2021年12月10日
本堂に座って 2021年11月
先月、真城義麿先生の「比べる・評価」についての文章を紹介しましたが、“比べる”ことについて、よりわかりやすく書いてくださっている文章がありましたので、紹介します。
比較する癖
不幸だと思う気持ちってどこから来るんだろう。基本的には自分自身が生み出しているようだ。
不幸の苦しみを生み出すのが自分なら、不幸の苦しみを和らげたり楽にしたりするのも自分なんだ。
苦しみを見つめて、苦しみをつくっている基本が自分だと体全体で知ることができたら、きっと泣いちゃうかもしれないけれど、なぜか一瞬で楽になるんだ。
「苦しみの元は自分だってことぐらい、わかってるよ」
そう言うのは簡単。でも心のどこかで苦しみは、誰かや、自分じゃない何かがもたらしていると思っている場合が多い。
本当に心と体全部で理解したら、すとんと、おなかのあたりに「理解」が収まってくる。
「今日の彼、なんだか冷たかった。彼、心変わりしたみたい……彼のせいで、わたしも何も手につかない……」
「このところ仕事がうまくいかない。やっぱりこの仕事向いてないのかな……」
彼がわたしに苦しみをもたらしている?仕事がわたしに苦しみをもたらしている?
今日の彼が冷たく感じたということは、昨日までの彼と比べて冷たく感じる……。
このところ仕事がうまくいかないということは、以前と比べてうまくいかない……。
比較するという誰もが持っている心の癖が、苦しいという感覚を生み出しているようだ。
あいつより僕は背が低い。あいつより僕はスポーツが得意じゃない。あの人よりチャンスに恵まれていない。
あのコよりわたしは美人じゃない。あのコみたいに上司とうまくやっていけない。
誰かと比べて自分が幸福か不幸かを判断しようとしても、誰かより幸福か不幸かなんて判断できない。
だって自分以外の人の心は分からないから。幸福や不幸と感じる基準は人によって違うから。
また今が幸せか不幸かを、過去の自分と今の自分を比べて判断してしまう。
つい、よかったときの自分と比べてしまう。
よかったときがあるから今が辛く感じる。
よかったという感覚も過去の感覚だ。そんなあてにならないものに振り回されるのは疲れるだけだ。
以前あの人は自分に優しかった、今も優しい。だから今後もずっと優しいだろうと期待する。
実はそう思うことが苦しみを生み出していることに気がつかない。今の幸せがずっと続くだろうと期待する。そう思うことが苦しみを生み出している。
期待するのがいいとか悪いとか言っているわけではない。
そういう心の仕組みになっているというだけだ。
僕は若い頃バスケットリングを握ることが出来るくらいジャンプ力があったけど、今は出来ない。
かといって不幸だとは思わない。そんなことを不幸だって思ってたら、老人はみんな不幸になっちゃう。
うまくいっていたことが、うまくいかなくなることもあるのが人生。逆にうまくいっていなかったことが、うまくいくようになることがあるのも人生だよね。
(『ブとタのあいだ』小泉??宏 著 メディアファクトリー発行より引用しました)
テストの点数や学校での評価に限らず、上の文章にあるように、ふだんの生活の中の様々な場面で“比較”していることが分かります。
他人と自分だけでなく、過去の自分と今の自分でさえも比べて苦しんでしまうのです。
比べたり期待したりと、「苦しみを生み出すのは自分」だと“本当に”分かったときに、「苦しみを和らげたり楽にすることができるのも自分」と、苦しみを乗り越えていけるのだと思います。
Posted by 守綱寺 at 18:42│Comments(0)
│本堂に座って