2025年02月04日
清風 2025年2月

前事不忘
後事為師(諺)
意味 先(前)に起こったことを忘れず、後に起こることの師と為す。
この諺から、皆さんはどのようなことを思い起こされますか?
私はまず、次の文章を紹介しようと思います。
私はここまで話を進めてきて、聖書にある「人を侍するに己を侍するがごとくす」および「汝の敵を愛せよ」という二つの言葉を想起し、実に無限の感慨を覚えるのである。
わが中国の同胞は、「旧悪を思わず」および「人のために善をなす」ことがわが民族伝統のもっとも高貴な徳性であることを知らねばならない。われわれは一貫して、正義にそむいて戦いをはじめた日本の軍閥を敵とし、日本の人民を敵としないと声明してきた。いまや敵軍はわれわれの盟邦によって打倒された。われわれは厳しく彼らに責任をもたせ、あらゆる降伏条件を忠実に実行させなければならないが、しかしわれわれはけっして報復を企図してはならない。ことに敵国の無事の人民に侮辱を加えてはならない。
もしも暴行をもって敵の従来の暴行に答え、侮辱をもって彼らの従来の誤った優越感に答えるならば、恨みに報いるに恨みをもってすることとなり、永久に終止することはなく、それはけっしてわれわれ仁義の軍の目的ではないということを知らねばならない。
抗戦勝利に際しての蒋介石主席の演説の一部引用
(1945年8月15日ラジオで放送)
『史料 日本近現代史Ⅱ 大日本帝国の軌跡 -大正デモクラシー~敗戦』
(335頁~337頁 三省堂 1985年4月20日 第1刷 刊)
註)蒋介石主席の率いる国民政府は台湾に移動し、中国(本土)には1949年
4月、毛沢東主席の中華人民共和国が成立した。
この声明には、聖書の言葉と仏教の発句経『ダンマパダ』の「恨みに報いるに恨みをもってする」の一句が引用されていて、読む者に深い感銘を与えました。
上記の声明の後、蒋介石主席は日本に対する賠償金の請求はしないと決定したのです。
その後1972(昭和47)年9月、田中角栄首相は日中国交正常化の調印式のため中国を訪問しました。その時田中首相は、一つ大きな心配があったといわれています。それは、調印の際に、先の蒋介石主席の賠償請求権の放棄について、毛沢東主席が受け継いでくれるのか、についてでした。
日本はかつて日清戦争の折、清国に勝利し、当時の日本の予算の3倍の額にあたる賠償金を清国から手に入れたのでした。この事実を国民が知ると、「戦争は儲かる」ものとの思いに囚われてしまったと言われています。当時の日本には、そういう40年ほど前の記憶から、“アジアの盟主”という意識も生まれて、朝鮮・中国などを蔑視する感情が表れてきました。
そういう中で日本は戦争に負けて、中国の当時の蒋介石主席が賠償請求権を放棄すると表明したのですが、毛沢東主席の中国がどういう対応をしてくるか、田中首相としては日中国交正常化交渉に当たって、心配だったようです。そして会談が始まって、毛主席は冒頭、田中首相に「もう喧嘩は済ませましょう」と、賠償請求権を放棄することを伝え、「日中共同声明」が無事に調印され、日中国交が公認されたのでした。
日本では、このことはほとんど忘れ去られているのではないでしょうか。過ぐる戦争で、日本は自国におよそ300万人を超える、また侵略をしたアジアの交戦国・東南アジアの国々を含め2000万人もの死者を出す未曾有の厄災を与えたのです。しかし日本の戦後処理の仕方は、アジアでは朝鮮戦争・ベトナム戦争と戦争が続き、その諸国の苦難の中で、あろうことか我が国の行ってきた侵略戦争をきちんと総括することさえ怠ってきてしまったのです。
