2022年12月20日
本堂に座って 2022年12月
先月に引き続き小沢牧子さんのお話です。子どもに対する願望(欲望?)がもっとも表に出てくるのが「子どもが学校に行かなくなる」時でしょう。そうした状況について小沢さんが書いてくださっています。
学校に行かないとき
子どもが自分の思うようにならない、と親が大きく動揺するできごとの代表的なものは、子どもがいわゆる不登校をしたときだろう。
子どもが学校に行かない、または行けないとき、親がひどくうろたえるのは、「子どもが自分の予定通りにならない」といういらだちをふくむことが多いのだと思う。
「学校社会で成功し続けてもらいたい」という願望を、親は強く持っているからだ。
しかし、わたしのささやかな体験からすれば、子どもが学校に行かないのは、そうすることがなぜかどうしても必要だからで、そんなとき親はただ傍らにいる以外にできることはない。
本人のことは本人にしかわからない。いや本人にもわからないし、わかる必要もないだろう。
ただ、いまはそうするしかない行動をしているだけだ。
子どもだって生きていれば、おとなと同じようにいろいろなときがあるのだ。
その状態を「不登校」や「登校拒否」と呼ぶことに、わたしは違和感をもつ。
それらの呼び名は、親や教師つまりおとなの立場からの名づけであって、子どもにすれば、子どもの毎日を生きていくことに疲れたり行きづまったりして、うずくまった状態なのではないか。
だから、学校にも行けない。または、行かない。
子どもなりの生きる悩みをかかえた必死の毎日のなかに、学校に行かない行為がふくまれているのだ。
そんなとき、学校に行かない行為だけを取り出して「不登校」と呼んだとたん、子どもの事実が歪められ、一面的になる。
「まいってしまって、ダウンしていたことがあったよ。学校にも行かなかったしね」。
あとで思い返して、そんなふうに表現したい子どもも多いのではないか。
そうわたしは考えるが、どうなのだろう。
できるだけ子どもの事実に近づいて、ものごとを考えたいと思うから。
もちろん「学校がイヤな場所だから行かないんだ」という理由も多く、それは重要なテーマであるとは思っている。
学校へ行かない子どもが行くようになることを、「良くなった」と表現することが多い。
しかし村田(由夫)さんの言葉を借りればそれは、学校に行くことが正しいから行かせよう、つまり「良くしよう」というおとなの支配性にほかならない。
村田さんも息子さんが小学4年生で学校に行かなくなったとき、「最初はなんとか行かせようといろんな手を使って、かなり子どもを追いつめた」と語っている。
でも「学校より子どもの生命が、その方向のほうが大事だとようやく気づいて、行かなくてもいいんではないかという気持ちになってきた」と。
村田さんがそう思うようになった場面のひとつが、強く印象に残る。
息子さんは自転車が好きで、小学4年生のある日に遠出をし、戻ってくるのがとても遅かった。
心配して迎えに出向いていったときに、長い坂をうつむきながら一心不乱に自転車をこいでくるのに出会った。
「その姿を見たときに、声かけられなかったですね。そのときに、どういうわけだかわかんないけれども、この子はもしかしたら一人で生きられるかもしれないと、そういうふうに思って、それが一つのきっかけになって、私の中で学校とか学力とかいうことに、そんなこだわり感じなくなったですね」と、村田さんは語っている。
その場面からは、思わず子どもにひとりの対等な人間として向き合った瞬間にわき起こった相手への信頼と愛情が伝わる。
良くしよう、支配したいという親子の関係から、とっさに解き放たれたのだ。
親と子はいつも揉めながら、こうしてかけがえのない仲間になっていくのだなと、なんだか胸が熱くなる。
(『子どもの場所から』小沢牧子 著 小澤昔ばなし研究所発行
「支配欲、この厄介なもの」より引用しました)
Posted by 守綱寺 at 13:59│Comments(0)
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