2021年12月10日
清風 2021年11月
聖徳太子No.7
仏所遊履(ぶっしょゆうり) (中略)
国豊民安(こくほうみんあん)
兵戈無用(ひょうがむよう)
(『仏説無量寿経』真宗聖典P78)
仏の教えを聞き取った人が誕生していく所は、
豊かにして民安し、武器は用いる必要はなくなる
先月号まで、十七条憲法第一条・第二条、そして第十条に依りながら、親鸞聖人が聖徳太子を「和国の教主聖徳皇」と讃えておられることを振り返ってきました。
また第一条の「和を以て貴しとする」という一句の持つ意味を、簡単にではありましたが説明させていただいたことでした。
親鸞聖人の聖徳太子への視座は、太子和讃に「救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して 多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそいたもう」
(多々…ちちをいうなり。阿摩…ははをいうなり)と記されているように、聖徳太子を「ちちのごとく、ははのごとく」と慕っておられます。
仏法にご縁をいただかれた聖人にとって、聖徳太子が「ちちとも、ははとも呼ぶ」ほどに、聖人自身の人生の節目に「筋を曲げずに歩みを進めて行けるよう導いてくださった方」という感慨を語られたことを示してくださっているものなのでしょう。
聖徳太子の姿勢というか、政治家としての座にあって、人間を非常に具体的に根本の立場から見ておられたことに気付かされます。
それは『十七条憲法』第五条の内容にも現れているように思います。第五条は「訴訟」について書かれている条文です。
訴訟を司る担当者は賄賂を得ることを常としている。
だから財を持つ者の訴えは、その訴訟において勝利することは石を水に投げるように容易であり、貧しき者の訴えは、水を石に投げるように、訴訟に勝利することは容易ではない、と。
ここに書かれてあることは、第十条に「人皆心有り。心おのおの執るところ有り」と記し、その具体的なあり方を「彼是なれば、則ち我は非なり。我是なれば、則ち彼は非なり。」、「我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。共にこれ凡夫なるのみ。」と示してくださっています。
これは、人は間違うものであるという認識でしょう。この「共にこれ凡夫なるのみ」という「自己認識」こそ、人間の間に「和」を開く力ともなり、また、人と人の間を開きたいということ一つを求めて人は生きているのでしょう。何故なら、人は間(関係)を生きねばならない生きものだからです。
釈尊まで帰れば、「真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえている。それ故に諸々の道の人は同一の事を語らないのである。」(『スッタニパーター』884句)という言葉が遺されています。
「真理を知った人は争う必要がない」、それは、そこでは「対話」が開かれるからなのでしょう。
最後に十七条憲法の第十六条を紹介します。
民を使うに時をもってせよ。故に冬に余裕が有るとき民を使うべきである。
春より秋に至る時は、農業と蚕のための桑の収穫時であるから、民を使うのはよろしくない。
民の日常生活の内容にふれながら、民に寄り添う聖徳太子の心根がうかがわれる内容だと思います。
太子が『十七条憲法』を起草されたのは、推古天皇そして摂政に任命された太子自身を含む当時の権力者がどのような政治をしていくかを考える、実に国の将来にも重大な影響を持つ出来事となる時期にあったからと言えます。
蘇我氏と物部氏との権力争い、それは太子にとっても14歳から19歳の血で血を洗う守屋誅殺など殺害経験の場でした。
こういう事態の経験が、十七条憲法で「人は○○である」という表現となって規定されているのだと思います。
この「人」の中には、もちろん太子自身の有り様も含まれてのことだったのです。
抽象的に「人は○○である」と書かれているのではないのです。
巻頭に紹介した『無量寿経』の言葉は、経典の中で「地獄・餓鬼・畜生あらば」という阿弥陀仏の本願文にある言葉に返せば、「国豊かに」とは「餓鬼(欠乏)」からの解放であり、「民安し」とは「畜生(恐怖)」からの解放であり、「兵戈無用」は「地獄」からの解放を示すものと言えるのでしょう。(続く)
Posted by 守綱寺 at 18:44│Comments(0)
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