2024年03月11日

今月の掲示板 2024年3月


私たちは
いのちに逆らっていると自覚できたとき
私というものがはっきりしてくる(祖父江文宏)

動物も人間もさ
地球に間借りしてるんだって思ったらどうだい!
(坂口 尚)

私の目は常に外を向き
ありのままの世界を見ているかというと
そうではない
どんな時も自分の都合の色めがねをかけている

私たちの人生の争いは
いつも善と悪の争いだ

“ごめんなさい”と言えない人間が多い
大の大人があやまれないのは
勝負など関係ない場面でも
勝負に固執しているから

偉そうな人ってのはさ
攻撃されないように威張っていないと
立っていられないのかも

何が“生き恥を晒すぐらい”なんだろうね
生きていることなんて
恥だらけだっていうのにね

私たちの最も捨て難いのは
自惚れ(うぬぼれ)心である

  

Posted by 守綱寺 at 14:50Comments(0)今月の掲示板

2024年02月15日

今月の掲示板 2024年2月


人身受け難し 今すでに受く
この身今生において度せずんば
いずれの生においてか
この身を度せん(度す=渡ると同意味)

今、いのちがあなたを生きている

南無阿弥陀仏
人と生まれた意味を たずねていこう

『私』と言えるのは、自分のことを
『あなた』と言ってくれる人が
そばにいて はじめて成り立つ

天命に安んじて 人事を尽くす(清沢満之)

人間の本質はGNP(国民総生産)によって
計られるものでは ない

人間の必要とするものは無限である
しかし、物質の領域では
決して達成できない

自己とは何ぞや(清沢満之)

自己とは他なし
絶対無限の妙用に乗託して
任運に法爾に
この現前の境遇に落在せるもの
即ち是なり(清沢満之)
  

Posted by 守綱寺 at 13:41Comments(0)今月の掲示板

2024年01月09日

今月の掲示板 2024年1月


現代人は居ながらにして
世界中のすべてを
見ることができるようになったが
自分自身を見つめる眼を
失ってしまった。

あなたの手をみつめてみませんか
年令夫々に様々なことが
秘められているでしょう
その手を合わせて仏を拝むとき
深い自己を感じます

合掌するということは
仏と出会うということです
仏を拝むことが
自分を発見することです
念仏は解らなかった
自分の心が解ることです

私だけが私のよりどころです
私の他によりどころはありません
ですから その私をもっと
大切にして 拝める私に
せねばなりません

樹木を育てるには
手入れをせねばならぬことは
皆 知っているが
自分の心の手入れを
することを忘れている
愚かなことだ

私が働いて 私が銭をもうけて
私が何をしようと勝手だという
生き方が多くなった
しかし、その「私」は
私以外のものがなくては
存在しないのだ

いやな人も
不愉快なことも
憎い人も
きたないことも 皆
私の心の影であると
仏は教える

私は善良で、財産も地位も
人よりすぐれており、間違った
ことなんかしていないと思い込んで
いる人の幸福は
砂の上の城のようなものである

  

