2023年06月10日

今日も快晴!? 2023年4月

今日も快晴!? 2023年4月

約3年前に代替わりをして、それまで父と母でやっていた仕事を徐々に譲り受けることになりました。
まだまだ分からないことばかりで、母と同じようには出来ませんが、父母が元気なうちに交替してゆけるのは本当にありがたいことだと思います。
中でも、「お寺参り」の仕事は、本当に学びの多い場になっています。
「お寺参り」とは、お葬儀を済まされたご家族の方が、お寺に足を運び、本堂(冬期はお内仏の部屋)でお勤めのあと、今後のお仏事の日程などを相談する場です。
ご葬儀を終えられた直後のご家族の方と色々とお話させて頂くと、亡くなられたときのご様子、ご家族の思い出等々、本当にどれ一つとして同じお葬儀は無く、それぞれが大切なご家族の方との関係の中で、唯一無二のかたちでいのちを終えられて行くのだということをつくづくと感じます。
ご自宅で長く介護をされてきた方が、寺参りの席でぽつりと言われた「…寂しくなっちゃったな。」という言葉が印象に残っています。
「介護」と聞くと、終わりが見えず大変なイメージや、介護疲れによる虐待や暴行のニュースを目にすることも多いので、「(亡くなって)ホッとした。肩の荷が下りた。」といった言葉が聞かれるのかなと思っていたのです。
けれども、そんな私の浅はかな予想に反して、家族の不在を悲しむその言葉を聞いた時に、なんて尊いのだろうと感じました。
たとえ寝たきりでも、介護を必要とする状態であっても、どのような状態であっても、亡くなって良い命など一つも無く、その人にしか出来ない役割があるのだと教えて頂きました。
また、ご自宅でお葬式をされたご家族の方にお話を伺っていた時のことです。
「おばぁちゃん、綺麗にお化粧してもらって、10歳くらい若く見えて良かった」、「おばぁちゃんの好きだった着物を着せてあげられて良かった」、「毎日のように身につけていた帯を、私が繕って付けてあげられて良かった」、「自宅葬だったので、近所の方が普段着のまま気軽に来て手を合わせて貰えたので良かった」と、「良かった」という言葉が何度聞かれたか分かりません。
悲しみの場であるはずのお葬式が、こんなにも「良かった」という気持ちで満ちあふれ、満足して終えることが出来るなんて、これこそが本来の葬儀の姿なのでは無いかと強く感じました。
そして、その場を任される僧侶という仕事が、お寺の役割がどれだけ重いものであるか、改めて感じずにはいられません。
私が小学生だった頃、ある男の子に「おまえん家、寺だろう。お葬式で金儲けしているんだろう。お賽銭で生活してるんだろう。」と言われたことがありました。
本当に悔しくて情けない気持ちになりました。
でも今は「葬儀を任される」ということが、どれだけ尊いことなのか。
年を重ねて、少しずつ分かるようになりました。
「命を終える」という行為は、誰もが人生でたった一度だけ経験するものです。
その時を、本当に満足する形で終えられるかどうか。
「満足」というのは、お金を掛けたり派手なことをするということではなく、 亡くなられた方が寿命を精一杯生ききられたことを尊び大切に受け止めることで、そうでなければ、後に残された方達が自分自身を大切にすることも出来ないのではないかと思えるのです。
大切なご家族が亡くなられたとき、「どこでも良い」ではなく、「守綱寺に頼む」と言っていただけるのは、本当にありがたいことだと思えます。
そういって守綱寺を選んで下さるお檀家の皆さんに、「守綱寺で良かった」と言ってもらえるように、精一杯勤めさせて頂きたいと思います。


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