今月は先月に引き続き、子どもの養育環境の改善に取り組まれている武田信子さんのインタビューを紹介します。
――幼児期につくられる土台が大切だということですね。
赤ちゃんは一人では生きていけない状態で生まれてきますよね。そして、いろいろな欲求が生まれた時に、その欲求に応えてくれる大人が必要です。自分の欲求に的確に応えてくれる存在が近くにいること。これが相手を信頼することにつながります。自分を助けてくれる技術や手立て、知識を持っている人にそばにいてほしいわけです。その自分の要求や生きていく為に必要なものをきちんと与えてくれる人に対して、基本的信頼感が生まれます。
何かびっくりすることが起こった時に、自分をぎゅっとしてくれるような、この人といれば安全と思えるような関係性ができていれば、次に何かあった時にその人に頼ろうとしますよね。だいたい生後7、8ヶ月ぐらいになってくると頼る人が決まってきます。そうすると、その人だけにくっついて人見知りするようになります。
ただ、最近は親が子どもの育て方、赤ちゃんの扱い方をあまりに知らないので、愛情はあっても、赤ちゃんをうまく扱えないのです。例えば大学生に、家の前に生まれたばかりの赤ちゃんが捨てられていたらどうするかと聞くと、コンビニで牛乳を買ってきて飲ますと言うんです。そんなことをしたら赤ちゃんは具合が悪くなってしまいます。赤ちゃんに対して愛情がないわけではなく、人間の赤ちゃんに牛の乳をそのまま飲ませてはいけないということを知らないだけなのです。このように、子どもが生まれた時に、何も知らずに子どもを育てようとすると赤ちゃんの立場からは虐待になり得ます。子育てを知らない人が多いのは、少子化で妹や弟、近所の子どもの世話をしたことがない人が増えてしまっているからではないでしょうか。教育虐待も親はよかれと思ってやっているわけで、子育て全体が同じような状態にあるわけです。昔は、小さい頃から身近な人が子育てをしているのを見ていたり、あるいは野菜や植物を育てたりしていましたよね。その中で、「育つ」というのがどういうことか自然に学んでいたのだと思います。
――家庭における学びや教育の観点から文化や伝統の継承をどのように考えておられますか。
赤ちゃんは生まれてすぐの頃から、自分が生きていくために、社会はどのように動いてくれるかを模索しています。どんな声で呼べば親が来てくれるかとか、手足をバタバタさせて重力を感じるとか、さまざまな試行錯誤をし、それが遊びや学びと言われるものにつながっていきます。赤ちゃんの頃は、生きることと、遊ぶことと、学ぶことと、生活することがほぼイコールなのです。そういった区別のつかないものの中から次第に言葉を学習したり、社会のルールを学習したりしていきます。そして、この基礎の積み上げが、学校という学びの場にもつながっていくのです。
例えば、「あめ」って書いてあった時に、食べる飴だとわかる子は飴を食べたことのある子です。しかも「あめ」には雨と飴という2つの意味があるということも、普段の生活の中で聞いていたからわかることです。それは学びでもあり、遊びでもあり、そういうものなんです。
だから、文化などの継承も、日々の生活の中でまわりの大人の役割や言葉遣いといったものが、いつの間にか、子どもに取り入れられているものだと思うのです。
――日本の教育について、社会を形成している私たち一人ひとりは、どのように考えていけばいいのでしょうか。
生涯学習という言葉がありますが、生まれてから死ぬまで脳の発達が止まることはないわけですから、大人だって学びます。私は子どもたちに何か特別に教える必要はそんなにないと思っています。大人たちが楽しく学んで生きている姿を見せていれば、自然と子どもたちもそれをやりたくなるのではないでしょうか。
何か教えるというよりも、日々の生活の中で自ずと感じることこそが大切だと思っています。教育って、人の姿から学ぶことだと思うので、大人たちが楽しく学んでいる姿を見せ、失敗してもそれをお互いに許し合い、支え合うような環境であることが大事なのではないかと思います。
(『同朋新聞』2024年11月号 東本願寺出版発行
人間といういのちの相(すがた)「社会の中で「子ども」は育つ」より引用しました)