2021年05月01日
清風 2021年5月

和国の教主聖徳皇
広大恩徳謝しがたし
一心に帰命したてまつり
奉讃不退ならしめよ
『皇太子聖徳奉讃』親鸞聖人作
聖徳太子(574~622)
親鸞聖人(1173~1262)
今年は、今を去る622年に亡くなった聖徳太子の1400回忌にあたる年になります。
本山の東本願寺でも、春の法要中の4月3日・4日に聖徳太子1400回御忌法要が勤まりました。
さて、皆さんは聖徳太子というとどんなことを思い起こされますか?
私は1940(昭和15)年の生まれですが、学生時代「聖徳太子」と言えば一万円札を指していました。
当時は一万円札の肖像画は聖徳太子でした。
戦前・戦後を通じて国民になじまれてきた聖徳太子の肖像が日本の紙幣から消え去ったのは1984(昭和59)年のことです。
バブル崩壊後の我が国を象徴するかのように。
これはその後の、そしてこれからの日本の国の将来について考える時にも、大変残念な決定でした。
我が国が世界で、そして特に北東アジアに於ける地勢的位置、そして第2次世界大戦後の世界で唯一の平和憲法を制定しながら、その持つ意味について十分検討を加える絶好の機会を持ちながら、あたら宝の持ち腐れのような扱いをしてきたことになってしまったからです。
我が国は、明治のいわゆる「文明開化」の折に西欧からのお雇い外国人指導者を沢山迎えました。
今回学ぼうとしている聖徳太子の事績について世界に紹介したのは、アメリカからの哲学者・フェノロサでした。
彼は東京大学に奉職し、1880(明治13)年に初めて法隆寺を訪ねたのですが、その時通訳を務めたのが、大学での最初の教え子の岡倉天心でした。
フェノロサは法隆寺の文化財については勿論のことながら、法隆寺の創設者である聖徳太子その人に畏敬の念を懐いていて、聖徳太子について「東アジアの偉大なる創造的な諸聖賢の間に伍していた、非常に優れた非凡な精神の持ち主である」と評していたのでした。
そしてまた、「日本における仏教のコンスタンティーヌである」とも言っています。
(コンスタンティーヌ:西暦313年、キリスト教を国教として公認し西洋キリスト教文化の基礎を開いた。
ローマ皇帝で大帝と呼ばれている。)
この寺報「清風」では、
①17条憲法
②法隆寺に現在する「玉虫の厨子」に描かれている「捨身飼虎」図
③橘大郎女が推古帝に願い出て作ったとされる「天寿国繍帳」に記されている言葉「世間虚仮 唯仏是真」の語
④親鸞聖人の作成された太子和讃
の4点を手掛かりにしながら、聖徳太子が推古朝において行おうとされたことの意味するところに迫れればと思う次第です。
①で挙げた「17条憲法」について、小生が関心を持ったことから始めさせてもらいます。
それは第1条の「和をもって貴しとなす。
逆らうこと無きを宗となせ(以和為貴 無逆為宗)」の語が出てきた背景が、「人皆党あって、心が通じることが難しい」と書かれている点についてです。
「党」の元の字は「黨」で、意味は「暗黒不明にして鮮(あざやか)ならぬ事」(『大字典』第114版 1970年 講談社発行)です。
「人皆党有」は、人は皆誰でも気づいてはいないが闇を持っているのだが、その事実に気づいている者はなく、だから心が通じ合うことが難しく、家族で言うならば子は父と不和を起こし、隣同士がいがみ合うことにもなる、と受け取ることができます。
この第1条での「和」についての提言は、現代においても、今や国家が成立している、その基盤を揺るがしている事態にあっても具体的な方向性を見出せない課題であって、今の我が国政府はヒロシマ・ナガサキの例を出して唯一の被爆国と言いながら核兵器禁止条約の調印すらしないで、この条約の調印について煮え切らない論理を弄ぶ状況になっているようなことです。
撤廃に向けての削減交渉は、さらに困難な状況になっています。
(この項 続く)
2021年05月01日
お庫裡から 2020年5月

