2024年05月16日
清風 2024年5月
a 最上の真理を見ないで百年生きるよりも、
最上の真理を見て一日生きることの方が
すぐれている(ダンマ・パダ(法句経)No.115)
b 一生とはないものねだりの歳月か
得ればすぐ慣れ 無くて欲しがる
出典 a『真理のことば 感興のことば』P26岩波文庫 1978年2月刊
b 朝日歌壇より
上に挙げた語句、『ダンマ・パダ』は紀元前5世紀に出生した釈尊のことば、「朝日歌壇」の短歌は西暦21世紀に生きている人の歌である。
現代に生を得て「生きる」という課題について、仏教を手掛かりとして考えていきたいと思う。
経済はGNPとその成長率、テレビの評価基準は視聴率、いずれも数値で表される。現代は数値が独り歩きする時代と言える。このことが持っている課題について、以下の2冊のテキストから紹介させていただく。
まず紹介するのは『自由からの逃走』(E・フロム(1900~1980)東京創元社刊平成5年3月刷101版)からである。
① 近代人は、どちらかといえば、あまりにも多くの欲望を持っている
ように思われ、かれの唯一の問題は、自分がなにを欲しているかは
知っているが、それを獲得することはできないということであるよ
うに思われる。われわれの全勢力はわれわれの欲するものを獲得す
るために使われる。しかも、大部分の人は、この行為の前提を疑問
に考えることはない。 (P277 L10~L14)
② しかも、これらのすべてのことによって、真実―すなわち近代人は
自分の欲することを知っているというまぼろしのもとに生きているが、
実際には欲すると予想されるものを欲しているにすぎないという真
実―を漠然とながら理解できる。このことを認めるためには、ひと
が本当になにを欲しているかを知るのは多くのひとの考えるほど容
易なことではないこと、それは人間がだれでも解決しなければなら
ないもっとも困難な問題の一つであることを理解することが必要で
ある。 (P278 L10~L14)
③ われわれは古いあからさまな形の権威から自分を解放したので新し
い権威の餌食となっていることに気がつかない。われわれはみずか
ら意志する個人であるというまぼろしのもとに生きる自動人形とな
っている。 (P279 L10~L12)
④ かれはかれの住んでいる世界と純粋な関係を失っている。そこでは
ひとであれ、物であれ、すべてが道具となってしまっている。そこ
では、かれは自分で作った機械の一部分となってしまっているので
ある。(略)近代人は表面は満足と楽天主義をよそおっているが、そ
の背景では深い不幸におちいっている。表面的にみれば、ひとびと
は経済活動においても社会生活においても順調にやっているように
みえる。 (P279 L14~L16)
そして今、経済の専門家は、次のような結論を出している。
人間が必要とするものは無限であり、その無限性は精神的領域においてのみ達成でき、物質の領域では決して達成できない。
人間はこの単調な“世の中”で身を処する以外にない。英知がその道を教えてくれる。その英知がなければ、彼は世の中を破壊するお化けのような経済を作り上げることに駆り立てられる(略)、“世の中”を超越するのではなく、富と権力と科学、あるいは考えられる限りの“競技”に卓越することによって、それを克服しようとする。
これらが、戦争の真因であり、最初にそれらを取り除くことなく平和の基礎を作ろうと試みることは空想的である。まさに人間を紛争に駆り立てる力、すなわち貪欲と妬みの組織的な助長に依存する経済的基盤の上に平和を築こうとすることは疑いもなく空想的である。
『人間復興の経済』(原題『スモールイズ ビューティフル』佑学社刊 1976年4月第2刷P28下段L2)
現代人は、釈尊の教えから遠く逸脱した生活をもっとも進歩・進化した生活と思い込み、迷路にはまり込んでしまっている、まさに“お化け”のような経済ということだろう。何故なら、「人間が必要とするものは無限であり、その無限性は精神的領域においてのみ達成でき、物質の領域では決して達成できない」からである。