2025年03月11日

今日も快晴!? 2025年3月


2月に、日赤名古屋なごみにて「加害者を生まない社会にするために私たちに何が出来るか~加害者臨床の視点から学ぶ~」と言う講演会に行きました。
講師は、榎本クリニックの精神保健福祉部長で、精神保健福祉士、社会福祉士の斉藤章佳さんです。
アルコールを中心に、ギャンブル、薬物、窃盗、DV、性犯罪など様々な依存症問題に携わった方で、講演では主に性暴力についてのお話がありました。性暴力なんて、自分とはあまり関わりの無いように思えましたが、いざ聞いてみると興味深い内容でした。
『「性暴力」というと、性的欲求や衝動によるものではなく、支配や優越、強さの主張といった欲求から行われるものである。
日本社会は、被害者や加害者について知りたくない。見たくないと考えている。
性加害者の6割が大卒のサラリーマンで家庭持ちであり、自分と加害者は何が違うのだろうと考えたときに、何も違わない。
むしろ地続きである。
でも、性暴力は自分と別世界の問題にしてしまいたい。自分から遠ざけたいという意識が働き、見ないようにしてしまう。』
『また、日本社会は「男性は性欲がコントロール出来ない生き物だよね」といった性欲原因論を取りたがるが、果たしてそうか?それは男性への侮辱になるのではないか?そういった言動は、男性側(権力者)にとって都合が良い。男性側の責任性が隠蔽される。』
『性加害を行う人は、認知の歪みがある(例:女性は痴漢をされて喜んでいる。女性専用車両に乗っていない女性は、痴漢をされたがっている、等々)。加害者はAVから学んでおり、きちんとした性教育を受けていない。包括的性教育も、治療にとって大切』
『性犯罪者の再犯防止の為に、「どんなハイリスクな性犯罪者も、必ず変わることが出来る」と言う視点は大切。痴漢として生まれてくる男性はいません。痴漢になりたくて生まれてきた男性もいません。彼らは、社会の中で、自ら痴漢になるのです。』
 会場で購入した斉藤さんの著書、『男尊女卑依存症社会』も、非常に面白かったです。 
『日本という社会の根底に、男尊女卑の価値観が十分すぎるほど染み込んでいることを強調しておきます(例:2022年の岸田内閣発足時、女性の閣僚は19人中2人。国会議員における女性の割合は、衆議院9.7%。女性管理職の割合は9.4%。学校の場では、リーダー的役割は男性に任されることが多かったり、入学試験で女性受験生の点数を一律で引いていた有名私立医科大学があることも記憶に新しい。ジェンダーギャップ指数は、日本は先進国の中で最低ランク等々・・・)。その構造の中で生きている私たちは、かなり意識しない限り男尊女卑に加担することになります。男性個人にこのことが見えにくいのは、それによって不利益を被っていないと感じているからです。』
 しかし、男尊女卑というと、優位に置かれている男性はラクが出来る社会かといえば、決してそうではなく、『日本で依存症が増え続けている生きづらさの根っこには、男尊女卑の価値観に基づいた「男らしさ」「女らしさ」というジェンダー役割に多くの人が過剰に適応しようとしているからなのだと、私は考えています。根本的にはみんな「自分らしさ」があるので、それぞれのジェンダーの「らしさ」に適応し続けるのはしんどい。だから「自分らしさ」と「男(οr女)らしくあらねばならない」という社会から期待されるジェンダー役割の間でダブルバインド(二つの矛盾した情報や要求を受け取ることで、どちらを選んでも不安や罪悪感など心理ストレスが掛かる状態)にとられてしまう。そういう生きづらさから生じる苦痛を緩和するために何かにはまって依存症になっていく。そしてその背景には、日本社会全体が男尊女卑の価値観に深く侵されているからだという考えにいきつきました。」「男尊女卑」は、ずっと気になっているテーマの一つなので、引き続き考えてゆきたいです。

  

Posted by 守綱寺 at 11:36Comments(0)今日も快晴!?