日本の戦争責任の追及は、政府首脳の「いつまで子や孫の世代に戦争責任を負わせるのか」という無責任、つまり曖昧なままに現在まできてしまっているのです。ドイツは戦後、ポーランド・フランスと共同で歴史の教科書を作成したのです。
戦後を戦後としないという姿勢から、平和憲法と言われる憲法前文・第9条を持ちながら、その9条がまったく死に体になってしまっているのは何故なのでしょう。 今こそ「前事不忘 後事為師」という諺を、改めて思うことです。
2025年02月04日
お庫裡から 2025年2月

12月28日、仏華に使おうと脚立に乗って庭の梅の枝を切りました。その枝が落ちてくる時、トゲがゴムの手袋を突きぬけ、右手の指先にささりましたが、その事を余り気にせず作業を続けました。
終わって手袋を脱ぐと、中指が血だらけです。「おや、まぁ」と手を洗ってよく見ても、傷口がどこかよくわからず、痛むのは右手中指の爪の下5mmあたり。一応、傷薬をつけ、絆創膏をまいて、「これでよし」としたのですが、次の日から傷はズキズキ痛み始め、中指は第二関節まで腫れてきたのです。
この指が使えないと、まずお箸がうまく使えません。字を書く時もペンや筆を支えることができません。そして生活する時、(今まで気づきもしませんでしたが)この指達があちらこちらに触り、当たり、ぶつかりをくり返しています。
今は腫れて痛むから、触られ当たられたくないと思っているのに、手を使わず生活はできず、手を使えば痛めた指が必ず何かに触り当たるので、1日に何度も何度も「痛ーっ」と顔をしかめなければなりません。1月も10日が過ぎた頃、やっと腫れは第一関節まで縮小しましたが、相変わらず指先は赤黒く歪に腫れて痛みます。
やっと重い腰を上げ、医院の門をくぐり、腫れが引き痛みが治まるまで1ヶ月はたっぷりとかかりました。
なんでもないと思ったこんな指先の小さな傷から、私が私と言うことのできる本体の身を、私は今までどんなに乱暴に扱ってきたか思い知らされ、私が「生きている」ということは、この身全体を使っているのだと気づかされました。
2025年02月04日
今月の掲示板 2025年2月

人間の一番の悲劇は
自分で
自分を引き受けられないこと
人間は
生きものである
地球上に暮らす生きものは
すべて40億年ほど前に生まれた
祖先細胞から進化した仲間であり
人間もその一つです
地球上のすべての生きものは
共通の祖先を持つ
仲間である
アリやチョウなどの小さな昆虫も
40億年の進化の中で
今を生きている仲間
40億年という長い歴史を
背負って生きている点では
どの生きものも同じなのです
「起こるはずがない」とか
「思いもよらない」というのは
現代人が
日々の暮らしは思い通りに動いて当たり前と
思っているために出てくる言葉です
今、大事なのは
私という存在を
まず「私たち」の中に捉えること
「私たち生きもの」の中の私
「私たち人類」の中の私
「私たち日本列島に暮らす人」の中の私
「家族」の中の私
「私たち生きもの」が暮らすところは
地球であり
地球は宇宙の中にあります
2025年02月04日
本堂に座って 2025年2月

気候危機をはじめ“自己肯定感”などについて、世界中で講演活動を行っている谷口たかひささんが、自分と向き合うことをテーマとした本を書かれました。その中からいくつかの文章を紹介します。
Q1 世界で最も過酷な仕事は?
