2023年04月03日
本堂に座って 2023年3月
地域行事の「教育講演会」を企画するにあたり、“破天荒校長”こと澤田二三夫先生に講師をお願いしました(詳細は「今日も快晴」をご覧ください)。
事前に澤田先生にお話をうかがった際、『不親切教師のススメ』という本を薦めていただきました。
【不親切こそ学力を向上させる】
きめ細やかで個に寄り添う丁寧な授業。
そう聞けば、教師でなくても多くの人が「それはいい授業だ」と思うのではないだろうか。
実は、この丁寧で親切でサービス満点の授業が、本質的な学力低下を招いている可能性がある。
「本質的な学力低下」と書いた理由は、丁寧で親切でサービス満点の授業をすることで、一時的には学力が向上しているように見えるからである。
例えば「やる気が出た」ように見えるし、その単元の学習直後に実施したワークテストや小テストの点数も上がることが多い。
しかし問題は、その先である。「やる気が出た」ように見えたのも、こちらがサービス満点で支えている間だけ、ということが多々ある。
これを続けていくことで、「さて、次はどうやって楽しませてくれるの?」という受け身の姿勢が子どもたちの基本になる。
さらに、小テストやワークテストの点数向上も、一時的な効果しかなく、年度末の学力テストのようなまとまった問題になると、一気にできなくなるという事態が珍しくない。
その理由は、個別に丁寧に寄り添って噛んで含めるように教えたために、自分の頭で考えずにできてしまったということが一つ。
もう一つは、できるようになった際も、実はよくはわからず解法を丸暗記しただけということがある。
自分の頭を絞って考えた結果ではないため、これらの学習効果は、脳内の短期記憶あるいは中期記憶程度にとどまる。
やり方を生み出したのではなく直接教わって学んだだけのため、結果的に、長期記憶としての定着率が悪く、少し出題形式が変わるだけでさっぱり応用が利かないといった事態に陥ることとなる。
要するに、自分の頭で考えて考えて、考え抜いてできるようにすることで、脳はそれを「重要」と認識し、結果的に長期記憶として自然に定着する。
加えて、そのような姿勢で学習を進めていけば、はっきりとした答えがないような問題や見たことのない問題に対してでも、自ら考えて自分なりの答えを生み出していけるような本質的な学力が向上する。
そのような本質的な学力をつけるためには、あまり細かく教えたり支えたりし過ぎない不親切教師の接し方が適している。
目的意識がどこにあるかである。
とにかくミスなく機械のように繰り返させたいだけのことならば、細かく丁寧に教えた方がよい。
これは、単純作業を能率良く教え込むようなものである。
例えば仕事として一日限り、機械の代わりをしてもらうのなら、自分で工夫するとか考えるとかさせずに、とにかくさっさと覚えてもらってせっせと働かせ、短期でなるべく多くの結果を出してもらえればそれでいい。
丁寧にわからせる授業がつまるところそれと同じであることが少なくない。
一方で、正式な仕事として長期的に働いて貢献してもらおうというのなら、まず仕事の理念から学んでもらい、その基礎から覚えてもらい、自分なりに工夫してやっていくよう促す必要がある。
何でもかんでも人にきくのではなく、技を盗んだり自分で編み出したりして、仕事そのものの楽しさを追求していく姿勢が欲しい。
自分の頭で考えて苦労してできるようになる授業の目指すところはこれである。
一見突き放すような厳しい教育であるかのように見えるが、実際には、遠目に見守る教育である。
手を出したいところをぐっと我慢して、あえて不親切なように振る舞う教育の仕方である。
(『不親切教師のススメ』松尾英明 著 さくら社発行より引用しました)
公立小学校教員である松尾先生は、「教育における真の親切とは、あれこれ世話を焼くことではなく、子どもを自立へと促す行為である。」と言われます。
一見“不親切”に思われることが、実は子どものため…という事例はたくさんあるようです。
Posted by 守綱寺 at 09:58│Comments(0)
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