2022年04月21日
清風 2022年4月
先月号では、片足に障害のある牧口一二さんの講演録によりながら、「障害者とは」ということを考えるきっかけとして、「正確にいうとね、生きようとしている、その道を邪魔されてる人が全部障害者やと思います」という発言を紹介させてもらいました。
これは、障害者のみならず、健常者でも教えられる発言だと思ったからです。
この講演録を紹介した後で、「同朋新聞」にも障害を持った方の対談が掲載されていたことを思い出しました。
それによって「人間が生きる」とはどういうことなのか、改めて考えさせられたからです。
その対談は、2016年7月に相模原の施設で大勢の障害者が殺傷された事件について、田口さんと福島さん(下記参照)が話されたものです。お二人の発言を引用させていただきます。
(同朋新聞2017年3月号より)
註)田口 弘さん
1961年生まれ、僧侶。生まれつき片方の目を失明。
1961年生まれ、僧侶。生まれつき片方の目を失明。
もう片方は弱視だったが、28歳で失明、全盲となる。
その後、聴力も衰え、難聴状態になる。
その後、聴力も衰え、難聴状態になる。
福島 智さん
東京大学教授。小学生で全盲となり、高校生の時に突発性
難聴により聴覚も失う。
お母さんが、両手3本ずつの指を点字の6つの点の組み合わせに見立てた
「指点字」というコミュニケーション方法を考案し、会話ができるようになった。
お母さんが、両手3本ずつの指を点字の6つの点の組み合わせに見立てた
「指点字」というコミュニケーション方法を考案し、会話ができるようになった。
(田口)
その事件の容疑者は、障害者は不幸をつくるだけだということを述べていて、とんでもないことと思う一方、彼と同じような心もちが自分の中にもあるんです。
つまり都合の悪いものを排除していきたいという思いがあるということを感じています。
(福島)
ネットのニュースは点字のパソコンで読めるので、その発言について知った時は、ものすごく衝撃を受けました。
容疑者が衆議院議長に出した手紙の中では、「重度障害者の家族たちの疲れた様子などを見ていると、障害者は安楽死させるのがいいと思う」というようなことが書いてあります。
これは表面的には「善意」から言っている。
それに対し賛成する人たちも世の中にいる。
つまり容疑者だけが一人特殊で、一人だけ変わった人間が極端なことをしたというふうに片づけられない。
私たちの気持ちの中に、先ほど言われたように邪魔だなと思ったものを避けたいという気持ちがある。
盲学校には知的障害を併せもった子どもたちもいました。
私は子ども心に、このようにならなくてよかったというような気持ちをもっていたんです。
私は、それがいかに恐ろしいことか、大人になり、いろいろな経験や人と話をする中で、ようやく気づいていきました。(略)
つまり差別されている人間が、今度は、自分が差別してしまう。そういう構造がある。
もちろん差別に抗議はすべきだけれども、自分が受けている被害について抗議をすることが、他の方たちのことをよく考えていることの証明にはならないということです。(略)
(田口)
親鸞聖人は「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」と『歎異抄』という書物の中で言っているのですが、それは人を殺したくなくても、縁あれば殺すこともある、そういう危ないもの、深い闇をもっているのが人間という存在なのだ、ということを自覚しなさいと私たちに呼びかけてくださっているのです。
私たちは、その呼びかけに出遇い続け、自分が抱える闇や差別心というものを常に照らされていくしかないのでしょう。
随分長く引用させてもらいました。
現に今、ロシアがウクライナへ侵略し、戦争が始まっています。
対立が対話にならないで、今回も、一方的なロシアの軍事力による侵攻で解決しようということになっています。
田口さん・福島さんの対談を読まれて、いかがでしたか?
今回はロシア(プーチンさん)が生きようとする道を邪魔されていると感じられたのだから、先ずは、ウクライナにはっきりと問題点を示すべきなのでしょう。
対話は「それをつうじて各人が自分を超えること希(ねが)ってなされる」ことと、巻頭に掲げた文章に示されています。
「自分を超える」とはいかなることか、我々人間は、今こそ、本当の進化・進歩に道をつけることが願われているのです。
(つづく)
Posted by 守綱寺 at 10:05│Comments(0)
│清風