2023年06月10日
清風 2023年4月
自己とは何ぞや
これ人世の根本問題なり
清沢満之
何のために人は生まれてきたのか。
人生を生きるにあたって 清沢満之
先ず、死後のことは不明であり、生前(生まれる前)についても不明である。
それでは、自己(僕、あるいは私)とは何ぞや。(以上意訳)
是人世の根本的問題なり。
自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗託して、任運に法爾に此の境遇に落在せるもの、乃ち是なり。(『臘扇記』清沢満之 著)
「自己」とは自分のことです。さらに分かりやすく言うならば「僕・私」を指す言葉です。
「自己とは何ぞや」。「自分の」と言えば、すぐ分かります。
自分の心・自分の身体・自分の顔・自分の子・自分の妻・自分の夫 … 「の」を付ければ皆分かります。ではその「自分」とは何でしょうか。
これが分からないのです。
不思議なことではありませんか?「の」の字さえ付ければ皆分かります。しかし「の」の主体である自分自身とは何かといったら何か分からなくなってしまう、それが無明ということです。
20世紀の革命が、総体に言えばベルリンの壁の崩壊によって一人ひとりの人間の解放、すなわち「本当の自由の獲得」という課題を、あらためて人類の前に提出したと言えるのでしょう。
現在多くの国は、GNP(国民総生産)を共通の課題として追求する姿勢を取ってきています。
しかし、そうした追求の仕方に待ったをかけたというか、問題を提起したのが、シュマッハー(1911~1976)の著書『スモール イズ ビューティフル(小なるは美なり)』(佑学社刊)でした。
人間が必要とするものは無限であり、その無限性は精神的領域においてのみ達成でき、物質の領域では決して達成することができません。
英知がその道を教えてくれます。
その英知が無ければ、彼は世の中を破壊するお化けのような経済を作り上げることに駆り立てられ、富と権力と科学、あるいは考えられる限りの“競技”に卓越することによって、それを克服しようとします。
シュマッハーは結論として、次のように記します。
「要するに、われわれが今日言いうることは、人間は賢すぎて英知を失っているということである。」と。(同書24ページ上段2行~)
「永続性の経済学は、科学と技術のオリエンテーション(方向づけ)の深遠な再検討を要求する。
それは英知に扉を開くものでなければならず、実際に科学と技術の構造そのものに英知を合致させるものでなければならない。
環境を毒し、社会構造と人間自身を堕落させるような科学的な“解決”は、如何に優れた構想に立ち、いかに大きな外面的魅力を持つものでも、無益である。
機械をますます大きくし、経済力をますます集中し、環境に対しますます大きな暴力を行使することは決して進歩を意味するものではない。
それらは英知の否定である。(同書24ページ15行~25ページ上段3行)
「此の如く四顧茫々(見渡す限り広くはっきりしないこと)の中間において吾人に亦、一円の自由境あり。自己意念の範囲、乃(すなわ)ち是なり」
註)一円 … 自己が「自己中心的な殻から自由になっていないと気づける、一つの自由境がある、という。
要するに、GNPの成長は、何が成長しようと誰が成長しようと関係なく誰かに利益がありさえすればよいものなのである。
(同書36ページ下段16行~18行)
(続く)
Posted by 守綱寺 at 10:08│Comments(0)
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