2025年02月04日

今日も快晴!? 2025年2月


 1月21日(火)の朝日新聞の「文化」欄に、ノンフィクション作家のインベカヲリ★さんの「社会が育む 都合のいい若者たち」という文章がありました。闇バイトに加担する若者が多いことについて書かれた文章ですが、途中こんな例が挙げられていました。『発達障害の診断を受けて、とある薬を処方されたという話を、2人の女性から聞いたことがある。その薬を飲むと「性格が変わる」と、彼女たちは言う。1人は、恐ろしいほど真面目に仕事をするようになり、空気を読んでニコニコするようになったため、職場での評価が上がったそうだ。もう1人は、長らく散らかり放題だった部屋を一気に片付けてしまい、同棲中の恋人から褒められたという。だが、彼女たちは首をかしげる。「一体、私は誰なの?」「愛されているのは私じゃなくて薬の方でしょ?」と。確かに、その薬によって恩恵を受けているのは、当人ではなく周りの方だ。他者が理想とする人間になるべく、薬で特性を変えることが推奨される時代であるということだ。』 
 (そうか。精神科で処方される薬にはそんなに強い作用があるのか。怖いなぁ・・・)と感じると共に、(でも、真面目に仕事をして貰えないのも困るし、いつも無愛想で機嫌が悪い人と一緒に仕事するのも嫌かも。部屋が汚いよりも、掃除した方が良いと思うし・・・)とも思ってしまいました。自分と一緒に過ごす人は、自分にとって都合が良い人であって欲しいと願う心は、誰もが持っているのだと思います。
 また、金銭的に厳しいからと飲み会をキャンセルした若い友人が、隙間バイトであっという間に金策をし、「昨日お断りした飲み会ですけど、急遽皿洗いのバイトが見つかり、金策が出来ました。明日はまだ空いていますか?」と連絡をしてきたというエピソードに触れながら、『そんな昨今の流れを思い浮かべながら、闇バイトについて考える。実行役として逮捕された若者は、多くがお金に困っていた。・・・彼らにとって最優先事項は直近の支払いを切り抜けることだ。時間を掛けずに高収入バイトを探し、よく分からない仕事でもまずは行ってみる。・・・ある被告人は裁判で「組織のコマとなった」と後悔の念を語っていた。しかし、それが特別なことだろうか。大抵の労働者は、会社の指示であれば劣悪な商品でも売るだろう。学校教育だって、従属的な人間を育ててきたはずだ。闇バイトに引っ掛かる若者を、愚かで倫理観が低いと非難するのはたやすい。しかし、彼らはむしろ、今の社会状況に極めて適応した存在と言えるのではないだろうか。社会が都合の良い労働者を育て、闇バイトにその人材を奪われていく。そんな側面もあるのではないか。』と語られています。
 読み語りボランティアで特性を持った子どものクラスに入った時に、先生が子どもたちに「ちゃんと座って!前を向いて!」と度々声を掛け、「きちんと座らせる」ために必死に努力される様子を見ました。「楽しんで聞いて貰えたら良いので、動いたり声を出しても大丈夫ですよ」と伝えるのですが、申し訳ないと思われるのか、子どもをじっとさせるのが教師の力量だと思われているのか、子どもの動きを始終気にされます。(その子のままで良いのにな)と思いながら帰りました。
「その子のままで良い」と思う気持ちと「私にとって都合が良い人であって欲しい」と願う気持ち。相反する二つの気持ちは自分の中にもあり、後者が誰かを追い詰める可能性があるなら、自分も闇バイトに手を染める若者を育てる社会を構成する一員だということになります。実行役の若者ばかり責めるわけにはいかないな、と感じます。

  

Posted by 守綱寺 at 10:31Comments(0)今日も快晴!?

