのではないかと思います。

<安全保障のジレンマ>
 平和学では、「安全保障のジレンマ」ということが言われます。どういうことかと言いますと、ある国が他国 ―「仮想敵国」ですね ― を念頭に軍備を増強したとします。そうすると、相手の国もそれを見て、「向こうは軍備を増強した。このままでは自分たちが負けてしまう」と、軍備を増強します。そうすると、こちらの国も、「向こうはまた軍備を増強している、こちらも」と、さらに軍備を増強し、軍拡競争になっていきます。それでは軍拡競争が無限にできるかと言えば、そんなことはないわけです。兵士にできる人員にも財政にも限界がありますから、無限に軍備を増強していけば、国は破綻してしまいます。そして、両方の国が軍備を拡大していけば、双方の軍隊が交錯して接触する機会が増えて、偶発的な軍事衝突が起きて戦争になる可能性が大きくなります。軍事力で平和を維持しようとすると、軍拡競争になって国が破綻するか、さもなければ軍事衝突によって戦争に発展するか。いわば、二つの落とし穴に落ちていくことになります。これが「安全保障のジレンマ」です。
 軍事力によって国を守ろう、平和を維持しようとしても、うまくはいきません。これが最近の平和学の知見です。その意味で、日本が軍備増強、軍拡によって平和を維持しようと考えるのは、危険だと思います。特に、中国と軍拡競争をやるのは無謀だと思っています。私は、日本という国は、もともと戦争ができるような国ではないと思っています。兵器も資源も燃料も食料も、すべて輸入に頼っている国です。自給できないわけです。もし戦争になって海上輸送が途絶えてしまえば、日本は干上がってしまいます。まず真っ先に食料がなくなってしまいます。「腹が減っては戦はできない」のでありまして、日本は戦争ができない国なのです。
 それに、そもそも戦時に軍隊は国民・住民を守りません。これは沖縄戦で沖縄の人たちが嫌というほど思い知らされたことです。軍隊がいれば攻撃対象になるだけであって、軍隊は住民を守ってはくれないというのが、沖縄戦の教訓です。法律上も、自衛隊は「住民を守る、国民を守る」とはされていません。自衛隊の任務を定めた自衛隊法第三条には、「我が国を防衛すること」が「主たる任務」として書かれていて、国民・住民を守ることは任務として書かれていません。国を守ることが、自衛隊の任務なのです。
 では有事の際、住民、国民を守るのはいったい誰なのか。これは有事法制によって、自治体の責務とされています。有事の際に住民を守る責任を負っているのは、自治体です。しかし有事の際、ミサイルが飛んできたり砲弾が飛んできたりしている中で、自治体が住民を守れるか、保護できるかといえば、できるはずがないと思います。有事になったら、住民の逃げ場はない。私はそのように思っています。
(『真宗』2024年6月号 東本願寺出版発行
念仏者の「非戦・非武装」に立つ平和運動 より引用しました)


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