2020年11月06日
今日も快晴!? 2020年11月
受験を半年後に控えた高3の長男ですが、小中高と塾に行かないままここまで来てしまいました。
中学校くらいまでは(お金も掛からなくてラッキー。自分でやれる間は、自分で頑張ってね)と思っていたのですが、ここに来て親の方が焦りを感じて、○会とか○台予備校といった塾の資料を取り寄せたり、安価なオンライン講義の申し込みをしてみたり、問題集を購入したりと往生際の悪い行動を取っています。
(本当に、10月にもなって今さら遅いよね。どうせやるなら、せめて高3になったときにやっておけば良いのに・・・)と、自分でも思います。
丁度半年前。
高校3年生になり、模試を受ける回数が増えた長男が、「国語が分からないわけじゃ無いけど、模範解答のような満点の解答が書けない」と言うので、現役高校国語科教諭の友人に、「長男がこう言うのだけど。塾に行かせて、満点の解答が書けるコツとか、効率の良く勉強する方法とか伝授して貰った方が良いのだろうか?」と相談したことがありました。
すると、友人は「模範解答は、あくまで模範解答を作った人の考えであって、その通りの答えを書くことが正しいわけでは無い。もちろん、模範解答を参考に、自分が読み取りが足りないところがあればそれを足していったりすれば良いのだけれど、長男くんに『ぼくは、この文章をこう読んだ』っていうものがあることが大切で、模範解答のような答えを書くことが正解なのでは無い」というようなことを言ってくれました。
これには、深く深く納得しました。
子ども自身に学びたいことがあり、希望する学校があり、目標に向かって「自分でやる」と決めて頑張っているのだから、親が口出しすることではないと改めて思いました。
資料を取り寄せ、「これはどう?」と提案はするけれど、選択をするのは長男自身です。
「塾に通いたければいつでも言ってね」と道は開いておき、「行く」と決めたなら、その選択を最大限応援するし、「行かない」と決めたのなら、その選択も尊重することが大切だと思います。
子どもは親の所有物では無いのだから、「こうしなさい」と決めつけることは出来ません。
頭ではそう思いながらやはり間際になるとジタバタしてしまい、我ながらバカ親だなとつくづく呆れます。
子育ての目標は「この子が大人になったときに、自分の頭で物事を考えられる人間になって欲しい」ということでした。
目先の受験やテストの成績ではなく、自分はいかに生きるかと言うことや、どのような人間になってゆくのかということを、じっくり悩み、考えることの出来る人間になって欲しい。
最終的に、「ぼくがぼくで良かったな。他の誰でも無い、自分が自分に生れてきて、本当に良かった」と思える人生を送って欲しい。
そう思ったときに、効率の良さや手軽さや、楽に正解が手に入ることが、果たして正解なのだろうかと思えます。
日々寝不足と闘い、一向に上がらない数学の点数に打ちひしがれ、模試が返却される度に判定を見ては落ち込み、それでも諦めずひたむきに努力を続けることの出来る長男は、本当に立派だなぁと思います。
たとえ今、長男がしている勉強が、要領が悪かったり、無駄に思えたり、効率が悪かったり、回り道だったとしても、「やってきた全てが無駄では無かった」と思えるような人生であれば良いと思います。
もう、親がしてやれることはそれほど多くはありません。
毎日お弁当を作って送り出すこと。
帰宅したら温かいご飯を出してやり、リラックス出来る家庭環境を整えること。
風邪を引かないように健康管理に気を配ること。
そして、たとえ本人が望む通りの道が開かれなかったとしても、「そこからあなたの人生が始まるよ」と、言ってやりたいと思っています。
子どもの人生に「模範解答」はなく、その子が選んで自ら進むと決めた道が「正解」なのだと思います。
焦り、ジタバタしながらも、長男の進む道を見守っていきたいなと思っています。
Posted by 守綱寺 at 09:23│Comments(0)
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