2025年01月06日

今日も快晴!? 2025年1月



 秋に、「豊田市 中学生と地域の大人による対話プログラム実証事業~tsumugu~」に参加しました。
友人から「陽子ちゃん、こんなのあるけどどう?」と紹介されて、(彼女が勧めるなら、きっと面白いに違いない♪)と、よく知らないまま引き受けることにしましたが、予想通り大正解でした。
 tsumuguは、事前の研修でプログラムの概要説明を受けて、市内にある4つの中学校の中で、開催日時の予定の合うところを選んで訪問し、中学生の子どもたちと対話をします。
研修に参加すると、「人生グラフ」というワークシートを渡されて、横軸に自分の人生を年代を区切って記入し、起こった出来事と自分の感情を縦軸に記入してゆきます。
このワークシートを記入することがなかなか難しく、50年分の自分の人生を振り返るとなると、かなり時間が掛かりましたが面白かったです。
 当日は、そのシートを持って中学校を訪問し、生徒三人対大人一人で組になります。
①自己紹介(10分)
②大人が生徒に人生グラフを紹介(10分)。
③子どもの人生グラフを見ながら順番に1対1の対話(15分)。待っている子どもたちは、代表の大人の人生紙芝居を聞く。
④まとめ:これからの人生を考える(10分)という流れで、110分の授業時間は終わります。
 豊田市としては、人口減少、少子化、人生100年時代の到来等を受けて、「全ての人が元気に活躍し続けられる社会、安心して暮らすことの出来る地域社会」を作ろうとする狙いがあるそうです。
代表の深見先生の話では、子どもたちは、先生でもない、親でもない大人と対話することを通して、「本気で向き合ってくれる大人の存在がいる。自分は一人じゃない」と感じるのだそうです。
こうしたプログラムを実施しようとする人が豊田にいること、手を上げてくれる中学校があることが、まずとても良いなと思いました。
さらに当日は、体育館に集まった大勢の大人を見るだけでちょっと感動してしまいました。
私のように時間の融通が利く主婦ばかりではないのに、平日の午後、子どもたちのために仕事を休んだり、スケジュールを調整して参加しようと思う大人がこんなにたくさんいるんだと思うと、(豊田も捨てたもんじゃないな)と胸が熱くなりました。
 実際に子どもたちと対話を行ってみると、どの子も自分の好きなものを見つけて、部活や習い事を頑張っていたり、学校生活を楽しんでいる様子が分かりました。
しかし、勉強面や人間関係、自分の総合評価に「微妙」と答える子が多く、「自信のなさ」を感じました。
子どもたちの話を聞いたあと、「部活を頑張っているんだね。それって凄く素敵なことだよ。」「人間関係で悩んでも、自分なりに乗り越えたんだね。頑張ったね。」「クラスのお友達と仲良く過ごせているんだね。いいね。」と、目の前の子どものやっていること、感じていることをそのまま肯定し、良いところを見つけて褒めるよう心掛けました。
大人目線のアドバイスや価値観の押しつけを行うのではなく、対等の人間として向き合うことで、子どもたちの表情がどんどん明るくなりました。自分の子育てを振り返ると、どうしても出来ていないことや足りないことに目が行き、「もっとこうしたら?」「ここがまだだね」と、先のことばかり心配して、目の前に居る子どものそのままを「良いね」と褒めることがあまりなかった様な気がします。
本当は、「今」の「そのまま」の子どもを、丸々肯定して受け止めるだけで良かったのだと、今更ながら気づかされました。
関わり方に正解がないからこそ、毎回全力で目の前の子どもと向き合うことで、大人も発見と実りの多いプログラムでした。

  

Posted by 守綱寺 at 13:13Comments(0)今日も快晴!?

2024年12月26日

今日も快晴!? 2024年12月


 11月16日(土)&17日(日)と、無事に報恩講が勤まりました。15日(金)の準備から、大勢のお檀家の皆さまにお手伝いに来て頂き、本当にありがとうございました。また、守綱寺の檀家でなくても、門徒会の方や、お寺で毎月行っているお稽古事の生徒さんや育児サークルのメンバーなど、様々なご縁の方に準備やお参りに足を運んで頂くことが出来て、本当に嬉しく思います。
 守綱寺では、報恩講のお飾りのお団子=お華束(けそく)さんを手作りしています。金曜日は、米粉を蒸して臼と杵でつき、型を抜き、串に刺して色を塗り、台に飾り付けて本堂に飾るところまで行います。コロナ以降、簡略化が進み、手作りすることや食事を控えるケースが多い中、以前と変わらず一から全て手作り出来ているのは凄いことだなぁと思えます。「報恩講だから、やらにゃいかん」というお檀家の皆さまの心意気を感じて、本当に心強く思います。阿弥陀さまの前では皆平等という心地良い空気感の中で、皆でわいわいお喋りしながらお餅をついてお団子を作り、野菜の下ごしらえをする金曜は、まるで文化祭の準備のようなワクワクとした楽しい一日です。今年は高校2年生の娘がラーケーションを取り、学校を休んで参加してくれました。若い力が頼もしく感じられます。
 面倒なことを避けたり、お金で解決しようとしたり、コスパ(コストパフォーマンス)やタイパ(タイムパフォーマンス)という言葉が大流行ですが、そうした流れに逆行するかのような「全部自分たちの手で作り上げる報恩講」は、それだからこそ「自分たちの報恩講」になるのだと思えます。便利なことや面倒が省けることは良い面も確かにありますが、わざわざ時間を掛けてすること、実際に自分の手を動かすこと、様々な人たちと協力しながら作り上げること・・・そうした面倒で手間暇掛かる事の中に、実は大切なものが含まれている気がします。
 自宅や学校、職場でもない第三の居場所=サードプレイスという言葉も言われていますが、お寺はいくつになっても足を運ぶことが出来て、仕事も役目もある最高のサードプレイスだと思います。お寺の行事では、60代、70代はまだまだ若手。80代でようやくベテラン、90代でもまだまだ現役で大活躍。「自分はまだまだ若い。お寺に行くのは、もう少し年を取ってから」と思われる方も、是非足を運んでみて下さい。本当に年を取ってからでは、新しい場所に顔を出すのは億劫なので、早いうちにお寺に顔を出すことに慣れて貰えたら良いなと思います。そして、高齢の方がお寺で自分の居場所や役割を見つけて、生き生きと過ごされている姿を見ると、こちらも元気を貰えます。人生の先輩が語られる話は、隣で聞いているだけでとても勉強になります。せっかくお寺とご縁を持って下さったのですから、来年の報恩講は、お参りはもちろんお手伝いの方も是非足を運んでみて下さい

