2022年11月07日

清風 2022年11月

清風 2022年11月

パンの為、職責の為、人道の為、
国家の為、富国強兵の為に、
功名栄華のために
宗教あるにはあらざるなり。
人心の至奥より出ずる
至盛の要求の為に宗教あるなり。
宗教を求むべし、宗教は求むる所なし。
『御進講覚書』清沢満之(1863~1903)


親鸞という鎌倉時代に生きた人が明らかにされたことは何であったのかと言えば、明治時代に生きた清沢満之師のこの文言に示されていることであったと言えるでしょう。
つまり「人心の至奥より出ずる至盛の要求のために宗教はあるのである」と。
鎌倉時代も江戸時代も、また現代も、宗教と言えば「……の為」という了解が宗教観の大きな流れではないでしょうか。

先月号の「清風」巻頭言で、安田先生の言葉を紹介しましたが、いかがだったでしょうか?「宗教を救済としてのみ見るのは人間の自己肯定である。
根源的意味でのエゴイズムである。」として、いわゆる「宗教観」をエゴである ― 簡単に言えば、「神・仏を信ずる」と言っても、その場合の「神・仏」は私のエゴのための小間使いとして消費されている ― と言っておられます。
法然・親鸞という方は、神・仏を始め、私の周りにあるものを全て小間使いにする煩悩成就の者だ、と教えられました。
仏・如来は、私に「念仏申せ」と、それこそが私の至盛の要求なのだと仰るでしょう。

21世紀を生きる私どもが「何となく不安」…つまり未来が見通せないという、人間のエゴに立った宗教観を、一つは自然観から、そしてさらには人間観から問い直すことを指して、9月号の巻頭に紹介したシュマッハーさんの文章には「学びの時代」に入ったと指摘されているのでしょう。

受験のシーズンを迎えるのですが、親御さんの気持ちもよく分かる気がします。
合格のための祈願やお札を購入します。
また病気快癒の願いのために「お札を求める」のもそうでしょう。
要するに「自分の思いに適うように」との考えを前提として生きていくのが「当たり前」とされている時代、それが現代という時代を生きる私どもの宗教観の前提にもなっているのです。
「恐るべきは、現代の文明社会にも呪術が跡を断たぬということではなく、呪術が呪術にすぎないという自覚の失われてしまったこと。」(福田恒存「折々のことば」朝日新聞)だ、との指摘もあるのですが。
商品があふれ、欲望満開の時代、それが現代の表面を覆う時代だとも言われています。
現代はさらに、言うならば、欲望を100%成就していきたいとするのが「当たり前」として前提されている時代なのでしょう。

シュマッハーさんは、それを次のように指摘されているのでした。
われわれの時代のもっとも致命的な誤謬の一つは、“生産の問題”は解決されたという信仰である。」、「人間の本質はGNP(国民総生産)によって計られるものではない。」として、物の総生産高によって国の豊かさを計るのが世界共通のモノサシとなっているのですが、「われわれは“学びの社会”の時代に入ったということをしばしば耳にする。これは確かに、真実であることを希望しよう。」と付け加えておられます。
シュマッハーさんは、その「学びの内容」を「これは確かに、真実であることを希望しよう。
それでも、われわれ人間仲間とだけでなく、自然とも、いかにして調和して生きるか。」とも付け加えていることに、注目したいと思います。

「吾人は絶対無限を追求せずして満足を得るものなりや」という清沢満之師の指摘の検討に入らなければなりません。
そのこと(絶対無限の追求)を、安田先生の言葉はさらに次のように指摘されます。「人間としての深い根元に呼び覚ます自覚こそが、宗教の本質といわれるものである。」と。
「人間の本質」とは、何を指すのでしょうか。
「絶対無限を追求する」の“絶対無限”、「“学びの社会”の時代に入った」の“学び”の内容についても、自分の生き方を考えていく場合、こうした問題提起は大切なキーポイントだと思います。
(続く)


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Posted by 守綱寺 at 14:23│Comments(0)清風
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