2021年12月16日
清風 2021年12月
聖徳太子No.8
世間虚仮
唯仏是真
(「天寿国繍帳」銘 聖徳太子妃橘太郎女 作)
仏は、私の心が深い闇に沈んでいることを照らしていてくださる。私の心は愚痴で覆われている、と。
(愚:虚仮である。痴:知が病んでいる。)
1995年のオウム真理教の地下鉄サリン事件以降、日本社会は大きく変質しました。
その表れのひとつが厳罰化です。
刑罰がどんどん重くなり、犯罪者に対して厳しくなりました。
1995年以降の日本のこの変化は、2001年のアメリカ同時多発テロ以降の世界に重なります。
テロというキーワードを消費しながら高揚した不安と恐怖は、「善と悪」「敵と味方」「真実と虚偽」など、本来は複雑な領域の単純化や二分化を求め、法やシステムを変えました。
厳罰化の代表国は、日本・アメリカ・イギリス・ニュージーランドと言われていますが、特にアメリカ同時多発テロ以降、テロによる不安と恐怖が一気に拡散した一方、現在も寛容化を進めている国もあります。
それは、ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スエーデンなどの北欧諸国です。
ここで、その寛容化を進めているノルウェーの実情について聞くことにします。
ノルウェーの法務省の高級官僚の方にもインタビューしましたが、彼はこう言いました。
「犯罪を起こす要因は三つの不足だ。一つ目は幼年期の愛情の不足。二つ目は生育期の教育の不足。三つ目は現在の貧困。ほとんどの犯罪はこのどれか、あるいはこれらが複合して起きている。では犯罪を起こした人間に対して社会は何をするべきか?不足を補えばいい。愛情か教育、そして現在の貧困の改善、それが刑罰だ。(略)「彼らは十分に苦しんできている。苦しんできたからこんなことをやったんだ。ならばこれ以上に苦しみを与えても意味はない。生きるためには違うやり方があると教えることが刑罰である。」と。」
実はノルウェーも1970年代前半までは治安がとても悪く、刑罰はもっと重かったそうです。
ところが1980年代に寛容化に舵を切ってから、治安がどんどん良くなっていきました。
数年前に日本で対談した法務大臣は、「自分たちはヒューマニズムのみを理由に寛容化を指示しているわけではない。犯罪者を社会復帰させることが社会全体の治安を良くするから、むしろ実利的にやっています。」と語りました。
(略)日本は治安が圧倒的に良い。
ところが、再犯率はすごく高い。
過ちを犯した人を迎え入れる状況ではない。
この構図は、憲法の論議をめぐるこの国の今の状況と重なります。
いつ隣国がミサイルを撃ってくるか分からない。いつ尖閣に押し寄せてくるか分からない。
だから、国防力を高め、敵基地を攻撃できる体制を整えなければならない。
それには憲法が邪魔だから変えようと。
同時多発テロ以降のアメリカは、まさしくその過程をたどりました。
まずはアフガンを攻撃し、イラクへの攻撃の大義のために核兵器の存在を捏造までしたのです。
註)この引用文は、2017年に5回行われた明治学院大学の公開講座『憲法が変わるかもしれない社会』連続講演会での森達也氏の講演(2017年12月5日)からの引用です。
森達也氏は、NHK(BS)で2009年10月29日に放映された『未来への提言「犯罪学者 ニルス・クリスティー ~囚人にやさしい国からの報告」』を制作した。(「囚人にやさしい国」とはノルウェーを指す。)
尚、氏の講演記録は、「不寛容社会における人権問題」として『憲法が変わるかもしれない社会』(文芸春秋社刊)に収録されている。
その結果、この20年間の米兵の死者は六千人以上、現地の死者は数十万人の民間人、戦費はアフガンとイラク侵攻で六兆ドル(660兆円)費やしました。
この9月、結局アフガンからアメリカ軍は撤退しました。
米国と世界が払った代償はあまりにも大きかったのではないでしょうか。
この戦費をノルウェーのように使うなど、我々には平和を築くための違ったやり方があることに気付くべきなのでしょう。
日本にもアメリカに比べれば緩慢ではあるけれど、やはり同じ過程に嵌っているといっていいでしょう。
気がついたら周辺は敵ばかり、だから武器と強いリーダーが欲しくなる、憲法前文や九条が邪魔になる…
今の改憲への動きは、国民のそんな大きな意識の変化を背景に進められてきています。
第九条は、ノルウェーに習えば、要するに「負の連鎖」をどうしたら断つことができるか、という課題の前に、今こそ人類は、特に我が国は立たされていると言えるようです。
私たち一人ひとりが、「何故あなたは生きているのですか」と問われているのですね。
便利で快適な生活追求の前では考えなくてもよかった問いに、答えなくてはならなくなっているのです。
何故なら、すべてを「当たり前」として見過ごしてきたからです。
苦しみ悩んできた人生、何故私は苦しみ悩まなければならないのか、正面から答えることを避けてきた、そのツケがいよいよ回ってきたのです。(続く)
Posted by 守綱寺 at 10:49│Comments(0)
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