「世界で最も過酷な仕事」と題したアメリカの動画があります。架空の求人を行い、実際に面接している様子を映しています。その求人は簡単ではないけど、とても重要な仕事。役職は「現場監督」。基本的に立ち仕事で、時には屈みっぱなし。勤務時間は基本的に週7日、24時間勤務。休憩時間はなし。休暇もなし。この職務には非常に高い交渉力と、コミュニケーションスキルが必要。さらに必要なのは、医学・財務管理・調理の高い能力。そしてこの役職には給与がない。
「違法じゃないの?」「悪い冗談だ」「ヒドすぎる」「非人道的だ」
面接官が説明するその仕事のあまりにも過酷な条件に、求職者たちは、次々にそういった言葉を口にします。しかし面接官によると、この仕事に従事している人が今もいるとのこと。それも何十億人も。
さて、この仕事は何でしょうか? 答えは「お母さん」。
この答えに、面接を受けていた人たちは驚嘆しながらも納得し、次々にお母さんへの感謝の言葉を口にしながら泣き崩れました。何度見ても、自分のお母さんの背中が頭に浮かんでは、涙があふれてきます。
この動画は、世界中で瞬く間に反響を呼びました。家事を分担することがあたりまえになっていると言われている欧米でもそれだけの反響を呼んだということは、日本のお母さんたちの仕事量は、さらに想像を絶するものかもしれない。
「職業に貴賎はない」ということは大前提の上で、それでも僕は、子どもを産んで育てることより尊い仕事はないと思っています。お母さんたちの自由と権利を守りたい。本気でそう思います。
<ノミはなぜ跳べなくなったのか>
「ノミの話」というものがあります。ノミは地球上で最も高く跳べる生き物(体長比)。だけど、コップに閉じ込めてフタを閉めると、フタで頭をぶつけてしまう。問題は、その後、フタを取ってコップから出ても、そのコップに入る前とは違い、フタを閉められていた高さまでしか跳ばなくなる。
①あーしなさい!こーしなさい!(コップ) ②あれはダメ!これはダメ!(フタ)
この2つで縛り続けられた結果、起きる「義務脳」がまさに跳べなくなってしまった状態。自分の感情にも可能性にも見えないフタをして生きるようになります。
あなたが「できるわけがない」「やってはいけない」と決めつけてしまう理由は、そういった呪いの言葉や嘲笑によって、フタをされてきたからかもしれない。「義務」だけを教わり続け、「自由」と「権利」について教わってこなかったからかもしれない。よいニュースとしては、この「ノミの話」には続きがあります。
フタを閉められた高さまでしか跳ばなくなったノミでも、のびのびと跳んでいるノミと一緒にいるようになれば、「あれでいいんだ」と、また自分自身も再び美跳ぶようになる。
もしもあなたが、自分は跳べないと感じていて、それでも跳びたいと思っているなら、のびのびと跳んでいる人を見つけて、その人と時間を過ごすようにしましょう。そこで大切なのは、嫉妬ではなく、尊敬の気持ちを持って。嫉妬は相手を自分の低さに下げ、尊敬は自分を相手の高さに上げようとすることですから。反対に呪いの言葉をかけてきたり、あなたの夢を笑ったり、その人都合の義務を押し付けてくる人からは、距離を置くようにしましょう。
自分を信じて挑戦し続けている人と時間を過ごすようにしましょう。そして、あなただけでもあなたのことを信じてあげましょう。あなたができない唯一の理由は、あなたができないと決めつけていることなのだから。
アメリカのメジャーリーグでプレイする日本人、大谷翔平選手。投手としても打者としても大活躍するという、マンガでしかありえなかったようなことを体現している人。その大谷翔平選手の高校時代からの「座右の銘」は-
“先入観は可能を不可能にする”
(『自分に嫌われない生き方』KADOKAWA 刊
第1章自己肯定感~あなたには「自由」と「権利」がある~より引用しました)
2025年02月04日
今日も快晴!? 2025年2月

