2019年03月01日
本堂に座って 2019年2月
昨年9月中頃から3ヶ月半の間、里帰り出産のため一緒に過ごしてきた姪っ子ののの葉ちゃんが、正月明け早々に東京へ帰っていきました。
すっかり「台風一過」という感じですが、これだけ長期間一緒に過ごしていると、どことなく寂しい感じも漂います…。
2歳半のののちゃんの一つひとつの行動に悪意があるはずもないのですが、その一挙一動にやきもきしたりイライラしたり…。
それでも良くないこと・してはいけないことをした際には、それぞれ気づいたところで注意します。
そんな中で誰からともなく聞こえてきたのが「ごめんって言いなさい」の一言。
この言葉を聞いて、以前読んだ『反省させると犯罪者になります』という本のことを思い出しました。
これまでみてきたように、反省させると後々にまずいことになるのが理解していただけたかと思います。
問題行動を起こしたら、「すみません。ごめんなさい」と謝罪して、2度と過ちを犯さないことを誓う。
これが学校現場だけでなく、家庭でも社会でも普通に行われてきた方法なのです。
しかし、これでは問題を先送りするだけなのです。それももっと悪化させた形で。
反省させるだけだと、なぜ自分が問題を起こしたのかを考えることになりません。
言い換えれば、反省は、自分の内面と向き合う機会(チャンス)を奪っているのです。
問題を起こすに至るには、必ずその人なりの「理由」があります。
その理由にじっくり耳を傾けることによって、その人は次第に自分の内面の問題に気づくことになるのです。
この場合の「内面の問題に気づく」ための方法は、「相手のことを考えること」ではありません。
親や周囲の者がどんなに嫌な思いをしたのかを考えさせることは、たしかに必要なことではありますが、結局はただ反省するだけの結果を招くだけです。
私たちは、問題行動を起こした者に対して、「相手や周囲の者の気持ちも考えろ」と言って叱責しがちですが、最初の段階では「なぜそんなことをしたのか、自分の内面を考えてみよう」と促すべきです。
問題行動を起こしたときこそ、自分のことを考えるチャンスを与えるべきです。
周囲の迷惑を考えさせて反省させる方法は、そのチャンスを奪います。
それだけではありません。
寂しさやストレスといった否定的感情が外に出ないと、その「しんどさ」はさらに抑圧されていき、最後に爆発、すなわち犯罪行為に至るのです。
(中略)
ここまで本書を読んでくださった方は、問題行動が起きたときに最も大切なのは、「反省させないこと」であることは分かっていただけたかと思います。
反省させるのではなく、「なぜこの子(あるいは自分)は問題行動を起こしたのだろうか」と周囲の大人がいっしょに考える視点を持つことが必要です。
叱るとしても、その後でいいでしょう。
否、原因が分かると、多くの場合、大人の方に問題があることに気づき、自ら恥じ入る気持ちになるかもしれません。
しかし、それはそれで親子関係や生徒と教師の関係だけでなく、あらゆる人間関係にとってとても良いことです。
普通、問題行動を起こした子どもは、叱られるものと思っています。
そこで大人が、「今回、問題を起こしたことは、君がいい方向に向かうためのチャンスとしたい」と伝え、「今回、なぜこのようなことが起きたのか、いっしょに考えよう」と問題行動を起こした背景を子どもといっしょに考える姿勢でいることを伝えます。
(中略)
問題行動を起こした者に対して内面を見つめさせるために、手厚いケアをしないといけません。
「反省」という形を求めるのではなく、「更生」という視点を持つのです。
更生とは、字が示すように、「更に生きる(=立ち直る)こと」を意味するけで、「誤りを正す」という「更正」ではありません。
(『反省させると犯罪者になります』岡本茂樹 著 新潮新書 より引用しました。)
「ごめんって言いなさい」と言われたののちゃんは、初めのうちは「ごめんなさい」と返事をしていましたが、しばらくすると「ごめんちゃ~い」と言うことも増えてきて、この本のことを思い出したのです。
本の内容としてはもっと年齢を重ねてからの話が中心なので、ののちゃんにはまだ少し早かったかもしれませんが、年齢に関係なく、「ごめんなさい」と言わせる前に、何がいけなかったのかをゆっくりじっくり伝え、一緒に考えることが必要なのだと、あらためて確かめ直すことができました。
Posted by 守綱寺 at 20:00│Comments(0)
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