2019年01月04日
本堂に座って 2018年8月
守綱寺本堂障壁画(本堂奥、左右両余間に入っている8枚のふすま絵)が昨年7月に豊田市文化財に指定されて1年が過ぎました。
その間、新聞の地域面で紹介されたり、地元・寺部小6年生が見学に来たことが新聞やケーブルテレビ等で報じられるなど、短い期間にも関わらず多くの方に関心を持っていただけているのではないかと思います。
そんな障壁画(ふすま絵)について、文化財に指定される根拠を示した資料(指定調書)を紹介します。
<年代>
江戸時代前期
<内容>
紙本著色「松に禽鳥図」(まつにきんちょうず)
<由来>
寺部城主渡邉家の菩提寺である守綱寺の本堂は、正保元年(1644)の
寺域整備に際し、伏見城の軍議評定所の建物を拝領し大改築したものと伝えられているが、移築に関する明証はない。
この本堂内陣の左右、板の間の余間に襖絵は設置されている。
建築的には内陣部分は正保元年の創建当初のものとみられているが、この作品の作製年代はこれを遡る可能性もある。
<指定理由>
本図は左右とも襖四面という横長の大きな画面に、太い松が枝を伸ばしている構図である。
松の幹や太い枝には苔が生えている老松で横方向に長く延びているが、上下方向は枠に押し込められているような印象もあり、本来の大きさとは違う可能性も考えられる。
金地に描かれた老松のほとんどの松葉の緑青は剥落しているが、補修されていない画面の残存する部分の絵の具の積層から、往時の華麗さを容易に想像できる。勢いのある確かな墨線は、相当修練された質の良いものである。
また、鳥の表現は形態の把握など正確で、画家の優れた手腕をうかがわせるものである。
どれも確かな描写であり、名古屋城本丸御殿の表書院の禽鳥(きんちょう)表現に相通じるようである。
こうした描写上の特色から、江戸時代初期の狩野派正系に近い絵師たちの手によるものと考えられる。
絵師を特定することはできないが、徳川家康やその子徳川義直から厚く取り立てられた渡邉家の菩提寺であることから、徳川将軍家の御用絵師となった狩野派絵師を登用して作画にあたらせることも可能であったと思われる。
こうしたことから豊田市指定文化財として相応しいといえる。
現状ふすま絵は傷みが激しい為、この後、今年度・来年度の2年間かけての修復に入ります(7月末に運び出される予定です)。
修復後は豊田市に保存管理していただくこととなっているので、次に実物を見ていただけるのは市の施設になりそうです。
守綱寺本堂には、同じ絵柄を印刷した「ふすま表」を用いたふすまを新調し11月中には納められる予定です。
こちらもお楽しみに。
Posted by 守綱寺 at 15:16│Comments(0)
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