2019年11月15日
清風 2019年11月
真理は一つであって第二のものは存在しない。
その(真理)を知った人は争うことがない。
かれらはめいめいに異なった真理をほめたたえている。
それ故に諸々の道の人は
同一のことを語らないのである。(884)
上の番号は『スッタニパータ』(『法句経』)の番号
(岩波文庫『ブッダのことば ― スッタニパータ』より)
74年前の8月15日、“神国”日本は敗戦国となりました。
戦いに敗れはしましたが、日本は国家間の紛争の解決に戦争はしない、軍隊は持たないという内容の憲法を作り上げました。
憲法前文には、
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(略)
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
と記されてあり、そして第9条には次の様にあります。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
日本はこの第9条を制定したとき、地球を自己とする国に生まれ変わっていたのです。
つまり、武力で世界を制覇しようとした日本は、国の基軸たる憲法を作り替えることにより、世界を日本にすることができたのです。
今、世界で軍隊を持たない国は中米のコスタリカ共和国のみです。
国家そのものは“暴力装置”と言われてもいる様に、軍隊を持つもの、それが国家と考えられています。
軍隊を持たないと73年前に日本国民が決めたことは、この地球上に存在する権利があるという考えを放棄しない限り不可能なことです。
ですから、ここには国家観・人間観の革命が求められていると言えるのでしょう。
その内容は、「国家ないし人間は、真理を知るために存在するのであり、欲望を満足するために存在するのではない、という考え方に立脚している」というものでしょう。
近代以降、人間は“万物の霊長”と自らを僭称(せんしょう)して、いのちの連関という真理から学ぶことをしないで、人間も含めたいのちあるものが共存している“家・地球”を、欲望を満たすための資源としてのみ見るという視点にしか立てなくなってしまいました。
地球生態系(いのち)の一つの存在としての人間、という視点を失って、地球上の孤児になってしまったと言えるでしょう。
今年の台風による異常な豪雨など、地球を取り巻く自然環境は、異常が通常になりつつある状況と専門家は警告しています。(次号へ続く)
Posted by 守綱寺 at 18:28│Comments(0)
│清風