2023年12月26日

今日も快晴!? 2023年11月

今日も快晴!? 2023年11月


10月に、森達也監督の映画「福田村事件」を観に行きました。
映画のあらすじは、「1923年9月、関東大震災が発生した数日後、千葉県福田村で自警団を含めた100人以上の村人により、香川から薬売りの行商に来た一団が、朝鮮人と間違われて虐殺された」というものです。
この事件はほとんど資料が残っておらず、2002年に事件を知った森監督が(テレビの番組に出来ないか)と考えて各局に問い合わせたけれど、被差別部落問題に朝鮮人虐殺と二つのタブーが重なり、どこの局からも取り上げて貰えなかったのだそうです。
森監督は、地下鉄サリン事件のオウム信者達の被写体とする映画「A」の監督として注目を集めましたが、「福田村事件」の公式パンフレット内の対談で、「最初にオウム真理教の施設に入ったとき、個々の信者達が穏やかで優しいことにビックリしました。
でも組織としてはとても凶悪な事件を起こした。こういった例は世界の歴史において、至る所で見られますよね。
なのに、例えばナチスの罪と真摯に向き合い続けているドイツなどに比べると、日本はむしろ自分たちの失敗から目を背けたがっているように思える。
人間とはどういう生き物なのか…それを個と集団の相克から検証し続けることは、ぼくのライフワークです。
だから福田村事件にも必然的に引き寄せられていったのかもしれない」と語っておられます。
自分たちの失敗から目をそらさないこと。
人間とはどういう生き物なのかを考え続けること。森監督の課題は、そのまま自分たちの課題でもあると思えました。
映画では、未曾有の震災に見舞われた地で、「朝鮮人が攻めてくる」という流言飛語に惑わされて疑心暗鬼になった村人がパニック状態となり、異質な物(映画では行商人の一行)を排除する行動に出ます。
集団心理、同調圧力、そして虐殺へと向かう流れが、複数の登場人物の様々な視点から描かれます。
映画は予想以上に重く、妊婦や幼児も含めた行商人たちが次々に虐殺されるシーンでは、自分が日本人であることから逃げ出したくなりました。
けれど、これは歴史上の事実であり、もし同じ状況に置かれたら、自分も虐殺を行った側だったかも知れない。100年前の出来事を扱いながら、現代に通じる様々なテーマが内包されているように思えました。
台詞もずしりとくるものが多く、例えば、パニック状態の群衆に向かい、倉蔵という人物が「本当にあの人たち(行商人一行)が日本人だったらどうすんだよ!おめえら日本人殺すことになんだぞ!」と声を上げますが、直後に行商人のリーダーが「朝鮮人なら殺してええんか」と叫びます。
殺されて良い人間など一人もいないはずなのに、(あの人達は日本人だから殺さないで!)と、自分が考えていたことに気づかされるのです。
映画の公式パンフレット冒頭の監督の言葉、「ヒトは群れる生き物となった。つまり社会性。
だからこそこの地球でここまで繁栄した。でも群れには副作用がある。
…イワシやハトが典型だが、多くの個体がひとつの生き物のように動く。
…特に不安や恐怖を感じたとき、群れは同質であることを求めながら、異質な物を見つけては攻撃し排除しようとする。
この場合、異質は、極論すれば何でもよい。
髪や肌の色、国籍。民族、信仰。そして言葉。多数派は少数派を標的とする。こうして虐殺や戦争は起こる。悪意など無いままに、善人が善人を殺す。」
戦争や虐殺は、今まさに現実の出来事であり、「異質な物の排除」が繰り返されています。
自分は善人だと信じ、そうありたいと願う自分の根っこが揺さぶられるような映画でした。


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