本山・東本願寺から発行されている『同朋新聞』2024年11月号に、子どもの養育環境の改善に取り組まれている武田信子さんのインタビューが掲載されました。武田さんは、ご自身の経験から「子どもが育ちの中でしんどい思いをするのは、親だけが悪いのではなく、その背景に社会の問題がある、その社会のあり方そのものを問うていかなければならない。」との思いをお持ちです。武田さんが話された親子の関係について(今月と来月の2回に分けて)紹介します。
――武田さんは「エデュケーショナル・マルトリートメント」という問題に取り組まれていますが、これはどういうことでしょうか。
エデュケーショナル・マルトリートメントとは、親を含む大人が子どもに対して教育やしつけのつもりで行う、子どもの心身や脳を傷つける行為のことで、教育虐待なども含まれます。教育虐待とは、教育に対して子どもに過度に期待し、子どもの人権を無視して勉強や習い事などを無理強いすることです。家庭内で起こるものですが、教育虐待を親だけのせいにして、親を責めたところで、根本的な解決にはつながりません。「虐待」と呼ばれるまでに子どもに大きな期待をしてしまう背景にあるものは何か。教育虐待が私たちの社会構造の中で起こっているのであれば、その社会に生きている私たち一人ひとりが責任を持って、社会を変えていかなければいけないと考えています。
最近は子どもに悪影響を及ぼす親のことを「毒親」とも言われますが、そういった悪影響を及ぼす行為や価値観は、この社会の中で生まれているのです。親はそれぞれの価値観の中で精いっぱい子育てをしているつもりなのですが、考え方もやり方も間違えていて、子どもに加害してしまう。なぜ親も子もこんなに苦しまなければいけない社会なのか。だから私は、エデュケーショナル・マルトリートメントといった言葉を使いながら、「こんなひどい親がいますよ」ではなくて、こんな親が隣の家にいるのに何もできていない自分はいったいどうしたらよいだろうか」を問える社会にしませんか、ということをお伝えしています。
――「子どもたちが、昔に比べておとなしくなった」といった話を聞きますが、それは教育の効果によるものなのでしょうか。それとも、また別の原因があるのでしょうか。
赤ちゃんとその親が何人か集まっているひろばなどでは、赤ちゃんが興味を持ってハイハイで、他の子に近づこうとすると、ほとんどの親がぶつかることを避けて、後ろから止めます。あるいは、おもちゃが1個しかない場合、別のおもちゃを与えて、取り合いにならないようにします。本当は、そこで取り合いをすることによって、子どもたちは人との距離の取り方などを覚えていくのです。おもちゃをそれぞれに与え、人とトラブルにならないようにすると、けんかは起きませんが、人間関係を学ぶことができません。実は、物を取り合うことも大切な経験で、必要なことです。子どもたちは、赤ちゃんの時点から、やりたいこと、興味を持ったことを止められています。動物には、みんな主体性がありますよね。だから本来、主体性のない赤ちゃんなんていないはずですし、もし主体性のない子どもたいるとしたら、それは、生まれてからこれまでに何か主体性を持つことを止められた経験があるということです。
今は赤ちゃんの話をしていますが、赤ちゃんが大人になるわけですから、土台の部分は変わりません。学校でも、生徒が聞いたことにうまく先生が答えてくれなければ、だんだん子どもも先生に聞きに行かなくなります。他にも、授業中などは間違えて当然なのに、間違えると、みんなに笑われる。それを繰り返していたら、みんな発言しなくなりますよね。子どもたちに反発を許さず、大人が決めたとおりに従うように育てることを、教育の成果と言うかどうか。子どもに覇気がないなどと言われますが、結局、それは欲求や怒りなどの感情をすべて抑えられて、子どもが諦めているだけではないでしょうか。
(『同朋新聞』2024年11月号 東本願寺出版発行
人間といういのちの相(すがた)「社会の中で「子ども」は育つ」より引用しました)