新型コロナウィルスの感染再拡大が広まって、東京、大阪、京都、兵庫に4月25日、緊急事態宣言が出されました。
この現状を見ると、4月11日、よくぞ筍コンサートが実施できたものだと驚くばかりです。
準備を進める過程で、常に豊田市の感染者数を気にかけていました。
もし地元の小学校区内で感染者が出た時には、即、中止にしようと覚悟を決めておりました。
1週間前には1人、2人と少なかったのに、直前には10人、12人と段々増えてきて、ハラハラしました。
今年は“清風”紙に入れる以外、チラシで広く案内する事をしませんでした。お客様が何人来て下さるのか、全く読めません。
最悪、みのりコーラス等の出演者、スタッフ、家族の30人かもしれません。
本堂に椅子が少し間隔をとって、100席並びました。
この椅子がいくつ埋まるのかしらと思いながら、アルコール消毒。
4月11日は、日本晴れのコンサート日和。
本堂前に置かれた花御堂が皆様をお迎えします。
本堂は開け放ち、換気はバッチリ。
椅子はどんどん埋まり、コンサートは盛り上がっていきます。
バザーは何と言っても守綱寺産のゆで筍、大人気で全て完売
(筍は前々日、前日と7名の方が掘りあげて下さり、気の遠くなるような量でした)。
大盛会のうちにコンサートの一日が過ぎました(受付チケットは丁度100枚ありました)。
コンサートの為に動いて下さった皆さん、そして当日コンサートに足を運んで下さった皆さん、本当にありがとうございました。
純益は17200円、今年も福島の放射能研究所に送らせて頂きました。
こんな嬉しい時間を頂いて、私は本当に幸せ者だと思います。
ありがとうございました。
2021年05月01日
今月の掲示板 2021年5月

いちばん よい子は この私
ろくでもないのは みな他人
ほんとは あいつも 俺くらい
ハッハッハッ ざまあみろ
よその花は 赤い
他人の飯は 白い
のぼせて語る わが自慢
そっと耳うち 他人の噂
ゆずれない わが思い
こころ ころころ
へそくりだって ほくそ笑む
朝に乱心 夕べにカンシャク
(以上 煩悩カルタ より)
(以下、本願カルタ より)
一切の衆生 もらさず救う
聞いてござるぞ なにもかも
見てござる いつでもどこでも
知りつくす 衆生の心
ひかり いたらぬところなし
(衆生=生きとし生ける者)
2021年05月01日
本堂に座って 2021年5月

今月も先月に引き続き、真宗大谷派(京都・東本願寺)の機関誌『真宗』から、子どもたちの様子の見守り方についての文章を紹介します。
ウチの子どもたちはすっかり通りすぎてしまいましたが、大事なことを教えてくださっていると思います。
<子どものイタズラは「トキメキ」と「発見」のくり返し>
子どもとイタズラは、切っても切れない関係のように大人は思い込んでいるようです。
食事中、食べることに集中しないで、スプーンで食器を叩いては、楽しそうにしています。
その姿を見て、「食事中でしょ!ちゃんとしなさい。もう、イタズラばっかりして…」と声を荒げるのは大人です。
おやつの時間、カステラと牛乳が出されました。
すると子どもはカステラのお皿にちょっとずつちょっとずつ牛乳をこぼしています。
その姿を見て、「食べ物を粗末にしてはいけません!イタズラばっかりする子は、お水にしなさい!」とこれまた大人です。
本当に子どもはイタズラをしてやろう、イタズラをして大人を困らせてやろうと思っているのでしょうか。
子どもの遊びは、子ども自身の興味・関心から出発します。
「おもしろそう」「なんだろう」「不思議だな」「どうなるのかな」等など、子どもが心揺さぶられた事象から、遊びがスタートするのです。
まさに「トキメキ」からのスタートです。
そして、やってみることで「発見」があり、その「発見」からまた「トキメキ」を感じて何度も何度もくり返すのが子どもの遊びなのです。
遊びといっても、大人が感じる「ちょっと休憩」「余暇」的なものではなく、子どもの遊びは全身の感覚をフル活用し、感性を働かせ続ける大切な営みなのです。
食器をスプーンで叩いている子どもは、叩く行為で、音が奏でられることに「トキメキ」、叩く場所や力加減によって音が違うことを「発見」し、そのことを確かめようと何度も何度もくり返しているのかもしれません。
カステラのお皿に牛乳をこぼすと、牛乳がカステラに吸い込まれていくことに「トキメキ」、こぼす量やタイミングで吸い込む様子が違っていることを「発見」して、カステラはもちろん、おせんべいやクッキーなどでも、くり返し試しているのかもしれません。
イタズラという世界観は大人がつくり出したものに過ぎません。子どもの中にあるのは「トキメキ」と「発見」が連続する、まさにワンダーワールドなのです。
その世界の中にじっくり浸り、自分なりに考え工夫し、豊かに感じ表現するなど、多様な能力が発揮されているのです。
こうした一連のプロセスを「学びの芽生え」とも呼び、小学校以降の学びに連続する大切な経験となり、人生の生きる力の基盤を形成するのです。
大人からするとイタズラにしか見えない子どもの行為は、生きるために必要な豊かな経験であり、学びそのものなのです。
(岐阜聖徳学園大学教授 西川正晃)
(『真宗 2021年3月号』東本願寺出版発行より引用しました)
正直に言うと、個人的には「食器を叩いて音を出す」「カステラに牛乳をこぼす」ことを許してあげられるほどの心の余裕・広さはありません…。
やっぱり「やめなさい!」と言ってしまうと思います(子どもたちが小さかった頃には、実際やめなさいと言っていました)。
ただ、この文章を読んでみて、子どもたちの行動の一つひとつに意味がある(意味もなく“イタズラ”をしているわけではない)んだと、気づかせてもらえました。
子どもたちにとって、すべての瞬間・経験が大切なものだ…とは思うのですが、できることなら、こうした経験・学びは、外遊びから受け取って欲しいなぁ…と思ってしまう自分がいます。
2021年05月01日
今日も快晴!? 2021年5月

