2024年07月08日
今日も快晴!? 2024年7月

今年に入り、4月と6月と立て続けにお寺を会場としたお葬式がありました。
最近では葬儀会館を利用される方が増えたので、お寺を会場としてのお葬儀は20年ぶりのことでした。
4月のお葬儀では、夜中の2時に電話が鳴り、「父が亡くなりました。
お寺でお葬式をあげてもらえないだろうか?」との第一報から、ご遺体がお寺に運ばれ、湯灌の儀からお通夜、お葬儀といった故人を送る一連の流れに、ご家族の方と一緒に立ち会わせて頂きました。
早朝の日が差し始める凜とした空気の中、ストレッチャーに乗ったご遺体が参道を上がって来られる様子を、本堂の階段に座って見つめていましたが、怖いとか気味が悪いとか、そんな気持ちは全くなく、ただただ神々しく、なんとも清らかで厳かな心持ちでした。
ご家族の方から、「悪いね。迷惑掛けるね。おじいちゃんはお寺が大好きで、『わしが死んだら、お寺で葬式をあげてくれ』と口癖のように言ってたから…」と言葉を掛けて頂きました。迷惑なんてとんでもない。お寺にとって、これ以上の嬉しい言葉はありません。
私が小学生だった頃、近所の男の子(もう誰かは忘れてしまいましたが)から、「おまえん家(ち)、寺だろう。お葬式で金儲けしているんだろう」と言われたことが、ずっと心に引っかかっていました。
子ども心に、とても傷ついたのだと思います。
けれど、それから40年以上の月日が流れ、今、「わしが死んだら守綱寺に頼む」という一言が、どれほど尊いものであるか。
その方の人生の最後を託されることの重み。
どんな時間でも「お寺に任せた」と運び込んで頂ける信頼関係があるというのは、誇らしくもあります。
卒業式や入学式、結婚式は何度も挙げることが出来ますが、お葬式はその人の人生でたった一度の大切な儀式です。
お葬式を任されるというのは、本当に色々な意味で重みがあります。
また、続いて6月に行われたご葬儀では、独立して実家から離れて暮らすお子さん達が、ご弔問に来られた大勢の方達から、「お父さんには世話になった」、「○○の活動で、本当に世話になった」、「△△でご一緒した」と、声を掛けて頂いていました。
故人が地域で活躍される様子は、お子さん達には知らない一面だったようで、「うちのおやじは、本当に地域の皆さんのために色々な活動していたんですね」、「知らなかった」と、悲しい中にも笑顔でそうした言葉を聞いていらっしゃいました。
これは、家族葬では決して出会えなかった人たちで、ご家族の方達は、亡くなられた方と葬儀を通して再び出遇い直すことが出来るのだと思いました。「周囲に迷惑を掛けたくない」と、家族葬を選ばれる方が増えましたが、亡くなられた方を本当の意味で尊重するというのは、その方のこれまでの人生で出遇った人たちを丸ごと引き受けるということで、お葬式を通して、故人と関係のあった方達に会い、言葉を交わしたり、家族が知らなかった一面を教えて頂いたりすることは、意味のあることなのだと思えました。お葬式というのは、やはり大切な儀式の場なのだと、久しぶりにお寺を会場としたお葬式を通して改めて気づかせて頂くことが出来ました。
今、小学生の自分に会うことが出来るなら、「あのね。お葬式って大切なお仕事なんだよ。その人の人生の最後の儀式を託されるって、ものすごく尊いことなんだよ。自信を持って、全力でお寺の仕事をやれば良い。胸を張ってお葬式をやらせて貰えばいいんだよ。」と話してあげたいと思います。
Posted by 守綱寺 at 13:43│Comments(0)
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