2019年05月19日

今月の掲示板 2019年5月



  あてはずれ
  あてはずれ
  あてはずれ
  あてはずれつづけて
  あてはずれてもいい
  大地に立つ

   宝もの
  いかり はらだち
  そねみ ねたみ
  おおく ひまなく
  もてあましとる
  この煩悩が
  かけがえのない
  宝ものとは

   退一歩
  突き進むより
  もう一度
  問い直すことの方が
  大事なように思われる

   苦と楽と
  地獄とは
  楽を求めて苦しむ世界
  極楽とは
  苦を転じて楽しむ世界
  そのどちらにもつけず
  苦じゃ楽じゃと
  迷うている私

   大悲無倦
  浄土への道聞きながら
  地獄より
  ゆき場のない身に
  いま大悲の光
  倦くことなし

   障害
  いろいろと
  覚えたばっかりに
  愚者になれず
  身動きがとれません

   三悪道
  世の中が便利になって
  ものがあり余り
  念仏が忘れ去られて
  聞こえてくる言葉は
  あさましや
  地獄 餓鬼 畜生の三悪道
  仏はただ念仏せよと
  古き時代の言葉を思いおこせよと
  呼びつづけてくださる

   後生の一大事
  解散 総選挙
  日本の方向を選択する
  

Posted by 守綱寺 at 20:00Comments(0)今月の掲示板

2019年05月19日

今月の掲示板 2019年4月



  自分について
  うぬぼれたり のぼせたり 悲観したり
  どれも 自分を失っている

  自分の心に 相手になって
  自分の心に 縛られている

  我々は 計らいを越えた世界を
  計らいでつかんでいる
  だから、狭いし暗いし
  安心できないし、満足もない

  ものを もの以上に 考えない
  もの以下にも 考えない

  金さえあれば 何でもできる と思う
  大事なものほど 金では買えない

  金は 金以上でも 以下でもない
  金の奴隷には ならない

  人間は
  自分の考えておることが正しい
  己が正しい とし
  他人を間違いとする
  人間の悪い病です

  人生というものは、
  行き詰まったりするもので ない
  ちゃんと成るようになっている
  それを 不思議という

  

Posted by 守綱寺 at 20:00Comments(0)今月の掲示板

2019年03月02日

今月の掲示板 2019年2月



   始まる
  己の地獄発見
  そこから仏法が始まる
  この地獄 深くて底なし
  ここから
  真の人生が 始まる

   世間虚仮
  今年は選挙年
  「明るい選挙で
  住みよい日本」というけれど
  ここは 苦の娑婆
  不自由を常とし
  乏しきを分かちあう
  それよりほかに
  住みよくなる道が
  どこにある

   落葉
  握りしめているものを
  よくよく吟味せよと
  落葉 ハラハラ

   花ひらく
  人生に花ひらくとは
  この自分が
  押しいただけたことです

   未練
  他人の赤い花が
  またフッと
  羨ましくなり

   無明
  くらさをくらさとも感じられず
  光りがあてられた
  一瞬だけドキンとする
  この鈍感さを
  悲しいとも思わず

   仏さま
  なにもかも
  これでよかった
  行き詰まりも
  不平、不満も
  私の心の目を
  開かせてくださる
  仏さま

   逆風浄土
  むかい風のなかを
  自転車でゆく人が
  ひとこぎ ひとこぎ
  ていねいに
  頭をさげつづけてゆきます

   本願
  暗いより
  明るいほうがいい
  冷たいより
  暖かいほうがいい
  憎みあうより
  愛しあうほうが楽しい
  これは人間だけではない
  いのちそのものの願い
  

Posted by 守綱寺 at 20:00Comments(0)今月の掲示板

2019年02月24日

今月の掲示板 2019年1月



   「生きる」とは何か。
  学ばなくていいのか。

  人間を区別することを
  可能な限り無くしたい 井出英作

  いつも人の事ばかりで
  自分のことだとは思いもよらないけれど
  目の前で起こっている事は
  どれもこれも
  「すべて」本当は自分のことなのだ。

  自己とは何ぞや。
  自分の一点一画を変える事なく
  満足を受る
  その根拠は、
  自己を知るという事に尽きる。
 
  比べられる世界は浄土ではない。
  比べられない世界がある、
  それが浄土だ。

  心の物差しが正しくなければ
  人間は迷う。

  善悪を成り立たせる
  善があるのじゃないか。
  不幸をも幸せにするような
  幸せがある。

  自分を立てないと
  いっさいが立つ。

  仏さまは衆生の一切の無明を破し
  衆生の一切の志願を満てたまう。

  