Posted by 守綱寺 at 17:23Comments(0)今月の掲示板

2023年12月26日

今月の掲示板 2023年12月


ナンマンダブツ
仏法いうもんは
その日一日や
今日の日が
うれしいこと
たのしいこと
さわやかなこと
きよらかなこと

ナムアミダブツ
仏の誓願は
死んでからのお助けより
生きておるうちからの
お助けです

ナムアミダブツ
人間は
いつ何時
どんなことがおこるかもしれん
その覚悟はして
一日一日を
おかげ様 おかげ様と
暮らす人こそ
本願の中の人と思います

ナムアミダブツ
仏法いうもんは
風やな
風が網の目でも
すうっと通り抜けるように
この娑婆の
どげな難しい通れんとこも
すうーっと通してもらえる

ナムアミダブツ
よろこんで
今日の出来事うけて
苦しみがあっても
その苦しみと
いっしょにいける
道があるのや

ナムアミダブツ
ああ
シャバは
これだけのものや
当て たよりになるものは
一つもない
当てになるのは
このなんまんだぶつ
一つ

ナンマンダブツ
お守りなんて
なーんも持っとらん
そないなもん
持たんかて
なんまんだぶつ一つで
智慧も力も
もらえるのや

ナンマンダブツ
現在
自分の暮しの中に
お説教
いくらもあるのや
お念仏もらうと
それが聞こえてくるのや

ナムアミダブツ
わてらは
守る城がないから
守る必要がない
守るということになると
人間は本能的に
性悪やさかい
それに
引かれていくのや

  

Posted by 守綱寺 at 17:28Comments(0)今月の掲示板

2023年12月26日

今月の掲示板 2023年11月



地球は有限

実は、僕らはすでに多くのものを
受けとっている
まずは 受けとることで
生きていることに 気づくこと(中島岳志)

私たちの社会は
すでに十分豊かなんじゃないか
ということに発想を転換して
足るを知るような社会に
変えていくこと(斉藤幸平)

あなたの人生は
あなたに何を期待しているのでしょうね

便利で快適でも満足できぬあなた
どうなったら満足するのですか

生まれて生きるのは
本当の自分に出遇うため

今 坂村真民
今を生きて咲き
今を生きて散る
花たち
今を忘れて生き
今を忘れて過ごす 人間たち
ああ 花に恥ずかし
心いたむ日々

私たちの日頃は
死を勘定に入れてはいないが
死の方は
私を勘定に入れている(椎名麟三)

あのね ひとはね
死ぬまで
ちゃーんと
生きていますよ(工藤直子)
  

Posted by 守綱寺 at 10:17Comments(0)今月の掲示板

2023年12月26日

今月の掲示板 2023年10月



誰であっても
無意味な生命や
人生は
決してありません

共に凡夫のみ
何か欠けた者どうしが
夫婦となり
親子となり
ひとつ家に暮らす
世に完(まった)き人
在(いま)すでしょうか

いのちとくとく
夜中に目がさめ
このいのちの鼓動
とくとく
はるかな明治の世から
この鼓動 とくとく
ひるまは気づかずにいたが

凡夫に散華
身に散りかかるもの
好嫌をもうさず
手にとれば
いろはさまざまなれど
ひとつひとつが 花びら

道はるか
行き詰まっては
また あるく
根気よく
これをくりかえし
今生はしだいに
かたじけない

だいじな地獄
地獄へおちるたびに
私のこころの眼が
またすこしひらくようで
ほんに地獄は
私の大事なところ

大悲のすくい
この凡夫 あるとき
目がくらんで
お山の大将になりかけて
あぶないという
南無阿弥

天の顔
百人あつまれば百の顔
一人ひとりが
みな個性かがやく
天からいただいた顔

利潤穢土
人間が利潤を追いすぎ
自然のバランスを崩すとき
地には害おおく
山に災おこるという
はてしもなく利潤を追えば
いつか ここは 穢土

もち時間
私の持ち時間が
残り少ないのに気づき
このすくない時間が
まだ私の両手にゆれ
かすかに 光り

余命
余命すくなくなり
この日のひかり しみじみ
このふく風が しみじみ
この生き死にの波が
しずかに うねりながら
ひかりながら
  

Posted by 守綱寺 at 09:58Comments(0)今月の掲示板

2023年09月13日

今月の掲示板 2023年9月


人生は
人格形成の場である

問われているのは
あなた自身
答えるのも
あなた自身

すべてが互いに
相依り、相まって
条件的に存在している

条件にまったく支配されずに
それ自体で独立して
存在しているものは
一つもない

自己は一人孤立してあるのでなく
世界の中に、世界の一員としてある
だから、自分一人のために生きるのでなく
真理をよりどころとして
人々とともに 世界のために生きよう

人身受け難し、いますでに受く
仏法聞き難し、いますでに聞く
この身今生において度せずんば
さらにいずれの生においてか
この身を度せん  (三帰依文より)