  

Posted by 守綱寺 at 17:16Comments(0)今日も快晴!?

2024年11月08日

今日も快晴!? 2024年11月


元々体育会系で運動が大好きな私は、境内の掃除にはまっています。守綱寺は、春夏は草取り、秋は落ち葉掃き、冬は竹やぶ整備と1年を通してやることがあります。掃除の効能として、①適度な運動が出来る。②汗をかき、新陳代謝が活発になる等、ダイエット効果抜群なのは言うまでもなく、③太陽の光を浴び土壌の微生物に触れ、免疫力がアップする。④ビフォー&アフターが分かりやすく、達成感がある。⑤顔を合わせた方に「ご苦労様です」と声を掛けて頂ける等々、良いことばかりです。

 自然豊かな境内で作業していると、大げさではなく、人間は自然には勝てないなぁ。地球は本来植物のもので、人間は少し間借りさせて貰ってこの地上に住まわせて貰っているのだと感じます。

 草取りに燃えていたこの夏、僧侶と臨床心理士の二足わらじの譲西賢さん(真宗大谷派大垣教区慶圓寺住職)の講演を聞く機会がありました。その中で「境内は『世間庭』」というお話がありました。

 

 「私は今所属している組の副組長をしています。(先週末)通常組会と通常組門徒会が、私が預かっているお寺で開催されました。(略)草を除ったり庭を掃いたり戸外の掃除が大嫌いで、せんべいを食べながら寝っ転がって、韓流のテレビを観るのが大好きといううちの坊守さんは、煩悩の林・生死の園にどっぷりつかっておられますから、大変だったみたいです。だって、組内のご住職さんが全員来られるのです。お寺の代表である門徒会員さんも全員来られるのです。そういう話になってくると一生懸命、嫌でも庭を掃くのです。「このお寺は綺麗やな。坊守さんがしっかりしておられるのやなあ」と言われたいようです。もうまもなくうちの境内の門前に境内の庭の名前の札を立てようかと思うのですが、どういう名前かというと『世間庭』(笑い)」。

 

お話を聞いている最中に、吹き出してしまいました。これはまさに私のことだと思えたのです。以前、本堂の前で草取りをしているときに、お墓参りに来られた女性の方があったので、「こんにちは」と挨拶したら、「ちょっと!うちのお墓に行く通路の草が全然取ってなかったわよ!孫を連れてお墓参りに来たとき、靴がドロドロになって本当に大変だったのよ!」と、すごい勢いで叱られたことがありました。確かにその方のお墓は墓地の一番奥にあり、広場がすぐ脇まで来ているので草もよく生えるのです。本堂を中心に掃除を始めると、なかなかたどり着けない位置にありました。「それは申し訳ありません」と言いながら、(家でゴロゴロテレビでも見ていて叱られるなら分かるけど、私、今草取りしてたよね?毎日汗だくになって何時間も草取りしているのに、こんな風に叱られて、ああ、情けない・・・)と、何だかものすごく嫌な気持ちになったのです。多分私は、「このお寺は綺麗やな。坊守さんがしっかりしておられるのやな」」と言って貰えることを期待していたのだと思います。

 

 「本当に世間体という煩悩があるから、掃除が出来るのです。(略)韓流のテレビを観るより、嫌でも掃除する方が自分には得だと計算できるから、掃除ができるのです。(略)私たちは、こういう世界に生きているのですよね。だから仏法に聞かないといけないのです。自分に生まれた意義と生きる喜びと出遇うには、あまりに当てにならない自分であることを気づき、阿弥陀ナビに導いてもらうために聞法するのです。清く正しく美しく完璧な自分になるために聞くのではなく、そうなれない自分に気づかせてもらうために聞くのです。」(『園林のナビゲーション』より)

 

 本当にその通りだと思えました。清くも正しくも美しくもなく、世間庭を一生懸命整える私を、それで良いよと受け止めて下さる阿弥陀さまがあるからこそ、安心して掃除に励めるのだと思えました。


  

Posted by 守綱寺 at 09:38Comments(0)今日も快晴!?