1月21日(火)の朝日新聞の「文化」欄に、ノンフィクション作家のインベカヲリ★さんの「社会が育む 都合のいい若者たち」という文章がありました。闇バイトに加担する若者が多いことについて書かれた文章ですが、途中こんな例が挙げられていました。『発達障害の診断を受けて、とある薬を処方されたという話を、2人の女性から聞いたことがある。その薬を飲むと「性格が変わる」と、彼女たちは言う。1人は、恐ろしいほど真面目に仕事をするようになり、空気を読んでニコニコするようになったため、職場での評価が上がったそうだ。もう1人は、長らく散らかり放題だった部屋を一気に片付けてしまい、同棲中の恋人から褒められたという。だが、彼女たちは首をかしげる。「一体、私は誰なの?」「愛されているのは私じゃなくて薬の方でしょ?」と。確かに、その薬によって恩恵を受けているのは、当人ではなく周りの方だ。他者が理想とする人間になるべく、薬で特性を変えることが推奨される時代であるということだ。』
(そうか。精神科で処方される薬にはそんなに強い作用があるのか。怖いなぁ・・・)と感じると共に、(でも、真面目に仕事をして貰えないのも困るし、いつも無愛想で機嫌が悪い人と一緒に仕事するのも嫌かも。部屋が汚いよりも、掃除した方が良いと思うし・・・)とも思ってしまいました。自分と一緒に過ごす人は、自分にとって都合が良い人であって欲しいと願う心は、誰もが持っているのだと思います。
また、金銭的に厳しいからと飲み会をキャンセルした若い友人が、隙間バイトであっという間に金策をし、「昨日お断りした飲み会ですけど、急遽皿洗いのバイトが見つかり、金策が出来ました。明日はまだ空いていますか?」と連絡をしてきたというエピソードに触れながら、『そんな昨今の流れを思い浮かべながら、闇バイトについて考える。実行役として逮捕された若者は、多くがお金に困っていた。・・・彼らにとって最優先事項は直近の支払いを切り抜けることだ。時間を掛けずに高収入バイトを探し、よく分からない仕事でもまずは行ってみる。・・・ある被告人は裁判で「組織のコマとなった」と後悔の念を語っていた。しかし、それが特別なことだろうか。大抵の労働者は、会社の指示であれば劣悪な商品でも売るだろう。学校教育だって、従属的な人間を育ててきたはずだ。闇バイトに引っ掛かる若者を、愚かで倫理観が低いと非難するのはたやすい。しかし、彼らはむしろ、今の社会状況に極めて適応した存在と言えるのではないだろうか。社会が都合の良い労働者を育て、闇バイトにその人材を奪われていく。そんな側面もあるのではないか。』と語られています。
読み語りボランティアで特性を持った子どものクラスに入った時に、先生が子どもたちに「ちゃんと座って!前を向いて!」と度々声を掛け、「きちんと座らせる」ために必死に努力される様子を見ました。「楽しんで聞いて貰えたら良いので、動いたり声を出しても大丈夫ですよ」と伝えるのですが、申し訳ないと思われるのか、子どもをじっとさせるのが教師の力量だと思われているのか、子どもの動きを始終気にされます。(その子のままで良いのにな)と思いながら帰りました。
「その子のままで良い」と思う気持ちと「私にとって都合が良い人であって欲しい」と願う気持ち。相反する二つの気持ちは自分の中にもあり、後者が誰かを追い詰める可能性があるなら、自分も闇バイトに手を染める若者を育てる社会を構成する一員だということになります。実行役の若者ばかり責めるわけにはいかないな、と感じます。
2025年01月06日
清風 2025年1月

本年も、どうぞよろしくお願いします。
2025年 元旦
しかれば名(みな)を称するに、能(よ)く衆生の一切の無明を破し、
能く衆生の一切の志願を満てたまう。
『教行信証』行巻(真宗聖典P161)
無明 … 問われていることに気づけない
志願 … 根源的願い
自己とは何ぞや。
自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗託して、任運に法爾にこの現前の境遇に
落在せるもの、即ちこれなり。
仏教には、「他化自在天」とか「魔」という物語の世界が語られています。