Posted by 守綱寺 at 20:00Comments(0)今月の掲示板

2019年01月04日

今月の掲示板 2018年12月




  念仏は
  われ(我)起こしの
  金の鍬(くわ)なり

  自分を知らぬ人というものは
  何が与えられていても
  満足ということがない
  不足ばかりです

  お念仏は自分がわかること
  我々は、念仏によって我身を知らされ、
  自分を知らされることを通して
  いよいよ念仏がわかってくる

  南無阿弥陀仏を頂くことによって
  何がわかるかというと
  自分がわかるのです
 
  自分をわかった人だけが
  ありがたいと言える

  人間の世界の問題がすべて
  人間の力で解決できるように考えている
  それは妄想です、夢です。

  信仰を持つということは
  日常生活の上に
  精神生活を開くことです

  人は、裸で生まれたから
  死の時も裸であって
  何も持ってゆけない
  それは、全部娑婆での預かりものだから

  私たちが念仏するところに
  仏の摂取にあずかる
  摂取にあずかるということは
  具体的に言うと
  わが心の中心に仏の光りが宿る
  光がひとたび宿れば
  どんなに間違っておっても
  「あっ、違っておった」と
  知らせてもらえる
  それが、守って下さるということ
  

Posted by 守綱寺 at 16:12Comments(0)今月の掲示板

2019年01月04日

今月の掲示板 2018年11月



  道具は代わりがあるが
  いのち(あなた)には
  代わりがない

  我々が「幸福」ということを考える時に
  「不幸」が幸福の意味を決めている

  私が私を捨てても
  その私をお捨てにならないのが
  ナムアミダブツというお方

  苦しみのない人生はない
  苦しみのある人生を
  あなたはどう生きたいのか

  いくら豊かであっても
  「真実感」をもって
  生きることができなければ
  人間は幸福にはなれない

  我身を知ることが
  何故大事なのか
  己の愚かさ
  ちっぽけさが
  見えてくるのに

  己を知ってみれば
  他に助けられなければ
  生きられない
  かけがえのない関係を頂いていた
  それを知らない程の
  愚かさだった

  何でも知っているということは
  何も知らんということだ

  失ってみないと
  今の暮らしのありがたさは
  わからないと思います。
  

Posted by 守綱寺 at 15:59Comments(0)今月の掲示板

2019年01月04日

今月の掲示板 2018年10月




  私は私で大正解
  私は私で大成功
  私は私の人生を力いっぱい
  きらきら輝きながら生きていく
  (障がいを持った雪絵ちゃんのことば)

   ありがとう(雪絵ちゃんの詩)
  私 決めていることがあるの
  この目がものを映さなくなったら 目に
  そして、この足が動かなくなったら 足に
  「ありがとう」って言おうと決めているの。
  今まで 見えにくい目が一生懸命見ようとしてくれたんだもん。
  いっぱい いろんなもの 素敵なものを見せてくれた。
  夜の道も 暗いのに がんばってくれた。
  足もそう。私のために信じられないほど 歩いてくれた。
  一緒に いっぱい いろんなところへ行った。
  私を一日でも長く喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。
  なのに、見えなくなったり、歩けなくなった時、
  「なんでよー」なんて言っては、あんまりだと思う。
  今まで弱い弱い目、足が、どれだけ私を強くしてくれたか。
  だからちゃんと「ありがとう」って言うの。大好きな目、足だから。
  こんなに弱いけど大好きだから「ありがとう、もういいよ、休もうね」って
  言ってあげるの。

  何故 苦しむのか
  都合のいい事が好きで
  都合の悪い事が嫌い
  いい、悪いと分別する心が
  あるからです

  人間は 自分の都合で
  自分すら捨ててしまう

  条件を変えるということで
  幸せになれるという錯覚があります
  条件を変えても
  幸せにはなりません

  苦悩をどう超えていくか
  それが仏教の課題です

  私は不思議な存在として
  今、縁をいきている。
  この縁を生きる自分自身を
  受け止めるということが
  私たちにできれば
  生きていける

  病気になることも
  障がいがあることも
  お金持ちになることも
  生きることも
  亡くなることも
  大きなはたらきの中の出来事。
  表れているすべての事が
  実は、大切なこと。