2024年10月23日

今日も快晴!? 2024年10月


 9月に豊田大橋の下で行われた「橋の下音楽祭」の関連イベントで、元イスラエル空軍兵のダニー・ネフセタイさんの「どうして戦争しちゃいけないの?」と題する講演会がありました。1957年にイスラエルで生まれたダニーさんは、兵役のある国で、「国のために死ぬのは素晴らしい」、「夢は空軍パイロット」と当然のように思いながら育ちました。高校卒業後、空軍に入り戦闘機に乗るための訓練を受けましたが、残念ながら実技試験の終盤を突破できず、パイロットにはなれませんでした。除隊後、世界各地を放浪し、22歳で日本に来てから様々な気づきがあったと言います。以下、講演の最中、メモを取った部分を紹介します。
「自分は、パイロットになれなくてラッキーだった。なぜなら、戦闘機の目的はたった2つ。人を殺すことと、物を壊すこと。自分はパイロットになれなかったおかげで、人を殺さずに済んだ。」
「軍隊の成り立ちは、①差別・・・良い側と悪い側に分けないと、相手を殺せない。②人間をランク付けし、命令に従う。③解決方法は武力のみ。」
「戦争は、始まると歯止めがきかない。人間は、鉄の力に酔ってしまう。楽しくなっちゃう。1937年の南京事件も、だんだん楽しくなってきて、もっとやろう、もっとやろうとエスカレートした。」
「イスラエルでブルドーザー部隊で従軍した人は、イスラエルに戻り、PTSDを発症している。国は、一人の健康な人間と一人のメンタルが病んだ人間を抱える。これでは国が成り立たない。」
「戦争では、儲かる産業と儲かる国がある。アメリカは救援物資と同時に武器の両方を供給する。」
「憎しみは憎しみを生み、次の犠牲者が生まれる。80年前、大東亜戦争の最中、戦争で戦った自分は英雄であり、天皇を守り、国を守ったと考えていた。しかし、国に帰り、冷静に自分のやったことを考える(と、良心の呵責に耐えられない)」
「政治家の間違った判断、洗脳とプロパガンダ(が戦争を生む)。軍人が殺すのは、敵ではなく人間。」
「敵に攻められないよう、抑止力として武器が必要と言うが、ロシアとウクライナの戦争を見ても、核兵器を持っていても戦争は始まった。何の抑止力にもならない事は明らか。日本がどんなに武器を持ったとしても、中国が日本を襲おうと思えば襲う。中国は日本の4倍の軍事費があり、10倍の軍隊がある。実際に戦争が始まったらどうしようもない。自衛隊には何の意味も無い。だから、戦争にならないように、始まる前になんとかしないといけない。」
「私たちは、歴史を学ぶが、歴史から学ばない」
「戦争に燃費は関係無い。環境に良い戦争や戦闘機はない。戦車の燃費は、1Lで300m。F35戦闘機(ブルーインパルス)は、1時間飛ばすのに5600Lのガソリンが必要。これは、車1800台分。1時間飛ばすのに、600万円掛かる。そして、環境を汚す。そんな戦闘機を、日本は米国から147台購入予定。」
 ダニーさんは、「世界に先駆けて戦争を放棄する平和憲法を持った日本が、戦争の準備を始める始末」と嘆きます。「人権を尊重すること、想像力と心を使うこと。「敵」にも幸せになる権利があると気づくこと。実際に戦争に反対する世界を望むなら、批判の声を上げること。それも、控え目にではなく、大きな声を上げる必要がある。」
 私のこの拙い文章も、もちろん「戦争反対」の声ではありますが、まだまだ小さく控え目だと感じます。講演会で購入したダニーさんの著書『国のために死ぬのはすばらしい?』『イスラエル軍元兵士が語る非戦論』を読み、私なりの大きな声の上げ方を考えたいと思います。

  

Posted by 守綱寺 at 11:31Comments(0)今日も快晴!?