古代インド人は多くの天を考えてきましたが、それらの天の中で、人間がふつうに考えて一番いいなぁと思われる天が「他化自在天」と言われます。他の者が作成したものでできている天のことです。他の者が作ったものを奪って我がものとしている世界、つまり手を汚さずして苦悩を感じることなしに主人公の如く振る舞っている世界のことです。
これが言葉の定義ですが、これを現代に適用すると、以下のようになります。
今の私どもの生活の方向は、他化自在天に向かっていると言ってもいいかと思います。
我々の生活は今や、電気にしろ車にしろ、生活の全部は他化自在天という世界を目指しています。
他が作り、苦労してきたものを、みんなお金で買い取る。
もっと言えば、お金で奪い取るように我がものにして、そこの主人公となっていく=我が世界にしていく…。
このように、現在の生活は成り立っています。資本主義社会というのは、本質的に他化自在天という質を持っているのでしょう。
では懈慢界はどうでしょうか。
この懈慢界という世界も実に結構な場所であり、もちろん衣食住文句なし、そして住居は七宝でできており、寝るところも着るものも、食べるものも実に豊かで、見栄えがよくて、気持ちのいいところとして語られています。
それだけではなく、娯楽施設まで付いており、歌があり、音楽があり、踊りがあります。
例えれば、ブランド品で着飾り、一流レストランでディナーショーを楽しむようなものです。
これはまさに、現代で言えば資本主義社会にあたります。
他化自在天や懈慢界は、現代社会に対する批判的概念であると言えるでしょう。
空虚・空しさと多忙、根源的問い。「何故、生きるのか」という問い、生きられなくなっている … 現在にも未来をも、生きる術が分からない。
以上、今月号では『近代に対する仏教的批判 平野修師の仕事とその意義』(今村仁司 著)を参照しました。
2025年01月06日
お庫裡から 2025年1月

みのりコーラスでは、抒情歌でつづる睦月、如月、弥生のメドレー曲の練習を始めました。
最初の曲は『一月一日』、「とーしのはーじめのためしーとてー」で始まります。
この曲は、豊田コンサートホールのニューイヤーコンサートの時、外国から来る楽団がお決まりのように、オープニングかアンコールで演奏してくれます。
この歌を練習中に、ふっと私が「小学校の時、一月一日は学校へ行って、この歌歌ったよね」と言うと、周りは「知らない」と冷たい反応。
尚も「ほら、講堂に全学年が整列して「おめでとうございます」と校長先生とご挨拶して、紅白のお饅頭もらって帰って」の言葉も終わらない先に、「エー、お饅頭なんて学校からもらった事がない」「大体、一月一日に学校へ行ったことない」「この歌も知らない」「そんなこと、三重県だけでやってたんじゃない?愛知県じゃなかった」と散々の反応。
一応、私は戦後生まれだし、コーラスのメンバーとそんなに年の差はないと思っていたのに…。
私の独りよがりだったのか。
この歌も一番の歌詞は知っていたけれど、二番は知らなかったので、学校で歌ったのがこの曲だったのかもあやしく、記憶がだんだん朧になってきます。
そんな身が、また新しい年を迎えました。
私と成っている他力本願が、そこを生きてくれよと私に添うて、呼びかけてくださっています。
だから安心して日々を重ねられます。
明けましておめでとうございます。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
尚子
2025年01月06日
今月の掲示板 2025年1月

逃げ場なし 浅田正作
いくつになっても
びっくりすることが一杯
それは
逃げ場なしの身が
思い知らされるとき
当たり前が
当たり前が 拝める
当たり前が
当たり前でなかったと
当たり前が拝めるとき
どうにも始末のつかん
わが身から
ひまもらえる
内面の声
臆面もなく
町を歩き
人と語り
なに食わぬ顔しているが
お前、自分の後ろ姿を
見たことがあるのか
鏡
毎朝 毎朝
洗面所の鏡に向かって
私は自分の何を
見ていたのだろうか
聞く身
願いを 聞こう
願われて 願われて
願われて 生きてきた
願われて 育てられてきた
その願いを
聞く身になろう
道づれ
私と妻は
三悪道という名の
