2023年09月13日
今月の掲示板 2023年7月
“いのちは誰のものか”
いのちは、愛そう愛そうとする者のものであって
自分をいじめ、傷つけ、踏みつけにしている者の
ものではない (信國 敦)
ここに身があるということは
父母を縁とし
地球を縁とし
宇宙を縁とし
生命を賜っている
この身は宇宙万化の表顕である
問い 浅田正作
何のために生きているのか
愚かな愚かな問い
私の最初の問い
そして 今も
この世に
人の身を賜った
いのち賜ったことを
受けとめていきたい
ここに
人間の深い願いがある
なにかが 浅田正作
私が私に出遇ったのだ
それで なにかが
私の意見や
私の苦悩を知りつくして
私のために
働いていることが
この身に 感じられる
私達の日々の生活は
その“生死”のいのちの厳粛さ
誰しも一回性の尊厳にあることを忘れ
名誉欲、権力欲、財欲等で
汲々としている
私たちの分別の心は
善し悪しによって汚染し
「わが」という垣根の中に
閉じてしまっている
私たちの自我の分別は
美しいもの 醜いもの
浄いもの 穢いもの
賢いもの 愚かなもの
というように
二者択一的にしか
物事を考えられない
仏の僧伽(共同体)に生きる
念仏の共同体に生きるということは
“何を本当に尊んで生きているか”
という問いにある
Posted by 守綱寺 at 10:58│Comments(0)
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