  どうにかならないと
  幸せになれない人は、
  どうかなっても
  その幸せは
  長く続かないだろう 釈尊

  条件を越えて生きていける
  そういうものとの出遇いが
  人生ですごく大切です

  お念仏からの呼びかけは
  どんな人も捨てない
  摂取不捨の世界
  

Posted by 守綱寺 at 15:46Comments(0)今月の掲示板

2019年01月04日

今月の掲示板 2018年9月



  根を持つこと
  それはおそらく
  人間の魂のもっとも重要な要求であると同時に
  もっとも無視されている欲求である。 シモーネ・ヴェイユ

  我々の世界は催促がなければ
  何もできぬ。
  畠の野菜、田んぼの苗
  皆、我々に先立って催促する。  曽我量深

  人が生きているのは
  呼びかけられることによってである

  浄土は、
  心が「物」による支配から逃れ
  自由になった世界。
  娑婆は、
  「物」に支配され
  自由を失って身動きができなくなった世界。

  南無阿弥陀仏は人生の呼びかけである。
  この南無阿弥陀仏の呼びかけに遇うてはじめて
  我々に現在が成り立つ

  人間を燃費で計算する
  人間を道具としか見ない
  そのどこで
  命が尊いと言えるのか

  お前は、何のために
  この世に生まれてきたのかね。

  我々には
  人間成就
  本願成就の
  使命がある

  神は、好きな男の耳元で絶えず
  「好きよ」「すきよ」「すきよ」「すきよ」と
  つぶやいているしつこい女に似ている。(シモーヌ・ヴェイユ)
  そのしつこい女とは
  法蔵菩薩のことである。

  しつこいと言えば
  リアルであって聞こえが悪いので
  もっと穏やかに言うならば
  「摂取不捨」ということになる。

  

Posted by 守綱寺 at 15:32Comments(0)今月の掲示板

2019年01月04日

今月の掲示板 2018年8月








  念仏に生きる生き方は
  その人の生命の終わりを乗り越えて
  次の生に受け継がれてゆく (児玉暁洋)

  念仏は手がかり。
  我が身の上に
  念仏をあきらかにする。
  如来の本願、
  仏の心を
  わが身の上に
  受けとってゆく
  それが信心。
  信心がなかったら
  念仏が念仏にならん。

  私が私を捨てても、
  その私をお捨てにならない。
  ナムアミダブツとは
  そういうお方。

  心が迷うのが迷心
  心が晴れるのが信心

  いつでもどこでも誰にでも
  まこと無き私に
  真を開いて下さる

  「人間は脆いものですね」
  「悪業についてですか」
  「いいえ、愛情についてです」
  「愛情を受け入れる能力、
   愛情を伝えるべき心がですよ。
   いよいよ脆く
   頼りなくなっていく」 (佐野 稔)

  私たちは、
  どうも成すべき唯一のことをしていない時に
  最も忙しいようである。

  本当に欲しい一つのものを持っていない時に
  私たちは、最も貪欲なようである。(エリック・ホッファー)
  

Posted by 守綱寺 at 15:18Comments(0)今月の掲示板

2018年08月03日

今月の掲示板 2018年7月










  「この私」を死んだと思って捨ててみなさい。
  そこに私が想像もしなかった世界が明るんできます。
  不思議ないのちのやすらぎと
  よろこびの世界が明るんできます。 小松昌幸

  自我という眼鏡を外してみると
  大きな生命の海の真っただ中にいることがわかる
  樹や草にさえも
  まして動物たちにも
  自分と同じいのちの囁きが聞かれる

  小鳥も虫も住めない世界には
  人間も住めない

  「私の感じ」
  「私の利益を」
  とこだわる私を捨てて
  ものを見よう

  私は私の力で生きていると
  思い上がっていた
  私は許されて生きているのだ 倉田百三

  病気の一日も
  健康の一日も
  共に私にいただいた
  かけがえのない一日である

  もったいない
  勿体とは本体のこと
  相手に対して
  その本体を失うようなことをするのが
  「勿体ない」ということだ

  私たちの中には
  どうやら二種類の眼が
  ものを見ているようである
  一つは、現実しか見えない眼
  もう一つは、現実を超えて
  現実を見ぬいていく眼


  

Posted by 守綱寺 at 20:00Comments(0)今月の掲示板