2020年08月05日
今日も快晴!? 2020年8月
「お母さん、どうしよう!私クラスで浮いてるかも!」と、娘が中学校から帰宅するなり大慌てで話をしてくれました。
「今日学校でね、カップラーメン食べたことない人って聞かれて手を上げたの私一人で、マクドナルドに入ったことない人で手を上げたの私一人で、コンビニに入ったことないのも私だけだったの!みんな私の方を見て、『えっ?』って顔をするんだよ!」
兄1「そんなの昔からだよな~。(おれたちもそうだったし)」
兄2「別によくね?(周りと違うことにそれほど抵抗がない)」
兄二人もそれぞれ同じような経験をしてきたようで、冷静なリアクションです。
「別にそれがダメとかいけないわけじゃないけど、ゲームとかと一緒で、お母さんが好きじゃないし、子どもが小さいうちは行く必要がなかったり、買う必要がなかったから行ったり買ったりしなかっただけだよ。(高校生になった兄二人は、さすがに機会があれば行ったり買ったりしています。)ま、うちの子育ての方針なんて、お母さんの趣味みたいな感じだよね。合ってるとか間違ってるとか、良いとか悪いとかじゃ無くて、趣味ね、趣味。悪いねぇ、あなたたち。お母さんの趣味に付き合わせて。」
「え~!?そうなの~??」と娘。
「ほらさ、よく言う『個性を大事にする』っていうのは、『クラスで自分だけ』って状況でも別に大丈夫ってこと。在ちゃんも、それが自分の個性だと思っておいたらいいんじゃない?お母さん、『みんなと一緒』が良いなんて、全然思ってないよ。」
そんな話をしていたら、長男が一言。
「お母さんの子育てはさぁ、理屈は通ってないけど、筋は通ってるから、まぁ良いんじゃない?」、
「ああ!確かに理屈は全然通ってないね!」と笑いながら、そうか、長男はもう自分が育ってきた環境を客観的に判断、分析して、受け入れてくれているのだと感じました。
もう彼の方が大人です。
思えば、私の個人的な趣味の好き嫌いのおかげで、子どもたちには随分我慢をさせてきてしまいました。
小学校、中学校と通じて、ゲームも持たず、携帯も持たず、テレビも制限。
周りから浮いたり、クラスの子と話が合わないような経験も山のようにしてきたと思います。
そのことで嫌な思いをしたとか、いじめられたとかいうことは、子どもたちの口から一度も聞いたことはありませんが、話さずにいてくれただけかもしれません。
きっと今まで、子どもたちに許されて、思う存分自分の望むような子育てをさせてもらえたのだと思います。
なぜそれらがあまり好きでないのかと言えば、子育てで・・・というより、人間が生きる上で、便利で手軽でいつでも何でも自分の思うようになるということが、決して最高の価値観だとは思えないのです。
不便さや不自由さの中で、自分で工夫したり新しい発想が生まれるのであり、全て与えられてしまったら、残るのは退屈だけのような気がします。
遠回りや回り道や暇な時間等々、一見無駄だと思えるようなことの中に、大切なものがいっぱい詰まっているように思えます。
だから、子どもたちに物やお金をふんだんに与えて、「不満がない状態」「暇にさせない状態」を作るのは、子どもの正常な発達が阻害されるように思うのです。
スマホを持たない長男は、雨で迎えが必要なときは、駅の公衆電話から電話を掛けてきます。
次男の友人は、次男に用事があるときは家の固定電話に「誓くんいますか?」と電話を掛けてきてくれます。
何も困ることはありません。
Posted by 守綱寺 at 10:54│Comments(0)
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