2024年10月23日

今日も快晴!? 2024年9月


 お寺友達から、『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(しんめいP著。鎌田東二監修。サンクチュアリ出版)という本を紹介されました。著者のしんめいPさんのプロフィール、「東大を卒業して大手IT企業に就職するも、仕事が出来なくて退職。鹿児島県にある島に移住して教育事業をするも、人間関係が上手くいかず退職。一発逆転を狙って芸人としてR-1グランプリ優勝を目指すも、一回戦敗退。結婚、離婚を経て無職になり、実家で引きこもっていたとき、東洋哲学に出会う」という部分を読んだだけで(何それ!気になる!)と思いましたが、ブッダから始まり、インドから中国、日本と伝わってきた仏教界の著名な方とその思想を紹介する「哲学エッセイ」は、軽く面白く分かりやすく、浄土真宗の教えを開かれた親鸞聖人については次のように紹介されています(前半部分のみ一部抜粋)。
「仏教の哲学は、インド→中国→日本に伝わった。そして、日本で破壊的な進化を遂げたのだ。どれくらい破壊的に変化したか?クラシック音楽がヒップホップになるくらい。ブッダもびっくり超進化なのだ。親鸞を紹介する。800年くらい前の、平安の人だ。クラシック仏教をヒップホップにしてしまった人物である。どういうことか?仏教にはたくさんの「宗派」がある。「空」という目的地を目指すうえで、色んな交通手段がある。この交通手段の違いが「宗派」と思って貰えば良い。親鸞は「浄土真宗」を作った。浄土真宗では、どうやって「空」の境地に行くのか?徒歩か?電車か?飛行機か?実は、そんなレベルじゃない。「空」の方がこっちに来る。逆にね。いや、そんなことある?親鸞の哲学は、最高にとがっているのだ。」・・・「実は、親鸞はエリートだった。そもそも、当時、お坊さんはエリートなのだ。・・・天皇も仏教を守っていた。権力もすごかった。親鸞は、そんな仏教界の頂点、「比叡山」にいた。・・・しかし、親鸞にはたえられないことがあった。当時の比叡山は腐っていたのだ。・・・比叡山は、政治権力と完全にべったりだった。お坊さんたちが、金とポストの争いにあけくれていた。誰も真面目に仏教をやっていない。そして、比叡山の外では人々が地獄のように苦しんでいた。親鸞のいた平安末期の京都は、日本の歴史上最悪の時代である。なんと、戦争、感染症、大飢餓、大地震、大火事、みんな起きた。この世の地獄のフルコースである。」「親鸞は悩んだ。まさにこの世の地獄で人々が苦しんでいる。でも、自分はエリートでぬくぬく生きている。仏教って、人を救うためにあるんじゃないのか?親鸞は純粋だったので、この矛盾にたえられなかった。そして決断した。比叡山を下りる。エリート街道を捨てて、まちで、仏教の力で人々を救うんや。」・・・「親鸞は、比叡山で20年間めちゃくちゃ勉強して、めちゃくちゃ修行していた。自分なら、人のために出来ることはあるはず、と思っていた。しかし、現実は甘くなかった。・・・とにかくみんなメシが欲しい。座禅や瞑想なんて「意識高い系」過ぎて、受け入れられるはずが無かった。親鸞は、自分の無力さに絶望した。・・・悩みに悩んだ絶望の先に、希望の光を見出した。仏教をひっくり返すような大逆転の哲学にたどりつく。それが「他力」の哲学なのだ。」
 昔日本史の教科書で習って一覧表にして必死に憶えた「宗派・・・浄土真宗。開祖・・・親鸞。主要著書・・・教行信証。中心寺院・・・本願寺」よりは、ぐっと身近に感じられる気がします。

  

Posted by 守綱寺 at 11:27Comments(0)今日も快晴!?

