2024年03月11日

清風 2024年3月

清風 2024年3月

天命に安んじて 人事を尽くす
清沢満之
註)人事 … 文字通り、私のしていること(私の努力)を指す。
(「人員の配置」のみを指すのではない。)

清沢満之師は「祈祷は迷信の特徴なり」(『仏教』158号 明治33年1月発行)の文章中に、「余は天命に安んじて人事を尽くすというのが可なるを思う」と記している。
(『清沢満之集』岩波文庫P234~に掲載)
何故なら、普通に言われる「人事を尽くして天命を待つ」とは、どこか不安が残るからである。
私の限られた経験で得た経験は、やはり完全ではないからである。
十分ということが言えないで天命を待つのは、結果に悔いが残る。
うまくいかなければ責任を他に転嫁したくなるし、うまくいけば有頂天になって人から嫌われるだけである。

天命に安んじて人事を尽くす ― 母親の胸に懐かれて、安心して乳を飲む赤子、とでも言おうか。
一生懸命努力するのであるが、しかし「評価は他人にまかす」とでも言おうか。

人は何故、疲れるのか ― 自分で自分の行為の結果を評価していることに気づけないからである、と聞いたことがある。
行為によってただちに疲れるのではないらしい。評価をしようとする私の心が、疲れさせるのだそうだ。

人事を尽くして天命を待てない、そこにはもがく以外ない私がいる。
「地獄は一定すみかぞかし」(『歎異抄』第2章)という言葉がある。
人間(私)のしている行為のすべては、すべて危なっかしい。楽を求めて苦しむ自分であることを知らされる。
ウクライナへ攻め込んでいったロシアのプーチン、イスラエルでのイスラム組織ハマスとイスラエル軍の戦闘。
人間の努力は危なっかしい。善のすべてが地獄に化けてしまうのだから、と。戦争は両方共に、善と善の立場に立って始められる。

さて現代日本の中枢も、「利の追求」という当座の目的を「新○○」とか言うけれども中身は何もないのだということが、「政治資金」の流れも「政治資金収支報告書」の不記載の経緯もそのお金の使い道も調べようとはしていないと、新聞には書かれている。
要するに「経済、経済、経済」と言いながら、裏金作りに忙しいだけで、特に「経済」と連呼した中身は、勝手に使って報告の必要がない「裏金」が欲しいということだけのことだったのか?

もうそろそろ、日本人も目を覚ますべき時に来ているのではなかろうか。
何に?我が国では「政治家たちが、社会的に問題のある団体と結託してでも遮二無二多数を取って、国を私物化して、自分たちが甘い汁をすすって、40年間私腹を肥やしてきた ― そういう人を代表者として国会に送り出していた」ことに目を覚まして、次の選挙を、これからの国を再起させる最後のチャンスにするべきだということに。

我々の先輩は、現行憲法の前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」と内外に表明したではなかったか。
この憲法が施行された2ヶ月前、1947年3月31日に「教育基本法」が制定・公布されている。その前文に、

「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を
 期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす
 教育を普及徹底しなければならない。
 ここに日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の
 教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」

 と記されている。

 しかし、この憲法の精神を立法化した「教育基本法」は、第1次安倍政権成立直後の2006年12月に廃止された。その直後、第1次安倍政権は参議院議員選挙で惨敗し退陣している。
憲法を改悪する準備として、学校教育の現場を政府の立場(改憲)の邪魔にならないようにしておく必要があったからであろうか。


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Posted by 守綱寺 at 14:51│Comments(0)清風
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