2019年08月09日

本堂に座って 2019年6月

本堂に座って 2019年6月

先日、高木仁三郎さんの名前を耳にして、高木さんの講演録を持っていることを思い出しました。
高木さんは原子核化学を専攻され、原子力関係の企業に勤務した後、「原子力資料情報室」(原子力に頼らない社会を実現するために活動している団体)の設立に参加された方で、2000年10月に亡くなられています。
講演録は、1991年2月(東日本大震災の20年前)に行われた講演を震災後に書き起こされたものですが、科学・放射能と生命との関わりについて書かれていて、今読み返しても、その内容は非常に示唆に富んだものとなっています。
元々人間の営みのごく一部、それも、人間の頭脳の活動のごく一部であった科学、ないしはそれを適用した科学技術というのが、その部分だけが異常に発達してしまって、自然なる生き物としての人間、いち生物としての人間の原理、あるいは生命の原理、生きることの原理とかなりかけ離れたところにいってしまった。
人間の営みの一部ではあるけれども、非常に大きく膨れ上がった科学技術というのが、一部の政治権力や資本というものによって戦争の道具に使われたり、金儲けの道具に使われたりというようなことが非常に顕著になってきたがために、それによって肥大化したという部分が否めないわけです。
そういう意味では、人間が自分で作り出したものが自分の首をしめているという状態が、今まさに起こってきているわけです。
核というのも、ある意味では自然の真似なんです。
ですけれども、ここに決定的に違う事がある。
西洋の故事に、プロメテウスが太陽から火を盗んできたという話があります。
これが非常にゼウスの怒りに触れてプロメテウスは罰を受けるわけですが、あれが非常に象徴的な事だという気がするんです。
天の火を盗んだというわけですけれども、まさに原子力というのは天の火を盗んだものだと思うんですね。
地上の火ではない。星が光っているというのは、原子核反応によって光っているわけです。
太陽が光っているのは、水素が燃えて水素爆弾と同じような原理ですけども、要するに核反応です。
だから太陽に行けば放射線がうじゃうじゃしてます。熱によっても死んじゃうでしょうが、放射線によっても誰も近寄れないわけですね。
つまり、光っている星には絶対生命はない。
その近いところにも生命はない。
この地球も誕生したての頃は放射線が非常に強かったわけです。
ですから生命は住めなかったのです。
それが46億年かけて、ようやく人間が、生き物が住めるくらいまで放射能が減ったから住む事ができるようになった。
せっかく地球上の自然の条件ができたところに、天上の火、核というものを盗んできてわざわざもう一度放射能を作ったというのが「原子力」です。
ですから求めて非常に余分な事をしたと思います。
天の火を盗んだ事に対してゼウスが罰を加えたというのは非常に象徴的な故事のような気がします。
やっぱりこれは天の火であって、作るべきではなかったんだと思います。
これに足を踏み入れた瞬間に、科学技術というのは新しい段階に入っている。
今までは単純に地上にある自然の模倣であった。今度は地上の自然の模倣ではなくて、天上のものを模倣するようになった。
地上の生命には、地上の生命の原理があり、地上の行き方の原理がある。
その原理と全く異質なものを、人間の頭脳に発達によって天上から盗むことができるようになった。
この辺を考えていくと、人間には地上の人間の原理の中で許されるべき科学技術とそうでないものとがあるということを我々はちゃんと知る必要があるのではないか。
科学技術というのは本当に頭の中だけで膨らんだものです。自然な生き物としての人間の全体ということを決して問題にしない。
非常に頭脳だけで肥大したような。ですから脳が死ぬか生きるかということで人間の生死を判定するという事もそこから出てきます。
設計ミスでもそうなんです。人間が設計する段階で既に「うっかり」とか「想定しない」というような人間くさい要素が入ってしまうのです。
そういう誤りが許されない世界に入っていくという事が怖い。
科学は人間が作り出してきたものだから人間が制御できると考えるのは非常に楽観主義的すぎると思います。
同時に科学そのものも ―あくまで人間の下位にある科学としてのものですけども― 変わる余地がまだまだある。
共生の科学という、生命と共にある科学という方向にどこまで行けるかということは少しずつ始まっていますが、期待しています。
(『科学の原理と人間の原理 人間が天の火を盗んだ ―その火の近くに生命はない』
高木仁三郎 著 金沢教務所発行(方丈堂出版からも発行中) より引用しました。)

Posted by 守綱寺 at 20:00│Comments(0)
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