2019年08月09日

清風 2019年6月

 清風 2019年6月


自ら僧に帰依したてまつる
まさに願わくは衆生と共に
大衆を統理して、一切無碍ならん

註)
「帰依僧」の読み下し文。この場合の僧とは、古代インドの言葉「サンガ」に中国で「僧伽」の字を当てたもの。
サンガとは「ブッダ・釈尊も、法に目覚めてこそブッダと言われる、その法に帰依した者の集い」の意味。



「法」は、現代日本では英語の「Law(法律)」の意味が一般的ですが、今、仏教で「法」という場合はインド語のダルマ(Dharma)の訳「真理・真実」という意味で、人間の生きるあり方を表示する言葉です。
その内容を示す言葉として「重々無尽、法界縁起」があります。

重々無尽:互いに関係しあって、際限の無いこと。
法界縁起:あらゆるものが、互いに縁となって現れ起こっていること

現代の一般的な人間観では、人間は個として孤立して在ると自己を了解しており、そこからは「一人でおれば淋しい、二人でおれば喧しい。」となります。
しかし一方、「重々無尽、法界縁起」という仏教の法に立てば、「一人でおれば寂かだ、二人でおれば賑やかだ」という世界があることになります。
今、世界では原子力発電によって出る核廃棄物の処理やプラスチック塵の処理に関して、ローマクラブから1973年に出された報告書「人類の危機」(『成長の限界』)という考え方が、あらためて注目されています。
こうした問題は「地球環境問題ではなく、地球人間問題と言えるかもしれない」というのは、言い当てているというべきでしょう。
即ち、地球に対して人間が問題を起こしているのであり、問題は人間の方にあるからです。
この6月に日本(大阪)で開催される「G20・先進工業国会議」では、先の京都会議よりも一歩も二歩も前進させる必要を識者からは指摘されています。
この国連の主催する会議では、日本を含めた先進工業国が問題とすべきことは明らかになってきたはずです。
即ち「温室効果ガス」(特に二酸化炭素)の排出規制(大量削減・抑制)に向けて、省エネ・省資源の方向に、我が国を始めとする工業先進国の産業や文明のあり方の方向を明確につけなおす、あるいはこれまでの産業・エネルギー政策、そして人々のライフスタイルから根本的転換を目指す、それが地球全体の命の未来を危うくしてしまった人類の責任であり、「地球環境問題」の本質であるのですから。
註)以上の地球環境問題についての論考は『いま自然をどうみるか 増補新版』
高木仁三郎著 白水社(1999年2月刊)による。

しかし実際は、世界ではどの国も「主権的国民国家」と言われ、国家エゴイズムに立つことを認めています。
国家は唯一戦争をする正当性と国民を死刑にする(殺す)権利を保有するとされています。
そして主権的国民国家にあっては、その根底にある考え方として、人間をバラバラな個人としてとらえています。
最近の「生命科学」の知見では「生命誌」と名付けられている立場があります。
その研究者は、画家ゴーギャンの絵の題「私たちはどこから来たのか、私たちは何者か、私たちはどこへ行くのか」(1897(明治30)年、タヒチ島の人々の生活にふれて画いた絵)こそが「生命誌」の立場であるとして、『生命誌の世界』(NHK人間講座 担当 中村桂子氏 教育テレビテキスト 1999年)の巻頭写真で、絵とともに紹介されています。
こういう問題がはっきりしなければ、人類の未来は開かれないというゴーギャンの視点こそ、「生命科学」を「生命誌」と新たに名付けた動機なのだと。

冒頭の三帰依文の「大衆を統理して 一切無碍ならん」といわれているのも、こうした「私たちはどこから来て どこへ行くのか」という人類の課題を共有していると思われるのです。
(続く)


Posted by 守綱寺 at 20:00│Comments(0)
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