2月に放送された「逆転人生」という番組で、「子どもの貧困に立ち向かえ 大阪西成高校の逆転人生」というタイトルの内容が放送されました。
「子どもの貧困」という言葉はよく耳にするのですが、自分の周囲ではまだピンと来ていませんでした。
番組を見て、(これが現実なのか)と愕然としました。
大阪の西成地区は貧しい家庭が多く、取材を受けていた西成高校の教頭先生が赴任した当時(2012年)の同校は、指折りの教育困難校だったそうです。
生徒の保護者たちは、非正規雇用、シングルマザー、育児放棄等々問題を抱えた方が多く、生徒たちは教師と信頼関係が全く築けておらず、先生からの声掛けは無視、遅刻欠席は日常。
生徒たちは、教師=敵とみており、深刻な学校への不信感が根強く、年間100人近くの生徒が中退していたそうです。
先生たちは家庭訪問を繰り返し(年間600件も!)、子どもたちに学校に来るよう声を掛けました。
家庭訪問を通して、生徒たちの置かれた状況が見えてきました。
親が精神疾患で寝たきりの家、親が失踪した家、シングルマザーで非正規雇用、生活の苦しさから育児放棄した家、高校2年生の時に出産し、自身の子どもを育てながら高校に通っている生徒等々・・・。
先生たちは、「生徒の置かれた状況を知れば、声かけも変わってきます。『どうして遅刻したんだ!』ではなく、『よく来たね』」と。子どもたちの背景に目を向ければ、不良=サボっている人ではなく、サポートが必要な子どもたちだと気づきました」。
また、子どもたちは虐待や不当解雇されても、ずっとそうした状況で育っているのでそれが普通になってしまい、文句一つ言わず、自分が置かれている状況が貧困状況だと理解していない様子だと言うことも分かってきました。
そこで先生たちは、まず生徒たちに、自分が置かれている状況を理解し、そこから抜け出すすべを具体的に教える「反貧困教育」という授業を行いました。
生徒自身が自分の貧困と向き合い、そこからどう抜け出すかを考える授業です。
貧困の子どもたちが陥りやすいケースを具体的な例を挙げて説明し、そうなった場合、ブラック企業との戦い方、子どもたちを守る法律や相談窓口、不当な扱いを受けた場合に、自分を守るための具体的な方法を子どもたち自身に調べさせ教えていったのです。
現在の制度は「申請主義」で、自分で「これは不当だ」と気づいて声を上げなければ、本来なら貰えるはずの補助金やサポートも受けられないのだそうです。
「進学率を上げれば良い学校になるというのは、30年間失敗し続けています。
ようは『幸せに生きるためにどうするか』ということ」と、学校は生徒の就職にも力を入れました。
先生たちは、希望する生徒全員が就職をすることを目標に、手分けして地域の企業33社を回り、安定した起業か確かめ、生徒たちを売り込みました。
先生たちの姿を見て、生徒も自分の将来に希望を見出し始めました。
「絶対に先生たちに内定の報告をしたい。これだけして貰っているんやから、中途半端なことしたらあかん。最後まであかんかもしれへんけど、きちんとやらなあかん。誠意じゃないですけど・・・」。
この年、就職希望の生徒99人が全員合格し、就職率100%を達成しました。
学校の満足度も90%。生徒たちは、将来への希望を胸に西成高校を卒業してゆきました。
人は、人との出会いで変わってゆけるんだなぁとしみじみ感動しました。
貧困家庭が生じないような社会の仕組み作りや、制度を整えることはもちろんですが、「子どもの問題行動の裏には必ず原因がある」と、周囲が見方を変えることも大きな一歩だと思います。
一緒に番組を見ていた娘とも、「もし学校で困った子がいたら、その行動の裏にある、その子の抱えている問題は何かをきちんと見て考えようね。」と話し合いました。