道連れ
幸せという
世間の言葉に迷わずに
三悪道に
掌を合わせていこう
自力
もう 弱音をはくまいと
思っていたが
駄目だった
駄目だったので
自力とわかった
いただく
これでよかったと
言える世界は
いただく世界をおいて
どこにもないようだ
2025年01月06日
本堂に座って 2025年1月

今月は先月に引き続き、子どもの養育環境の改善に取り組まれている武田信子さんのインタビューを紹介します。
――幼児期につくられる土台が大切だということですね。
赤ちゃんは一人では生きていけない状態で生まれてきますよね。そして、いろいろな欲求が生まれた時に、その欲求に応えてくれる大人が必要です。自分の欲求に的確に応えてくれる存在が近くにいること。これが相手を信頼することにつながります。自分を助けてくれる技術や手立て、知識を持っている人にそばにいてほしいわけです。その自分の要求や生きていく為に必要なものをきちんと与えてくれる人に対して、基本的信頼感が生まれます。
何かびっくりすることが起こった時に、自分をぎゅっとしてくれるような、この人といれば安全と思えるような関係性ができていれば、次に何かあった時にその人に頼ろうとしますよね。だいたい生後7、8ヶ月ぐらいになってくると頼る人が決まってきます。そうすると、その人だけにくっついて人見知りするようになります。
ただ、最近は親が子どもの育て方、赤ちゃんの扱い方をあまりに知らないので、愛情はあっても、赤ちゃんをうまく扱えないのです。例えば大学生に、家の前に生まれたばかりの赤ちゃんが捨てられていたらどうするかと聞くと、コンビニで牛乳を買ってきて飲ますと言うんです。そんなことをしたら赤ちゃんは具合が悪くなってしまいます。赤ちゃんに対して愛情がないわけではなく、人間の赤ちゃんに牛の乳をそのまま飲ませてはいけないということを知らないだけなのです。このように、子どもが生まれた時に、何も知らずに子どもを育てようとすると赤ちゃんの立場からは虐待になり得ます。子育てを知らない人が多いのは、少子化で妹や弟、近所の子どもの世話をしたことがない人が増えてしまっているからではないでしょうか。教育虐待も親はよかれと思ってやっているわけで、子育て全体が同じような状態にあるわけです。昔は、小さい頃から身近な人が子育てをしているのを見ていたり、あるいは野菜や植物を育てたりしていましたよね。その中で、「育つ」というのがどういうことか自然に学んでいたのだと思います。
――家庭における学びや教育の観点から文化や伝統の継承をどのように考えておられますか。
赤ちゃんは生まれてすぐの頃から、自分が生きていくために、社会はどのように動いてくれるかを模索しています。どんな声で呼べば親が来てくれるかとか、手足をバタバタさせて重力を感じるとか、さまざまな試行錯誤をし、それが遊びや学びと言われるものにつながっていきます。赤ちゃんの頃は、生きることと、遊ぶことと、学ぶことと、生活することがほぼイコールなのです。そういった区別のつかないものの中から次第に言葉を学習したり、社会のルールを学習したりしていきます。そして、この基礎の積み上げが、学校という学びの場にもつながっていくのです。
例えば、「あめ」って書いてあった時に、食べる飴だとわかる子は飴を食べたことのある子です。しかも「あめ」には雨と飴という2つの意味があるということも、普段の生活の中で聞いていたからわかることです。それは学びでもあり、遊びでもあり、そういうものなんです。
だから、文化などの継承も、日々の生活の中でまわりの大人の役割や言葉遣いといったものが、いつの間にか、子どもに取り入れられているものだと思うのです。
――日本の教育について、社会を形成している私たち一人ひとりは、どのように考えていけばいいのでしょうか。
生涯学習という言葉がありますが、生まれてから死ぬまで脳の発達が止まることはないわけですから、大人だって学びます。私は子どもたちに何か特別に教える必要はそんなにないと思っています。大人たちが楽しく学んで生きている姿を見せていれば、自然と子どもたちもそれをやりたくなるのではないでしょうか。
