2022年02月14日
本堂に座って 2022年2月
数年前まで毎年、守綱寺の法要でお話くださっていた中川皓三郎先生が、2010年・沖縄別院の成道会でのお話が、書籍として発行されました。
本当に大切なことを、ていねいにわかりやすくお話してくださっていた中川先生の姿を思い返しながら読み進める中で、「悩む」ことをどう受け止めるかを教えてくださっている文章に出会いました。
◆ 悩むということはいいことだ
現代は、それこそ自分というものを一番確かなものとして、その自分を前提にあるわけです。
だけど、それは結局、行き詰まってしまう。
それがさまざまな場面に出てきていると思うんですね。
それはどうしてかと言うと、その一番確かなものだというように言われるこの「私」は、絶対に受け入れることのできないものを持っているということなんですね。
それが死であったり、身近なものであったりするのです。
しかしそのことが、ある面ではとても大切なところなのです。
どういうことかというと、苦しむ、苦悩するということが大切なことなんだということです。
私が大学を卒業する間際、一人の先生に出会いました。その先生が私に「悩むということはいいことだ。
飛び上がるときには一回沈まなければならないのだから、沈みなさい。
そして立ち止まりなさい」と。そして、続いて「一緒に勉強しましょう」と言われたんですね。
私はそのとき、この先生はいったい何を言っているのかと、訳のわからないことを言っておられるように聞こえたわけです。
つまり、現代を生きるわれわれにとって、「悩む」というようなことがいいことだとは思えないのです。
悩むのは自分に力がないからだ。
自分が情けないからなんだ。そういう意味で悩むのであって、自分に力があり、優秀なものであるならば、悩むということなんか何もないんだと思って生きているわけです。
現代は、悩み苦しむということはマイナスの価値であって、苦しみをいろいろな方法でなくそうとするということがあります。
拝み屋さんがあったり、さまざまな相談所があったりと、そのようなかたちで、悩み、苦しみを解消し、思いどおりに生きようとするのです。
ところが、この「私」を前提にして生きる限りは、絶対に行き詰まるんだというのです。
自分が、そして隣にいる人が、思いどおりにならないのです。
そういう思いどおりにならない自分と、思いどおりにならない他者とが生活を共にして生きていながら、思いどおりになることが人間の生きる意味であり、人間の幸せだと考えて生きている。
そのような生き方は虚偽なわけです。幻想なんだということです。
ですから、悩むということ、苦しむということがとても大切なのです。
この「私」を前提にして生きる限りは、どんな人も行き詰まるんだと。
つまり行き詰まるということが、この「私」を問いなおす、とても大きなチャンスなんだと。
本当に新しい生き方を、そこに見いだすチャンスなんだということです。
(『人間で在ることの課題』中川皓三郎 著 東本願寺出版発行より引用しました)
中川先生は「悩む・苦しむ」原因は、“自分の思いどおりにできないことを、思いどおりにしようとするからだ”と言われます。
さらに「悩む・苦しむ」ことを“大切なこと・チャンス”と教えてくださいます。
「悩み・苦しみ」を無くそうとばかり考えている私に、まったく違う解決方法を示してくださっているのだと思います。
Posted by 守綱寺 at 16:38│Comments(0)
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