2021年10月06日
清風 2021年10月
聖徳太子No.6
以和為貴
和を以て貴しと為す(和とは対話の開く世界)
『十七条憲法』第1条より
今年(2021年)は、聖徳太子(574~622)が亡くなって1400回忌の年にあたり、その法要が法隆寺を始め本山・東本願寺でも勤まっています。
私も9月4・5日と、家内と2人法隆寺並びに磯長の太子廟へお参りさせて頂きました。
寺報「清風」の5月号でも紹介しましたように、親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主聖徳皇」(日本に出られたお釈迦様である)と「和讃」で讃嘆されています。
親鸞聖人は、聖徳太子について「高僧和讃」の最後でも「仏滅後1521年にあたれり」と記されています。
「高僧和讃」はご存知のように、親鸞聖人にまで本願念仏の教え(仏法)を伝えてくださった、釈尊以後7人の高僧の徳を讃えられているものです。
最後の2人は我が国に出られた源信和尚であり、源空(法然)上人です。
源信・源空以前に我が国に太子が出てくださって、仏法を興隆された恩徳によるのだと言われています。
『十七条憲法』の第一条に「和を以て貴しと為す」とあります。
この「和」というのは『字源』によれば「呼びかけに対し応答する」という意味で、人と人との間に「対話」が成立することで、人と人が心を通わせることができる原理を表しているものとされています。
人間は「人と人の間」と書くように、人と人が疎通できて初めて、人であることの本来の状態を確立できるのだということを暗に示しているのだと言えるでしょう。
対話が成立して初めて関係が開かれます。
対話が成立するには、それ相応の用意が両者になされていなければ、会話はすれ違いになり、いわゆるディベート(討論)にはなってもダイアローグ(対話)にはならないのです。
では、その用意とは何でしょうか?十七条憲法では「人皆黨あり」と言われます。
「黨(たむら)」は「暗黒不明にして鮮やかならぬこと(人は誰でも自分にはなかなか気付けない闇を持っている)。」という意味です。
結婚すると夫婦は喧嘩をします。
派手にか穏便にか、タイプはいろいろあるでしょうが…。
喧嘩という「縁」が成立するためには、すでに与えられているという事実があるのですが、それは「当たり前」のこととしてことさら意識されていないから展開するのだそうです。
相手が与えられて初めて、喧嘩という「縁」も可能となるのです。
人間とは自分にも気づけない闇(煩悩)を備えており、その縁(喧嘩)を引き起こしてくるのはその闇(煩悩)であり、その煩悩は貪欲(欲求)・瞋恚(怒り)・愚痴であると、仏教は教えています。
そして人間(私)は煩悩を完全に備えている「煩悩具足の凡夫」と言われています。
あらためて、対話が成立するための用意とは何でしょうか。相手への畏敬(リスペクト)の念、当事者の側には謙譲(サスペクト)の念が、大切な要件です。
当事者が相手を見下げているならば ―今風に言えば上から目線とでも言うのでしょうか― そこでは対話が成立しなくなってしまうわけです。
十七条憲法第一条では「人皆黨有り」に続いて「亦少達者(心が通い合う者は少ない)」と述べられています。
人は皆、徒党を組みます。
何故なら、人間は我(エゴ)をもって自己としているからです。
鴨長明は「心の師とはなるとも、心を師とするなかれ」(『発心集』)と述べています。
「対話」とは、お互いが共通の足場を持たない者の間で行われることが前提されており、各人がそれを了解することは難しいのです。
対話において、自己の持つ我(エゴ)に気付かされていくこと、つまり自分を超えることが願われていると知り、相手へのリスペクトと自己へのサスペクトが存在する時に初めて孤独ではなくなります。
それは親鸞聖人が「弥陀の本願は、親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄』後序)、すなわち「十方衆生のために起こされた本願によって、一人この親鸞が助かる」と告白されたように、仏の救済とは、いわゆる個人のエゴ的要求が満たされることではなく、十方衆生が普遍的に助かるという内実を持っているのです。
エゴの欲求が満たされることによって救われようというのは、「結婚した夫婦が必ず喧嘩を始めるのは何故か」という問いを立てて考えてみたように、エゴが満たされて救われると思っているうちは、迷いを深めていくしかありません。
夫婦が「あ、そうか。私はエゴにこき使われていたのだ。エゴをこそ自己としていた。」という自己をサスペクトできた時、初めて「対話」が始まるのです。
和の世界が、そこに開かれていくのだ、と。(続く)
Posted by 守綱寺 at 12:05│Comments(0)
│清風