何か教えるというよりも、日々の生活の中で自ずと感じることこそが大切だと思っています。教育って、人の姿から学ぶことだと思うので、大人たちが楽しく学んでいる姿を見せ、失敗してもそれをお互いに許し合い、支え合うような環境であることが大事なのではないかと思います。
(『同朋新聞』2024年11月号 東本願寺出版発行
人間といういのちの相(すがた)「社会の中で「子ども」は育つ」より引用しました)
2025年01月06日
今日も快晴!? 2025年1月

秋に、「豊田市 中学生と地域の大人による対話プログラム実証事業~tsumugu~」に参加しました。
友人から「陽子ちゃん、こんなのあるけどどう?」と紹介されて、(彼女が勧めるなら、きっと面白いに違いない♪)と、よく知らないまま引き受けることにしましたが、予想通り大正解でした。
tsumuguは、事前の研修でプログラムの概要説明を受けて、市内にある4つの中学校の中で、開催日時の予定の合うところを選んで訪問し、中学生の子どもたちと対話をします。
研修に参加すると、「人生グラフ」というワークシートを渡されて、横軸に自分の人生を年代を区切って記入し、起こった出来事と自分の感情を縦軸に記入してゆきます。
このワークシートを記入することがなかなか難しく、50年分の自分の人生を振り返るとなると、かなり時間が掛かりましたが面白かったです。
当日は、そのシートを持って中学校を訪問し、生徒三人対大人一人で組になります。
①自己紹介(10分)
②大人が生徒に人生グラフを紹介(10分)。
③子どもの人生グラフを見ながら順番に1対1の対話(15分)。待っている子どもたちは、代表の大人の人生紙芝居を聞く。
④まとめ:これからの人生を考える(10分)という流れで、110分の授業時間は終わります。
豊田市としては、人口減少、少子化、人生100年時代の到来等を受けて、「全ての人が元気に活躍し続けられる社会、安心して暮らすことの出来る地域社会」を作ろうとする狙いがあるそうです。
代表の深見先生の話では、子どもたちは、先生でもない、親でもない大人と対話することを通して、「本気で向き合ってくれる大人の存在がいる。自分は一人じゃない」と感じるのだそうです。
こうしたプログラムを実施しようとする人が豊田にいること、手を上げてくれる中学校があることが、まずとても良いなと思いました。
さらに当日は、体育館に集まった大勢の大人を見るだけでちょっと感動してしまいました。
私のように時間の融通が利く主婦ばかりではないのに、平日の午後、子どもたちのために仕事を休んだり、スケジュールを調整して参加しようと思う大人がこんなにたくさんいるんだと思うと、(豊田も捨てたもんじゃないな)と胸が熱くなりました。
実際に子どもたちと対話を行ってみると、どの子も自分の好きなものを見つけて、部活や習い事を頑張っていたり、学校生活を楽しんでいる様子が分かりました。
しかし、勉強面や人間関係、自分の総合評価に「微妙」と答える子が多く、「自信のなさ」を感じました。
子どもたちの話を聞いたあと、「部活を頑張っているんだね。それって凄く素敵なことだよ。」「人間関係で悩んでも、自分なりに乗り越えたんだね。頑張ったね。」「クラスのお友達と仲良く過ごせているんだね。いいね。」と、目の前の子どものやっていること、感じていることをそのまま肯定し、良いところを見つけて褒めるよう心掛けました。
大人目線のアドバイスや価値観の押しつけを行うのではなく、対等の人間として向き合うことで、子どもたちの表情がどんどん明るくなりました。自分の子育てを振り返ると、どうしても出来ていないことや足りないことに目が行き、「もっとこうしたら?」「ここがまだだね」と、先のことばかり心配して、目の前に居る子どものそのままを「良いね」と褒めることがあまりなかった様な気がします。
本当は、「今」の「そのまま」の子どもを、丸々肯定して受け止めるだけで良かったのだと、今更ながら気づかされました。
関わり方に正解がないからこそ、毎回全力で目の前の子どもと向き合うことで、大人も発見と実りの多いプログラムでした。