2018年06月21日
今月の掲示板 2018年5月
自力というのは、結局、心なのです。
人間は、自分の心に自分で振り回されている。
自分の心に自分が迷っている。
心配もはずれる、当てもはずれる。
両方いい事はない。
はからいは、間に合わない。
事実を事実として取り扱わないで
いつでもはからいによって作り変える。
そのはからいに、我々は苦しんでいる。
はからいははからいに過ぎないのだ、
という事がわかれば、
事実だけが一つ出てくる。
凡夫というのは、だめなやつという事ではありません。
悪いやつという意味でもない。
善業にもよおされれば善もする。
悪業にもよおされれば悪もする。
業にもよおされているのを凡夫という。
人間は、自分に夢を見る。
その夢を業が破って
凡夫にかえしてもらう。
本願の念仏は、凡夫の道。
自慢する人間に限って
なにかにあうと、卑下しなければならない。
自慢さえしなければ、
卑下する必要もない。
自慢と卑下というのは、同じものです。
「私が私で、これでよかった」
こう言えるか、言えないか。
人生の明暗の境目。
私は私の業で私らしく生きていく。
それしかない。
そこに業が受け取れるか
受け取れないか・・・。
Posted by 守綱寺 at 20:00│Comments(0)
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