2024年10月23日

今日も快晴!? 2024年8月


 お寺で絵本の読み聞かせ会や育児サークルを開催しているので、子育て真っ最中のお母さん達とお喋りする機会があります。
同じ子育て中の母親とはいえ、当然ながら年齢はかなり違いますが、お寺によく足を運んでくれるお母さん達は、「乳幼児期のこの時期に、子どもとしっかり向き合うのが大切」と考えている方が多いので、大抵の方とは同じ感覚で子育ての話が出来るのがありがたいです。
 色々お喋りする中で、よく話題になるのは「子ども園選び」についてです。
今は選択肢も増え、近くの園にこだわらず、魅力的な活動をしている園やお稽古事をさせてくれる園、お庭が魅力的な園やバス送迎のある園など、色々情報を吟味し、「これは」と思える園を選ぶ人が増えています。
選択肢が多いのは良いことかも知れませんが、選択肢が多すぎて逆に悩んでしまう様子も見受けられます。皆さんとても真面目で、「子どもにとって一番良い園はどこだろうか?」と、真剣に悩まれます。
 私は、「お子さん達をどこの園に入れたのか。またそれは何故か」と質問されると、返事に窮してしまいます。
なぜなら、実は園について「あまり深く考えていなかった。さほど重要だとは思っていなかった」というのが本音だからです。
送迎等で自分の時間を取られたくなかったので、基準は「子どもと手を繋いで歩いて行けるところ」の一点のみ。迷うことも悩むこともありませんでした。
「園よりも、うちでやっている読み聞かせ会や育児サークルの方がずっと楽しいから、子どもを園に行かせるのが惜しい。なんなら、園なんて行かなくても良いや。義務教育じゃ無いんだし。」というくらいに考えていたのです。
 当時、児童精神科医の佐々木正美先生の著書『子どもへのまなざし』を愛読していましたが、佐々木先生は「人格を建築物に例える」として、「良い建築物になるか、不安定な建築物になるかは土台で決まる」、「人格形成は生きている限り続きますが、その土台になるのは3歳くらい、幼稚園に通うよりもっと以前の段階になりますね。つまり、土台を作る上で大切なのは、家庭ということになります。幼稚園や保育園、小学校が教えてくれることは、家庭ほどの「個別性」はありません」、「保育園や幼稚園は、家庭で作った土台の上に、ゆっくり柱を立て、床を張ってくれるところと考えて下さい」と書かれていました。それなので「子どものためにどこが一番良い園なのか」と、悩みすぎることは無いと思っています。お母さんが「自分がいつも家庭で笑顔で子どもと接するためと、自分がこうしたいと思う家庭生活を無理なく続ける上で、一番良い園はどこか?」と、お母さんファーストで決めて良いのではと思います。
 佐々木先生は「床や壁など、あとから手を加えた物はいくらでもやり直しがききます。いくらでもやり直しがきく部分は大学で、高校、中学、小学校とさかのぼっていくと、やり直しはしにくくなります」、「自分の子どもだけがうまく育つ、などということはありません。周囲の仲間と共に育ち合うものだからです」と言われます。
やり直しのしにくい乳幼児期の子育てを、「大切だから頑張らないと」と、お母さんが一人で抱え込んでしまわなくても良いように、お寺の絵本の会に足を運んで貰えたらと思います。子育てが一段落したお節介おばちゃんが、現役ママたちと共に支え合い、育ち合いたいとお待ちしています。

  

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2024年07月08日

今日も快晴!? 2024年7月


今年に入り、4月と6月と立て続けにお寺を会場としたお葬式がありました。
最近では葬儀会館を利用される方が増えたので、お寺を会場としてのお葬儀は20年ぶりのことでした。
4月のお葬儀では、夜中の2時に電話が鳴り、「父が亡くなりました。
お寺でお葬式をあげてもらえないだろうか?」との第一報から、ご遺体がお寺に運ばれ、湯灌の儀からお通夜、お葬儀といった故人を送る一連の流れに、ご家族の方と一緒に立ち会わせて頂きました。
早朝の日が差し始める凜とした空気の中、ストレッチャーに乗ったご遺体が参道を上がって来られる様子を、本堂の階段に座って見つめていましたが、怖いとか気味が悪いとか、そんな気持ちは全くなく、ただただ神々しく、なんとも清らかで厳かな心持ちでした。
ご家族の方から、「悪いね。迷惑掛けるね。おじいちゃんはお寺が大好きで、『わしが死んだら、お寺で葬式をあげてくれ』と口癖のように言ってたから…」と言葉を掛けて頂きました。迷惑なんてとんでもない。お寺にとって、これ以上の嬉しい言葉はありません。
私が小学生だった頃、近所の男の子(もう誰かは忘れてしまいましたが)から、「おまえん家(ち)、寺だろう。お葬式で金儲けしているんだろう」と言われたことが、ずっと心に引っかかっていました。
子ども心に、とても傷ついたのだと思います。
けれど、それから40年以上の月日が流れ、今、「わしが死んだら守綱寺に頼む」という一言が、どれほど尊いものであるか。
その方の人生の最後を託されることの重み。
どんな時間でも「お寺に任せた」と運び込んで頂ける信頼関係があるというのは、誇らしくもあります。
卒業式や入学式、結婚式は何度も挙げることが出来ますが、お葬式はその人の人生でたった一度の大切な儀式です。
お葬式を任されるというのは、本当に色々な意味で重みがあります。
また、続いて6月に行われたご葬儀では、独立して実家から離れて暮らすお子さん達が、ご弔問に来られた大勢の方達から、「お父さんには世話になった」、「○○の活動で、本当に世話になった」、「△△でご一緒した」と、声を掛けて頂いていました。
故人が地域で活躍される様子は、お子さん達には知らない一面だったようで、「うちのおやじは、本当に地域の皆さんのために色々な活動していたんですね」、「知らなかった」と、悲しい中にも笑顔でそうした言葉を聞いていらっしゃいました。 
これは、家族葬では決して出会えなかった人たちで、ご家族の方達は、亡くなられた方と葬儀を通して再び出遇い直すことが出来るのだと思いました。「周囲に迷惑を掛けたくない」と、家族葬を選ばれる方が増えましたが、亡くなられた方を本当の意味で尊重するというのは、その方のこれまでの人生で出遇った人たちを丸ごと引き受けるということで、お葬式を通して、故人と関係のあった方達に会い、言葉を交わしたり、家族が知らなかった一面を教えて頂いたりすることは、意味のあることなのだと思えました。お葬式というのは、やはり大切な儀式の場なのだと、久しぶりにお寺を会場としたお葬式を通して改めて気づかせて頂くことが出来ました。
今、小学生の自分に会うことが出来るなら、「あのね。お葬式って大切なお仕事なんだよ。その人の人生の最後の儀式を託されるって、ものすごく尊いことなんだよ。自信を持って、全力でお寺の仕事をやれば良い。胸を張ってお葬式をやらせて貰えばいいんだよ。」と話してあげたいと思います。