私たちは、こうして皆
幸いに、今回初めて
人間に生まれてくることができました
先ず、この事実を
喜ばねばなりません

信は
たすかっている事実の確認

力は、自らの中からいただく
外から密輸入するのではない
  

Posted by 守綱寺 at 11:52Comments(0)今月の掲示板

2023年09月13日

今月の掲示板 2023年8月


やがて何処へ 八木重吉
まさか尻無し河じゃあるまいし
おい
「人生よ」「人類よ」
いったいお前は
どこへ行き着くつもりなのだえ?

雲が白いことも
風が音をたてて
ふいていることも
ささの葉が青いことも
犬が犬で
猫が猫であることも
不思議でならない(小学4年 岩田有史)

生活の感動も感謝もなくなった時
人間はぼけるのだ(早川一光 医師)

現代人の多くは
走っていなければ
ひっくり返る
自転車に
乗っているようなものだ(仁戸田六三郎)

一日中
時間をもつになほ忙し
われはどこか
まちがっている(奥村晃作)

闇が光になるこたできぬ
光のおかげで
闇が知れるよ(浅原才一)

人は転ぶと石のせいにする
石がなければ坂のせいにする
そして坂がなければ
はいている靴のせいにする

どうしようもない私が
歩いている(山頭火)

  

Posted by 守綱寺 at 11:41Comments(0)今月の掲示板

2023年09月13日

今月の掲示板 2023年7月


“いのちは誰のものか”
いのちは、愛そう愛そうとする者のものであって
自分をいじめ、傷つけ、踏みつけにしている者の
ものではない  (信國 敦)

ここに身があるということは
父母を縁とし
地球を縁とし
宇宙を縁とし
生命を賜っている
この身は宇宙万化の表顕である

問い 浅田正作
何のために生きているのか
愚かな愚かな問い
私の最初の問い
そして 今も

この世に
人の身を賜った
いのち賜ったことを
受けとめていきたい
ここに
人間の深い願いがある

なにかが 浅田正作
私が私に出遇ったのだ
それで なにかが
私の意見や
私の苦悩を知りつくして
私のために
働いていることが
この身に 感じられる

私達の日々の生活は
その“生死”のいのちの厳粛さ
誰しも一回性の尊厳にあることを忘れ
名誉欲、権力欲、財欲等で
汲々としている

私たちの分別の心は
善し悪しによって汚染し
「わが」という垣根の中に
閉じてしまっている

私たちの自我の分別は
美しいもの 醜いもの
浄いもの 穢いもの
賢いもの 愚かなもの
というように
二者択一的にしか
物事を考えられない

仏の僧伽(共同体)に生きる
念仏の共同体に生きるということは
“何を本当に尊んで生きているか”
という問いにある

  

Posted by 守綱寺 at 10:58Comments(0)今月の掲示板

2023年06月16日

今月の掲示板 2023年6月



物質の豊かさが
そのまま
人間を豊かにしない

身の周りの状況と、心の満足・不満足は
一体であるように思いがちだが、違う。
はっきり独立している。

人間の心は
物質という周りのものに
大変影響を受け易いけれど
しかし、はっきりと独立している

いれもの 浅田正作
やどかりが
自分の殻を
自分だと言ったら
おかしいだろう
私は自分の殻を
自分だと思っている

せっかくいただいたこの身(人間)
傷つけたり、傷めたり
愚痴ったりするのは
他ならぬ 私の心です
先ずもって、助からねばならぬのは
この心です

寿命に対して
安んじてその寿命を生きていく
これが、本来の世界

この生命にすら
意味があるか
価値があるか
という対象になり
例い、生命として寿命があっても
生きられないという状況が
生じてきた

鏡 浅田正作
毎朝 毎朝
洗面所の鏡にむかって
私は 自分のなにを
見ていたのだろうか
  

Posted by 守綱寺 at 12:49Comments(0)今月の掲示板