2019年05月15日
今日も快晴!? 2019年3月
2月に、大変面白くて刺激的な講演会に参加することが出来ました。
生物学者の福岡伸一さんの「生命とは何か。生命科学から森への招待」というお話です。
『動的平衡』『生物と無生物の間』などの書籍で著名な福岡さんのお話は、分かりやすい言葉と比喩で、時には笑いも交えながら和やかに進んでゆきました。
蝶に夢中になり、昆虫少年だった子ども時代。
顕微鏡をのぞくことに夢中になり、「センス・オブ・ワンダー」~自然への驚嘆や畏敬の念が、生物学者を志すきっかけになったそうです。
顕微鏡の発明により、人間の身体が細胞という細かいパーツで出来ているという発見があり、機械論的なメカニズム、人間の身体を細分化し、より細かいパーツに分けて考えようとする考え方が主流になってゆきます。
しかし福岡さんは、研究上の壁にぶつかり、「生命とはミクロな部分が集まってできたプラモデルである、というような機械論的生命観は、生命の大事な部分を見失う」と感じられたそうです。
1時間半ほど講演の中で、最も刺激的だったのは、自ら発見したGP2という遺伝子の働きを突き止めるための実験で暗礁に乗り上げ、「生命は機械ではない。生命は流れだ」(ルドルフ・シェーンハイマー)という先達の研究者の言葉を知り、「動的平衡」という言葉で生命を解き明かそうとした部分でした。
生命とは、食べ続けなければならない存在であり、当時の機械論的な発想では、生物と食べ物の関係は車とガソリンに例えられていました。
しかし実際は、シェーンハイマーが行ったマウスの実験では、食べ物は身体の中で、しっぽの先から内臓まで、ありとあらゆる器官に変化していったのだそうです。
福岡さんは「つまりガソリンがタイヤやシートやハンドルになったりするわけで、食べるという行為は、食べ物と自分自身の身体を入れ替えることであり、細胞は絶えず入れ替わり、新しいものになっている。
つまり生物学的には、約束は守らなくて良いんです。
一貫性もなくても良いんです。なぜなら昨日と今日では別の生き物だから」といったジョークも交えながら、さらに講演は進みました。
「髪や爪は分かりやすいのですが、消化管の細胞は2~3日で入れ替わり、筋肉の細胞では数週間で入れ替わります。
生命とは、こうした分解と合成の絶え間ない平衡状態を言うのであり、作ることよりも壊すことを一生懸命にやっている、大きく変わらないために変わり続けている、変わらないために変わり続けている。
動的な平衡状態を表現したもので、生命とは鴨長明の『方丈記』にあるとおり「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」という世界そのもの」。
私たちが「生きている」という事実は、なんという不思議で精密で自分の想像を超えた素晴らしい現象なんだろう。
「自分の命なのだから、自分の好きにしても良い」という発言を聞くことがありますが、これはとんでもない話で、私が「これは私だ」と思ってコントロール出来る部分なんて、いのちの全体から言えばほんのわずかな部分であり、自分の感覚だけではキャッチできないような細胞レベルの絶え間ない分解と合成の仕組みが何一つ間違うことなくきちんと毎日繰り返される奇跡が自分の命の正体なのだと、震えるような感動がありました。
豊田の森作りに関するシンポジウム内での講演でしたが、生命の内部のように森にも「動的平衡」の視点が必要であり、 「問題が起きた時は、広い視野を持ち、関係性の中で考える。長いスパンで考える」という最後の言葉は、あらゆる問題に通じると思えました。
Posted by 守綱寺 at 20:00│Comments(0)
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