  

Posted by 守綱寺 at 13:43Comments(0)今日も快晴!?

2024年07月08日

今日も快晴!? 2024年6月


5月に、医師と僧侶という二つの現場で活動されている沼口諭先生の講演を聴きました。
「命を支える医療、いのちに寄り添う仏教~人生の最終段階におけるいのちのケアを宗教者と協働して見えたもの~」という講題で、終末期医療の現場でいのちのケアの実践を通して得られた学びをお話し下さいました。
本当に素晴らしいお話でした。記憶に残る内容を書き留めておきたいと思います。

○医療の現場では、宗教的な活動が必要だと思われる場面がある。
医療も仏教も、生老病死という同じ課題に向き合っている。
○「命」=生物学的生命(有限性)=長生きするにはどうしたら良いか=医学に学ぶ
 「いのち」=無量のいのち(無量寿)=どう生きるのか=仏教に学ぶ
○医療モデルの変化。
ただ長生きすれば良いというアンチエイジングな狭義の医療モデルの時代から、地域包括ケアシステム・共生社会における医療に変化して、ウィズエイジング、ミーニングエイジング(意味のある高齢期)にパラダイムシフトしつつある。
生物学的生命から、「ものがたられるいのち」へ。
限りある生に意味を与える・・・これは長年宗教者が行ってきたこと。
○養老孟司…死が見えなくなった現代→80%の人が病院で最期を迎える→生老病死の死が
我々の日常生活の中から見えなくなっていった→死と向き合えない日本人
コロナ禍→感染すると、死に目に会えない。死に立ち会えなくて、在宅医療を選択する人が増えた→スピリチュアルペイン・グリーフを抱える現代
○スピリチュアルな苦痛→自分の存在や意味を問うことの苦痛。死ぬのが怖い。
自分の人生に価値があったのか。
あの時ああしておけは良かった。自分は優しくしてもらえる人間でない(罪悪感)。生きていると迷惑を掛けるばかりだ。なぜ私が癌に罹らなければならないのか?等々。
こうした苦悩は、医療で解決出来ない。
○SBNRスピリチュアル(特定の宗教を信仰しているわけではないが、精神的な豊かさを
求める人々)の割合が、日本では高い。
○欧米では、医療の中に宗教者がいるが、今の日本にはそれがいない。
今、臨床宗教者師が求められており、国立大学でも養成講座が出来ている。
1.東北大学文学研究科実践宗教学寄附講座 
2.龍谷大学大学院実践真宗学研究科 
3.上智大学大学院実践宗教学研究科、等々・・・。

講演の後半では、沼口先生が開設された「メディカルシェアハウス アミターバ」の紹介があり、臨床宗教師を含めた他職種チームによる医療、介護の提供を行い、「命」ではなく、「いのち」のケアを実践されている様子が紹介されました。
海外の方やキリスト教の方からは、「日本は各家庭にお内仏(仏壇=礼拝の場)があるのは羨ましい。
お寺が行っているお葬式、初七日、七日勤め、月参り、法要等々は死と向き合う大切な学びの場である。
それなのに、なぜその良い習慣を無くすのか?」と言われているそうです。守綱寺もそうした昔から行われてきた儀式を丁寧に行いたいと願いながら、難しい現実に直面しています。
沼口先生から、「今のニーズに合った場を作ることを考えていかれたらどうですか」と、とても大きな課題を頂きました。
  

Posted by 守綱寺 at 13:39Comments(0)今日も快晴!?