11月16日(土)&17日(日)と、無事に報恩講が勤まりました。15日(金)の準備から、大勢のお檀家の皆さまにお手伝いに来て頂き、本当にありがとうございました。また、守綱寺の檀家でなくても、門徒会の方や、お寺で毎月行っているお稽古事の生徒さんや育児サークルのメンバーなど、様々なご縁の方に準備やお参りに足を運んで頂くことが出来て、本当に嬉しく思います。
守綱寺では、報恩講のお飾りのお団子=お華束(けそく)さんを手作りしています。金曜日は、米粉を蒸して臼と杵でつき、型を抜き、串に刺して色を塗り、台に飾り付けて本堂に飾るところまで行います。コロナ以降、簡略化が進み、手作りすることや食事を控えるケースが多い中、以前と変わらず一から全て手作り出来ているのは凄いことだなぁと思えます。「報恩講だから、やらにゃいかん」というお檀家の皆さまの心意気を感じて、本当に心強く思います。阿弥陀さまの前では皆平等という心地良い空気感の中で、皆でわいわいお喋りしながらお餅をついてお団子を作り、野菜の下ごしらえをする金曜は、まるで文化祭の準備のようなワクワクとした楽しい一日です。今年は高校2年生の娘がラーケーションを取り、学校を休んで参加してくれました。若い力が頼もしく感じられます。
面倒なことを避けたり、お金で解決しようとしたり、コスパ(コストパフォーマンス)やタイパ(タイムパフォーマンス)という言葉が大流行ですが、そうした流れに逆行するかのような「全部自分たちの手で作り上げる報恩講」は、それだからこそ「自分たちの報恩講」になるのだと思えます。便利なことや面倒が省けることは良い面も確かにありますが、わざわざ時間を掛けてすること、実際に自分の手を動かすこと、様々な人たちと協力しながら作り上げること・・・そうした面倒で手間暇掛かる事の中に、実は大切なものが含まれている気がします。
自宅や学校、職場でもない第三の居場所=サードプレイスという言葉も言われていますが、お寺はいくつになっても足を運ぶことが出来て、仕事も役目もある最高のサードプレイスだと思います。お寺の行事では、60代、70代はまだまだ若手。80代でようやくベテラン、90代でもまだまだ現役で大活躍。「自分はまだまだ若い。お寺に行くのは、もう少し年を取ってから」と思われる方も、是非足を運んでみて下さい。本当に年を取ってからでは、新しい場所に顔を出すのは億劫なので、早いうちにお寺に顔を出すことに慣れて貰えたら良いなと思います。そして、高齢の方がお寺で自分の居場所や役割を見つけて、生き生きと過ごされている姿を見ると、こちらも元気を貰えます。人生の先輩が語られる話は、隣で聞いているだけでとても勉強になります。せっかくお寺とご縁を持って下さったのですから、来年の報恩講は、お参りはもちろんお手伝いの方も是非足を運んでみて下さい