2022年08月16日
清風 2022年8月
人智 浅田正作
世の中が
便利になって
一番困っているのが
実は人間なんです
詩集『念仏詩集 骨道を行く』法蔵館発行 1988年12月刊
近代文明とは何であったのか
私たちが求めてきたものは「便利さ」と「豊かさ」だったと言ってよいでしょう。
ここでいう「便利」「豊かさ」は物が支えてくれるものであり、物を手に入れるためのお金が豊かさの象徴となりました。
便利さとは速くできること、手が抜けること、思い通りになることであり、さまざまな電化製品、自動車や新幹線などの交通手段、携帯電話、その他諸々、次々と開発された機器はさらなる便利さをもたらし、それらの製品を生産する産業が活発化することで経済成長、つまりお金の豊かさが手に入りました。
私たちはこのような変化を進歩と呼び、そのような社会を近代化した文明社会、つまり先進国の象徴として評価し、この方向での拡大を求めてきました。
『科学者が人間であること』(岩波新書発行 中村桂子(前生命誌館長)著)
そしてその結果、私ども日本人はどのような人生観・世界観を持つにいたっているのでしょうか。
東北の大震災の時、福島と岩手、宮城の漁業者の人の震災の受け止めが全くと言っていいほど異なっていたことに気付かされました。
というのは、福島では海沿いに「原子力発電所」があり、地震の折りの大きな津波により原子力発電のエネルギー源である核分裂を制御することが出来なくなり、今(2022年現在)も収拾できない事態となっています。
今も近隣のアジア諸国向けを含めて日本-特に福島県産の魚・農産品などの輸出がストップし、核分裂を抑えるために使われた海水などの水を再び海に放出することが近県並びに隣国から危険視され、貯水されている冷却水の放射能値に対し信頼が得られない状況が報じられてもいます。
岩手・宮城の漁民は、とにかく地震が来たら海岸から速やかに高台の方向へ避難する。そして命が助かれば、海水が引くのを待てばまた漁業は再開できるのだから-と言います。
そして大変な状況の中でも「こういうような事態は、今までも度々先祖の人たちは経験してきて、その経験は受け継がれてきております。
というのは、この度のこうした津波によって陸の土などが海岸沿いの海水に流れ込んで、豊かな漁業の場となることが伝えられてきており、堤防も従来のままがよく、福島のように巨大な堤防は望んでいません。」ということでした。
東日本大震災の時には「想定外」の言葉が使われましたが、「思い通りにできるはず」という前提があったからでしょう。
今年も気候変動が激しく、今までなら異常気象と言われることも異常ではなく、「線状降水帯」という名称で位置づけられています。
今回の災害によって世の中が変わると感じた人々は、案外的を射ているのかもしれません。
つまり潮時が来ているということかもしれないからです。
科学の成果により、自然から化石燃料によるエネルギーを得、また医学の進歩によって健康で長生きが可能となり、人類は自然をも「資源」として利用の対象とし、また自己を「万物の霊長」と名告っています。
潮時というのは、人間も「自然の中にいる生きものの一種であり、自然はそういう意味から言えば、人間にとっても母胎である」のですね。
その母胎を対象化して資源としてのみ見る立場においていることに、何の疑問も持てなくなってしまいました。
東日本大震災で言うなら、原発の制御ができない-想定外の事態が、人類にもたらした意味だったのでしょう。
そして安倍さんの襲撃事件、さらにその襲撃者が犯行に及んだ背景が明らかにされつつある現在、それぞれに、何故こんな世になってしまったのだろうと思っておられる方も多いのではないでしょうか。
今回の災害(東日本大震災)によって世の中が変わると感じた人々は、案外、的を射ているのかもしれない。
つまり潮時が来ていたのだ。そう受け取れば、大騒ぎした甲斐もある。
しかし、万事は今後にかかっている。
ほんとうに世の中、変わりますかな。
『未踏の野を過ぎて』(弦書房発行 2011年11月刊 P12
渡辺京二(1930~ 福岡市)著)
Posted by 守綱寺 at 11:18│Comments(0)
│清風